大輪の花 (二回目)

大輪の花

作者 水野文華

https://kakuyomu.jp/works/16818093094285219010


 化粧師・万紅珠は、怜家の奥方・蘭淑瑛を夫に愛される女性に変える依頼を受ける。規範に縛られた淑瑛を「柔らかな花」に変えるが彼女の疲弊に気づき、本当の自分を輝かせる「大輪の花」へ導く。淑瑛は夫と離縁し自由を選ぶ。紅珠も幼い頃より夢見た結婚せずに働くことを父に認められる。規範を超えた美が広がる希望の物語。


 異世界中華ファンタジーもの。

 前回のあと、手直しされたので再読し、再び感想を書く。

 とはいえ、感想を超えているのではと危惧する。私があれこれ邪推したものを全部取り入れたら、文字数オーバーするのでは。そもそも、一個人の感想であって答えではないです。(序)を加えたことで、おかしなところもでてきていたので、どうしたら良くなるのか一生懸命考えました。

 ……書き過ぎました。


(序)が冒頭に置かれたことで、紅珠の物語は単なる職業的成長譚ではなく、幼い頃に抱いた「結婚せず、化粧で女性を美しくする仕事を続けたい」夢と、その夢を社会規範の前で諦めた苦い記憶からはじまる。つまり、この数行の(序)は、紅珠の心の原点を明らかにし、物語全体の土台となった。

 幼少期の夢を諦めた「少女」としての紅珠が、物語を通して再び夢を取り戻し、自らの道を選ぶ「女性」へと成長する女性神話の中心軌道に沿って描かれていく。

 たとえば、五章での淑瑛の一言が紅珠の抑圧された夢を強く揺さぶり、七章での「大輪の花」への変化、九章で父親に夢を訴える場面へと、成長の軌跡が一本の糸で繋がる。

「愛されること」に縛られる女性たちの社会規範への疑問が、紅珠の個人的な葛藤として示されるため、物語のテーマが力強くなった。

 読者は冒頭から紅珠の夢と挫折に「可哀想だな」と思い、それでも化粧師として働く姿に憧れ、淑瑛のために励む姿に人間味を見ては共感し、その再生の過程に深く感情移入できる。彼女の勝利は個人を超えて、読者も含めたすべての女性への希望のメッセージとなる。


 一方、(序)のない前回バージョンの場合、紅珠の幼少期の夢や諦めは直接描かれず、物語の中盤以降で断片的に明かされるのみ。

 物語の冒頭では紅珠は有能な化粧師として登場し、過去の葛藤や夢が見えない。彼女の成長の起点が不明瞭なため成長過程が断片的。父への訴えも「突然の変化」として映るかもしれない。

 規範への抵抗というテーマは、主に淑瑛の物語を通じて描かれ、紅珠の葛藤や成長はおまけ的にみえる。主人公と淑瑛の二人は対になっている存在として見れば、物語全体で夢を貫く女性のお話と読める。だが紅珠自身の内発的葛藤が弱まり、主人公の物語としての普遍性や力強さも、やや損なわれる。

 読者は紅珠の表面的な行動を通じてしか彼女を知ることができず、深い共感を抱くまでに時間がかかる。九章での決断も、過去の文脈が薄いため感動が浅い。

 幼少期の夢が明示されないことで過去と現在の対比が弱まり、「諦め」から「肯定」への劇的な飛躍も感じられない。

 成長の物語が平板な感じがする。内面を掘り下げる純文学の要素もあるのだけれども弱い印象。全体的に見て、いい話だなという読後感になる。それはそれで悪くない。このままでも物語としては味わえる。


 二つを比較すると、(序)の存在は紅珠の成長を物語の中心に据え、幼少期の夢と社会規範へ挑む姿を描き出してくれる。おかげで作品のテーマと感動が何倍にも高まり、読者は紅珠の物語に深く寄り添える作品となった。

(序)がない場合も物語は魅力的。でも紅珠の内面のドラマや成長の重みが薄れ、物語の響きがやや弱い。淑瑛の物語という印象で主人公は引き立て役、狂言回し的な立ち位置になる。長編小説なら悪くなく、淑瑛以外にも沢山の人達と関わり、いろいろな経験を経てラスト、父に「仕事を続けていきたい」とお願いする流れなら、序がない形でもありだと思う。

