第4話 傾国ではなく
どんなアルファをも溺れさせる極上のオメガ。
その自身の特性に、遼太郎は辟易していた。
睦み合ってしまえば気持ちよくはなる。フェロモンに反応するアルファはなぜか同性ばかりであったが、満足させてくれるし、快楽を得て不快に感じるはずがない。
しかし、である。しなびた社畜でしかない遼太郎は、フェロモンを除く他のすべてはアルファ様のお眼鏡に適わず、ただセフレとしてヤり捨てられるだけだった。愛を向けられることはおろか、身体以外に興味すら抱かれず、快楽を味わったのちに襲うは惨めさばかりだった。
そんな自身の特質を呪い、したらば気づかれてはならぬと隠し通すことに決めた。
効果も強力なら高額でもある抑制剤を常用し、尋常ではないそのフェロモンを出さぬよう日々気をつけていた。
誘惑して欲しいと頼まれたときも、自分であれば可能だとわかっていたし、老魔道士は失敗などしていなかったことも、知っていた。知っていたが、忌むほどのその性質を利用することは、遼太郎にとって、苦痛を伴うほど耐え難かったのである。
それなのに、と快楽に沈められながら遼太郎は歯噛みした。
よほど相性がいいらしく、数年ぶりであることを抜きしても、カイルとする行為はこれまで感じたことがないほど気持ちがいい。
しかし、味わえば味わうほど、目の端からは涙がこぼれ落ちていく。
カイルに対して抱いていた友情は、日々過ごすうちに好意と言ってもいいほどにまで募っていた。
元の世界では味わえぬほど楽しい日々を送っていたというのに、それを与えてくれたカイルから、手のひらを返され、弟の元へいけと言われることが恐ろしい。
身を持って遼太郎の価値を知ってしまったカイルは、これぞ望んでいたものだとばかりに利用するだろう。政治的な駆け引きなど回りくどい真似をせずとも済むのだから、当然のことである。
この愉悦が終われば、その宣告が待っている。そう思うと、快楽より悲しみのほうが勝ってしまうのだった。
「はあっ……トードー……」
満足したらしいカイルが、息を切らせながら隣にごろりと寝転んだ。
悲しみに支配されていなければ、遼太郎はそんな彼をうっとりと見やりたかった。
自身の満足だけでなく、遼太郎のことも気遣い、まるでそこに愛があるかのように優しく抱いてくれたカイルに、礼と、情を向けたかった。が、遼太郎はカイルに背を向けるように身体の向きを変えた。
「……もう一度、したいのだが」
カイルは、そんな遼太郎をいまだ優しげな手つきで後ろからぎゅっと抱きしめた。
遼太郎は肩を震わせながら唇を噛み、血を滲ませた。
ヒート期間のオメガは飢え続けている。
否はない。
しかし、飢えることそれ自体が不快でたまらず、虚しさを同時に生む快楽は恐ろしく、この腕から逃げ出したかった。
「……いいよ」
だとして、やはり抗うことなどできない。
願いと正反対のことを口にした自分を呪いながらも、抱きしめてくれているカイルの手をはねのけられなかった。
「泣いてるのか?」
首へ耳へとキスが点々と落とされていたところ、ふと止まったと思ったら、カイルに覗き込まれていた。
「ああ。久々だったからな」
答えになるかわからぬ適当なことを言うと、後ろから「まさか」と、息を呑む声がした。
「……相手がいなかったのか?」
「……ああ、まあ」
抱いた今ならまさかのことだろうけど、抱く前なら不思議ではなかったはずだ。
「……つまり、特定の相手は誰もいないってことなのか?」
「当然だろ。こんなおっさんを誰が相手にする?」
「三十二じゃ、俺と十も変わらない」
「……まじかよ」
肌の張りや若々しい艶から、カイルはかなり年下であるはずだと思っていたが、数字として改めて聞くと、身分差だけでなく年の差も大きく、自分がさらにみすぼらしく思えてしまう。