 前回感想に書いたトルゥーエンドで読みたいという表現は、長編で読みたいと思った意味もある。限られた文字数で読者に紅珠に共感し物語に感情移入してもらうには、(序)があるバージョンがいいと感じた。


 三人称、万紅珠視点で書かれた文体。全体的に雅やかで情感豊かに書かれている。化粧や衣装の描写は細やかで、女性の内面を丁寧に描いている。抑制的な会話。感情の揺れを声の大きさや仕草で表現している。後半、規範への反抗が力強い語調で描いている。


 女性神話の中心軌道に沿って書かれている。

 三幕八場構成になっている。

 一幕一場 状況の説明、はじまり

 万紅珠は、万華楼で女性に化粧を施し美しくする仕事、化粧師に情熱を注ぐ若い女性である。幼い頃から結婚せず化粧を生業にしたいと夢見てきたが、許されないと知りつつもその想いを胸に秘めている。ある日、父から大富豪・怜家の奥方、蘭淑瑛の専属として一か月働く提案を受ける。淑瑛は夫・星雅に愛されず、万華楼に助けを求めたのだ。紅珠は醜女を美しく変える楽しみを期待し、怜家へ向かうが、淑瑛は予想に反して絶世の美女だった。

 二場 目的の説明

 紅珠の目的は淑瑛を化粧と振る舞いで魅力的にし、星雅の心を取り戻すことである。淑瑛は三年前に星雅と結婚したが、徐々に疎まれ、「可愛げがない」と責められている。紅珠は淑瑛の美貌に柔らかな笑顔と適度な嫉妬を加え、星雅を惹きつける作戦を立てる。万華楼の名にかけ、淑瑛を愛される女性に変える決意を固める。

 二幕三場 最初の課題

 怜家での初日、紅珠は星雅の冷淡な態度を目の当たりにする。夕餉で淑瑛が話しかけても星雅は無視するかそっけない返事しかしない。紅珠は淑瑛のぎこちない笑顔と過剰な会話が逆効果だと気づく。翌朝、化粧で淑瑛の印象を和らげ、笑顔の練習をさせ、話しかける回数を減らすよう助言する。朝餉で淑瑛の微笑みが星雅の挨拶を引き出し、初めての進展が見られる。

 四場 重い課題

 星雅の態度は徐々に軟化し会話も増えるが、淑瑛は「笑顔を保つのが疲れる」と漏らす。紅珠は万華楼の秘伝である笑顔を続けるよう促すが、淑瑛の疲弊が目に見えてくる。さらに淑瑛が星雅の過去の臆病さや強がりを心配する言葉から、紅珠は星雅が弱さを隠すために淑瑛を遠ざけている可能性に気づく。淑瑛の望みが本当に愛されることなのか、紅珠の中で疑念が膨らむ。

五場 状況の再整備、転換点

 十五日目、星雅と淑瑛の関係は表面上改善するが、紅珠は淑瑛の笑顔が偽りだと感じ、自身の目的に疑問を抱く。二十五日目、淑瑛が星雅の大食を気遣った一言がきっかけで星雅が激昂し、「可愛げがない」と罵る。紅珠は淑瑛を規範に押し込めることが正しくないと悟る。淑瑛の望みを確かめるため、彼女が星雅を愛しているか問う。淑瑛は愛していないと告白し、紅珠は淑瑛を「大輪の花」として解放する新たな目的を見出す。

 六場 最大の課題

 紅珠は淑瑛に、優しさではなく強さを強調する深紅の衣と濃い化粧を施し、規範を破る姿で星雅と対峙させる。淑瑛は星雅に本心を告白し、妻であることが辛かったと伝える。星雅は激怒し、淑瑛の強さに圧倒されつつ離縁を宣言する。淑瑛は穏やかに別れを受け入れ、解放される。紅珠は淑瑛の幸せを優先した選択が正しかったか葛藤する。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 万華楼に戻った紅珠は、父に怜家の結果を報告し、叱責を覚悟する。しかし、父は淑瑛の幸せを優先した紅珠を称賛する。紅珠は勇気を振り絞り、結婚せず万華楼で働き続けたいと父に訴える。父は厳しい現実を指摘しつつ、努力を続けるならと許可する。紅珠は規範に抗い夢を追う決意を新たにする。

 八場 結末、エピローグ

 数か月後、紅珠は万華楼で充実した日々を送る。淑瑛からの文で、彼女が独身ながら充実した生活を送っていると知り、互いの幸せを喜ぶ。ある日、常連の客が淑瑛の「大輪の花」のような姿に憧れ、似た化粧を所望する。規範を破る美しさが受け入れられ始めたことに紅珠は変化の予感を感じ、未来への希望を抱く。


 結婚せず化粧を生業にして生きる夢が許されない謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どんな結末に至るのか楽しみである。


 物語が(序)からはじまる。プロローグはあってエピローグはないのかなと思うけれども、「九」に後日談的なエピローグがつけられているので「結」としなくても問題ないと考える。

 序は導入。

 遠景で「幼い頃、ずっと夢を見ていた」とし、近景で「嫁がないまま、女性に化粧を施すこと生業なりわいにして生きていきたいと」いう具合に距離感を出してから、「それが叶わぬことだと、許されない夢だと知るまで、ずっと――」心情を描くことで深く入っていく。

 主人公は幼い頃、生き方として結婚より仕事を選ぼうと思った。こういう考えをする人は今も昔もいるし、子供のころは自分のやりたいことにやりたい気持ちが強いだろう。現在の未婚率の割合の増加には金銭的な問題もあるので別だけれども、十代二十代の読者は、主人公の考えに共感しやすいと考える。

 化粧や結婚に関わらず、自分のやりたいことが親や周りに反対された経験が、多くの人があるに違いない。主人公の許されない思いを秘める姿に、読者は可哀想だと思いつつ、自分にも同じ経験があったことを思い出すかもしれない。

 物語の冒頭である(序)から、共感させようとする書き方が良い。


 主人公は十八歳、化粧師として働いている。「特に好きなのは、醜女に化粧をすること。美女はどんな化粧を施したってどうせ美しい。それではあまり面白くない」と腕をふるう姿に人間味を感じる。倫理的、道徳的に正しく、誠実で責任感があり、頼れる存在だ。

 経営者である父からも「今回もよくやったね、紅珠」と褒められるほど。

 いまでいうメイクアップアーティスト。華麗で憧れの職業であり、カリスマ的な存在でもあるところから、誰もが望む存在からも、共感を得やすい。 


 序を設けたことで問題もある。

 序から、それほど離れていないところに「嫁がないまま、女性に化粧を施すこと生業にして」書かれている。

 序と一で同じ願望(「結婚せずに女性に化粧を施す生業」)が似た表現でくり返され、トーンや文脈の違いが十分でないため、反復が物語の推進力やテーマを深くすることに繋がらず、ただ「同じことのくり返し」に感じられてしまう。

 つまり、紅珠の心情の変化(幼少期の純粋な夢→挫折や現実との折り合い→現在の情熱)が十分に描けていないのだ。

 序では夢の起源と挫折感が示めされているが、一での「思ったこともあるほどに」が過去の夢を曖昧に振り返るだけで、諦めや忘却、実現、妥協などの変化の具体性に欠け、結果として過去と現在のギャップや紅珠の成長が読者に明確に伝わらない。

 少し手を加えたらいいと考える。

 序では、幼少期の夢を純粋かつ情熱的に描き、社会的規範による挫折感を強調(現状のままでも大丈夫かもしれない)。

 一では、「思ったこともあるほどに」を「かつては~と夢見たこともあったが、今は遠い記憶だ」と表現を変え、過去の夢を淡く、諦めや忘却のニュアンスで振り返る。同時に現在の情熱(化粧への愛、醜女を輝かせる喜び)を具体的に描き、過去との対比を明らかにする。

 それをしただけでは、冗長と重複も気になってしまう。

 元の内容を変えないようにしながら、冗長と重複を避けた表現を心がけてみた。


(序)

 幼いころ、紅珠は夢を見ていた。嫁がず、ただ化粧を施し、女性の顔を花のように咲かせることを生業にしたいと。夜ごと胸に抱いた願いは世の決まりに縛られ、許されない夢だと知るまで、ずっと――。

(一)

 白粉をはたけば女は変わる。頬紅をさし、眉をひき、口紅を塗れば、顔立ちは別人のように引き立つ。髪を高く結い、似合う衣を着せれば、女は美しい花となる。

 化粧師に従事する万紅珠にとって、目の前の女が新しい姿となる瞬間は生きがいだ。かつては生涯歩もうと夢見たが、いまでは遠ざかった願い。それでも醜女を誰もが驚く姿に変えるのが好きだった。美女はどんな化粧をしても美しいまま。それでは面白みに欠ける。