「トードーがよければ、俺を受け入れて欲しい」
「いや、もう受け入れてんじゃん」
「……ありがとう」
カイルは遼太郎の肩をそっと引き、身体の向きを変えさせ、正面から眼差しを向けた。
「……誰にも渡したくない。ずっと俺のそばにいて欲しい」
その言葉のあと、まるで誓いのように軽くキスをされ、遼太郎は目を見開いた。
驚いてカイルの両肩に手を起き、身体を離して問いかける。
「弟を誘惑して欲しいんじゃないのか?」
遼太郎の驚愕の顔に、優しげな笑みを、カイルは返した。
「それは、トードー一人ではなく、われわれ二人でやる仕事だ」
「……さっき、召喚は間違ってなかったって言ってたじゃないか」
「ああ。しかし、弟におまえを……触れさせたくない」
戸惑う遼太郎にカイルは再びキスをし、そして、それが開始の合図であると言わんばかりに、再び肌に指を這わせ始めた。その愛撫は、欲望に駆られた先ほどのような荒さはなく、愛おしむような手つきに変わっている。
「誰かを独占したいと思ったのは初めてだ」
「ああ、それは、フェロモンっていうもんが……」
「……ふぇろもん?」
カイルから問いかけられ、遼太郎は理解してもらうべくなんとか説明してみた。すると、「それは関係ない」と答えて、カイルはおずおずと自身の想いを吐露し始めた。
断罪され落ちぶれた自分を助けようとしてくれたのは遼太郎だけ、という気づきから始まり、好意を募らせていたこと。
そして、身体を重ねたことで、それを愛と呼んでもいいのかもしれないと、気づいたこと。
この世界にアルファやオメガなどの第二の性は存在しておらず、子を産めるのは女性のみ、つまり同性同士が結ばれるというのは、特殊な志向で、貴族の結婚相手としてはあり得ないという話をして、それがゆえに、カイルは遼太郎へ覚えた好意を、友情がゆえのものだと思い込んでいた。いや、思い込もうとしていたと、告げた。
「トードーといると幸福を感じるんだ。それは、身体を合わせるまえからのことで、受け入れてくれた今はより大きくなった」
「……大げさだな」
「本当だ。ずっとそばに居て欲しいというのも本気だ」
遼太郎はカイルの言葉をそのまま受け入れたかった。しかし、これまで事を終えたあとに相手からガラリと態度を変えられた経験から、へたな期待を抱くまいと邪魔をして、自身を押さえつけていた。
「……カイルから離れたら、俺は他に行くあてなんてないしな」
そのため、諦念に見えるのを隠すべく、へらへらと笑ってみせた。
カイルは何かを言おうとしてそれを飲み込み、また口を開きかけて閉じるといったのを数度繰り返し、やがて決意を固めたのか、じっと口を引き締めたのち、遼太郎にじっと視線を据えた。
「謀反が成功したら生活の保障をすると言ったが、別の国へ発ったとしても約束は守るつもりだ。だが、できることなら俺のそばに居て欲しい。もし居てくれたら、俺は生涯おまえを守り抜く」
まるでプロポーズのような言葉を放ったカイルは、真剣そのものと言った表情で、遼太郎の不安を吹き飛ばすごとくの温かさに満ちていた。
「……そこまで言うなら、死ぬまで俺の面倒を見ろよ」
遼太郎は信じてみようと思った。
カイルのことなら信じられると、思えた。
その後、遼太郎はカイルに失望することはなかった。そのとき交わされた会話は、死が二人を分かつまで守られたのである。
そして、前代未聞の同性婚を果たした王と王妃は、国民からの信任が厚いだけでなく人気も高く、その奇妙な出会いと謀反を鎮静させた顚末が物語としてアレンジされ、永く語り継がれたのだという。
【BL】社畜オメガは傾国す 七天八狂 @fakerletter
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