「さあ、よくご覧になってください」

 紅珠が話しかけたのは、大きな鏡にわが身をうつして目をぱちくりさせている、まだあどけなさの残る女。

「……素晴らしいわ。仙術のよう」

 どんな時でも大声をあげないのは淑女の嗜み。それでも、声の中にこらえきれない震えと感動があった。

「ありがとうございます」

 そう言ってもらえると冥利に尽きる。化粧映えのする顔立ちの彼女に施すのは楽しかった。


 文体は雅やかで古典的さを基調とし、情緒を重視している。漢字を多用し、流麗で詩的な表現がなされ、会話は丁寧だが感情の機微を繊細に描写されている。

 情景描写や心理描写が繊細で、女性の内面や美の変化を丁寧に描く。対話が抑制的で、感情が言葉の裏に隠れることがあ多いのは、規範に縛られた社会を反映しての表現だろう。

 女性の内面や社会規範との葛藤を丁寧に描く心理劇が特徴で、化粧や衣装の描写を通じて、キャラクターの変容や自己表現を象徴的に表現している。

 時代設定は明らかでないが、古代中国風の文化や価値観(士大夫、裙、髷など)を背景に、普遍的なテーマ(自己実現、規範からの解放)を扱った、架空中国的古風な都を舞台に伝統的な規範(女は愛されるべき、男は強いべき)が物語の軸となる異世界中華ファンタジーと推測。

 対比の構造が用いられていて、淑瑛の「柔らかな花」から「大輪の花」への変貌、紅珠の「諦め」から「挑戦」への成長が並行して描かれる。

 派手な事件よりも内面的な葛藤や対話が物語を牽引。静かな変革が強調されたドラマが展開していく。

 紅珠の規範への疑問や淑瑛の疲弊が、細かな動作や表情で心理描写が表現され、二人の対話を通じて互いの成長と解放を描く双方向的な物語だ。


 本作のいいところは、テーマの深さ。

 女性が社会規範(夫に愛されること、柔和であること)に縛られる苦悩と、それを打破する自己解放の過程を力強く描かれており、現代にも通じるフェミニズムの視点がさりげなく織り込まれている。

 キャラクターの成長もよく描かれている。

 紅珠が自身の夢を諦めていたところから、淑瑛を通じて再び夢を追い求める姿は美しさの再定義(外見だけでなく内面にゃ自己肯定)が成され感動的。淑瑛の規範からの脱却も説得力がある。規範に縛られつつも挑戦する姿は共感を呼ぶだろう。

 化粧の象徴性も良い点に挙げられる。化粧が単なる装飾ではなく、自己表現や解放の手段として描かれ、物語の核心を強めている。

 星雅の弱さ(強さを演じるプレッシャー)が、単なる「冷たい夫」ではないところも、人間的な側面を与えていてよかった。

 父娘の関係も描かれており、父の意外な理と激励が、紅珠の決意を後押しする場面は心温まる。

 規範を破る美しさが受け入れられはじめるエピローグは、未来への希望的なメッセージを伝え、読者に余韻を残す読後感もよかった。


 五感描写について。

 視覚では、化粧のプロセス(白粉、頬紅、眉、口紅)、衣装(桃色の裙、深紅の裙、黒い帯)、怜家の豪華な屋敷(竹林、中庭、装飾)、淑瑛の変貌(柔和な美貌から気高い女帝の姿)がくわしく描写されていて、物語の情景を鮮やかに彩っている。

 聴覚では、竹の葉のそよぐ音、二胡の音、星雅の怒鳴り声、淑瑛のしっとりした声、紅珠の鼓動、星雅の拳が壁を叩く音など、感情や緊張感を高める効果的な音の描写。

 嗅覚では、金木犀の香り、料理の香り(茶、野菜の炒め物、鶏の揚げ物)が、怜家の雰囲気や場面の豊かさを補強している。

 触覚では、淑瑛の手を強く握る感触、汗が滑り落ちる感覚、化粧筆が肌に触れる感触、紅珠の背筋が伸びる感覚が、感情の動きや緊張を体感的に表現。

 味覚は直接的な味の描写は少ない。料理の香りや星雅の大食を通じて、食事の場面に臨場感を与える。


 星雅が淑瑛に冷たい理由(弱さを隠すため)が後半で明らかになるのだけれど、前半での彼の行動に深みが少ない。彼の内面が主に淑瑛の視点や推測で描かれるところにも原因があるのかしらん。

 星雅の内面や過去をほのめかす描写(たとえば、孤独な表情や過剰な強がり)を星雅自身の台詞や行動で葛藤する姿を早めに示し、読者の共感や興味を引かせてはどうだろうかと考える。

 三人称で書かれているので、紅珠が淑瑛に化粧を施す朝、朝餉前の場面で星雅が自室で一人でいるときに弱さを見せる描写を入れてもいいのだけれど、視点がズレるし主人公が見ていない。

 星雅の弱さを入れるなら、初日の夕餉の後。紅珠が星雅を観察する場面を追加し、彼の微妙な表情や行動を描写してみるのはどうだろうと邪推する。


 食堂を出た星雅の背中を、紅珠は遠くから見つめた。堂々とした歩みに隙はないが、ふと彼が回廊の柱に手をかけ、肩を落とす一瞬があった。重い仮面を脱ぎ捨てる仕草に似ており、瞳に冷たさはなく、どこか怯えた少年のような影がみえた。紅珠は眉をひそめた。あの態度は、本当に淑瑛さまに無関心なのかしら。


 他には淑瑛以外との対話で彼の人間性を垣間見せるところを紅珠が目撃する場面を入れる方法はどうかしらん。

 文字数に限りがあるし、主人公に焦点を当てた方がいいのかもしれない。


 紅珠の弱みとして、規範への従順がある。幼い頃の夢(結婚せず化粧を生業にする)を諦め、社会規範(女性は嫁ぐべき)に縛られている。だから淑瑛の言葉に動揺し、自身の夢を直視することを恐れるのだ。

 また目的への固執も弱みとしてある。化粧から衣装の着付けまで行い「どんな醜女も美しくする」と評判な万華楼を背負って、大富豪・怜家の奥方、蘭淑瑛の専属として一か月働く提案を受けた。だから当初、淑瑛を星雅に愛される女性にすることを盲目的に追求し、淑瑛の真の望みを見過ごしてしまう。万華楼の秘伝に頼りすぎ、柔軟性に欠ける場面がある。

 根底に自己否定があるのだろう。

 規範に抗うことへの不安から、夢を「許されない」と決めつけ、自己肯定感が低い。だから仕事を教えてくれた父親のいうことに従い、化粧師としての技を磨いては女を美しい花へと変えることに喜びを感じてきた。父に夢を訴える際も、叱責を覚悟するなど自信が揺らいでしまう。

 接客業であり技術職でもあるため、どんなお客様相手であっても常に一定水準の施術を披露することが求められる。

 型に準じる紅珠の行動は誤りではないが、仕事というのは上役の顔色を伺ってするものではない。向き合う相手に敬意を払い、己がもつ全てをもって相手の要求に応えようとする。もちろん帰属する店舗や会社、組織に損害を与えない範囲で。

 型に従事してきたからこそ、型を破る道を、紅珠と淑瑛は踏み出せた。

 二人は女という組織に損害を与えない範囲で、社会規範という型を破ったのだ。

 現在、自己肯定感の低い人は多いという。そんな読者は紅珠に共感し、物語に感情移入して疑似体験できるのではと考える。


 それはともかく、紅珠の規範への服従から解放への変化が、淑瑛の提案(父に夢を話す)以降急に進む印象がある。序盤から葛藤を少しずつ小出しにしていくと、成長が自然に感じられるのではと想像し、それらしいものを考えてみる。


(一)の後半

 父は、やり手の商売人の顔でにやりと微笑んだ。

 紅珠は、胸の奥で幼い頃の自分が囁く。どうして化粧師として生きてはいけないの、と。すぐにその声を振り払う。あの夢は、とうに諦めた。万華楼の娘として、いつかは嫁ぎ内向きの務めを果たす。それが定められた道なのだから。

「準備を整えてまいります」

 一礼し、父の視線を背に受けながら歩を進める紅珠の足取りは、どこか重かった。


(三)の前半

 淑瑛の部屋には金木犀の芳しい香りが漂っていて、調度も主張が強くは無いが、一級品が揃っていると一目でわかった。一般的に、夫に愛されない正妻は侍女から軽く扱われやすい。部屋の掃除が行き届いていないことはまま有る。だが淑瑛の部屋は違う。だから、間違いなく淑瑛は侍女たちに慕われている。それは、淑瑛の人徳の確かな現れだった。

 視線は窓辺に置かれた螺鈿の小箱に留まる。瑪瑙や真珠がこぼれんばかりに詰まった輝きは、紅珠には遠い世界のものに思えた。万華楼で働く自分は一時の客人。この屋敷の豪奢な暮らしも、化粧師として生き続ける夢も、いずれ覚める幻なのだ。

 ふと幼い日の記憶が胸をかすめる。化粧筆を手に母の鏡台で笑う少女の姿。紅珠は小さく首を振って、その影を追い払った。ここでは淑瑛さまの望みを叶えることだけを考えなければ。

「良く来てくれたわね、万氏」と、部屋の奥の長椅子に座った淑瑛が言った。


(五)の後半

「……お父上に、その願いを言ったことは無いの?」

 遠慮がちに紅珠を見上げる淑瑛に紅珠の心はさざ波だった。どうして淑瑛は淑やかな顔をで、思わなくてもいい疑問を持って、封じた傷を容易くえぐるのだろう。

 幼い日の自分が父に訴えたあの夜を、なぜ今、呼び起こすのか。

「言ってどうなります。万華楼の娘が嫁ぎもせずに一心不乱に働いているなど、外聞が悪すぎます。あの夜、父に告げられて以来、私はその夢を捨てたのです」

 いささか荒っぽく、紅珠は言い切った。女が金に困ってもいないのに働くのは、卑しいこととされる。赦されているのは若いから。ただ、それだけだ。

「……だから、もういいのです」

 心に、何かが引っかかっていた。諦めたはずのものを、忘れたはずの夢を、引きずり出されたようだった。

 ――どうして生き方を決められなくてはいけないの?

 まだ何も知らない少女だったころの自分が吐いた言葉を思い出し、紅珠はきつく唇を噛み締めた。


(一)と(三)の追加で、紅珠の夢への未練と規範への諦めを小出しにして、(五)で淑瑛の提案に対する強い反応に繋げる。過去の父との会話を匂わせ、紅珠の葛藤に具体的で感情的な深みを加えれば、最終的な決断(父に夢を訴える)に納得しやすくなるのではと邪推してみた。



 ところで本作の社会では、規範(愛されない女に価値はない、女は働いてはいけない)がくり返し述べられているが、その背景や具体例が少ない。規範を体現する脇役や、規範を強制する場面(紅珠が結婚を勧められる会話など)を加えると、規範の重さがより明確になるのではと考える。

 そもそも、本作品の結婚適齢期はいつなのだろう。二十歳前までに結婚するのが一般的で、多くが十八歳までには結婚すると仮定する。二十歳過ぎると行き遅れと言われだし、三十くらいで結婚するのは二度目三度目の人なのかもしれない。

 そう考えると、十八歳の主人公は、友達や同期が結婚したりお見合いしたり、縁談が持ち上がったりという話をよく聞いているはず。万華楼に来る客も結婚のために美しく飾り立てるために訪れているはずなので、必然的に見聞きしてきたはず。

 適齢期云々の説明を書くやり方は、本作では合わない。説明ではなく描写でそれとなく世界観を読者に伝えるのが適していると思われる。

 状況や回想の描写に同僚や母を出し、規範が社会全体に根付いていることをそれとなく示すことで、紅珠と淑瑛が決断する重みが際立ってくるのではと考える。


(一)後半

 紅珠が働く万華楼は、化粧から衣装の着付けまでを行って、「どんな醜女も美しくする」と大層な評判をとっている。その主であるのが、目の前にいる紅珠の父であった。

 帳場の外から、客と同僚の女の声が聞こえる。「お見合いはうまくいくかしら」「ご安心を。殿方に愛される姿に仕立てますよ。それこそが女の幸せですもの」

 談笑する声に紅珠は一瞬、眉をひそめた。愛されることだけが女の価値だろうか。そんな思いが胸をかすめたが、すぐに打ち消す。万華楼の娘として、そんな疑問を抱くことすら許されない。

「ところで、何のご要件ですか? まだ仕事中ですが」と、紅珠は父に尋ねた。


(五)前半

「それは、誰かが勝手に決めたことだと、皆そうと知らずに従っているだけだと、聡明な貴女ならとっくにわかっていたはずです。……私も、ようやく気付きました。けれど、逆らってもどうにもならない。だから貴女は自分を押し込めてきたのですね。淑やかで優しい、蘭淑瑛という型に」

 紅珠は自らを振り返る。

 幼い頃、父に夢を語ったことを母に話すと、静かに諭された。「女は嫁いで家の務めを果たすもの。働くなど、卑しいことよ」その言葉は、胸に冷たく突き刺さった。万華楼で働く女たちは皆、夫を持ち、内向きの務めを果たしながら隙間時間で働く。紅珠のような娘が一生を捧げるなど外聞が悪すぎる、と誰もが言うのだ。

 穏やかな声音のまま、紅珠は話をつづけた。

「どうか一つだけ教えてください。星雅さまを、まだ愛しておられますか」



 離縁の場面で、星雅の怒りと淑瑛の決意の対比がやや淡白な感じがする。クライマックスなので、盛り上がるところ。緊張感と感情的な描写を加えるとインパクトが増すのではと考える。

 星雅の怒りに震えや動揺を加え、淑瑛の決意に微かな感情の揺れ、涙や声の変化)を描写して、場の緊張感と感情の深みを高めるのはどうだろう。

(八)

「……その恰好は何だ!? 気でも狂ったのか!?」

 星雅の声は、回廊に鋭く響いた。だがその瞳は、どこか怯えたように揺れている。月光に照らされた彼の拳は、微かに震えていた。

「いいえ、そうではありません。これが本当の私です」

 淑瑛の声は静かだが、刃のように鋭い。なじられても動揺の影すら見せず、その目は星雅をしっかりと見据えていた。むしろ星雅のほうが、追い詰められた鼠のように必死で吠え立てる姿に、紅珠は息を呑んだ。

「この際、私の本当の気持ちをお話します。私はずっと、貴方の妻でいることが辛かった」

 弱みを告白しながら淑瑛は胸を張っていた。紅珠は見た。彼女の瞳に、決意と共にかすかな哀しみが宿るのを。

「ははっ、ようやく言ったな! お前の仮面は剝がれたんだ!」

 勝ち誇ったような星雅の笑みはどこか脆く、月光の下で不自然に歪んで見えた。

 淑瑛はそんな彼の態度など意に介さず、静かに見つめ返す。

「旦那さま、あなたも苦しかったのですか」

「……何を言う」

 その一言で、風向きが変わった。星雅の顔が、凍りついたように固まった。

「怜家の当主として強くあろうとすることは、辛くはありませんでしたか。あんなに食べて、お腹が苦しくはなかったのですか」

「何を言っているんだお前は!! でたらめを言うな!!」

 星雅は回廊の壁に拳を叩きつけた。鈍い音が夜を切り裂く。だが、その怒声は、淑瑛の問いを肯定するかのように震えていた。女は男に愛されるべき、男は強くあらねばならぬ――その不文律が、紅珠の胸に重く響いた。

「旦那さま、私は今、やっと息ができます。自分を押し込めていたときより、ずっと楽になれました。ですから旦那さまも……」

「うるさい!!」

 淑瑛の言葉をさえぎる星雅の怒鳴り声は、まるで幼子が駄々をこねるように甲高かった。彼の目は恐怖と怒りに濡れ、かつての少年の影を宿していた。

「……そこまで言うなら良かろう。お前も私も不幸なだけなら、離縁してやる!」

 起死回生の一手とばかりに叫んだ星雅の声は、どこか絶望に裏打ちされていた。

 紅珠が盗み見た淑瑛の横顔は寂しげで、けれど不思議なほど穏やかだった。彼女の目尻に、月光を反射する一滴の涙が光った。

「さようなら。……どうか、お元気で」



(九)に登場する、淑瑛に憧れる客の女性は、社会変化を示す重要な役割が与えられているものの、突然の登場で繋がりが薄い。

 おそらく(一)の冒頭に出てきた客。同一人物だとわかるように名前をつけ、彼女の見合いの成功を描写するのはどうだろう。

 つまり(一)で化粧をしてもらった客を、紅珠は送り出して回想する。

 名前はとりあえず、翠華とする。


 翠華と名乗ったその客は、「この姿なら、きっと殿方に愛されます。ありがとう、紅珠さん」どこか控えめな笑みを浮かべて去っていた。紅珠は微笑みで応えたが、胸の奥に小さな棘が刺さった。愛されることだけが女の価値なのだろうか――。


 これを入れておいて、(九)の後半の数か月後、


「今日はどのようにいたしますか」

 目の前の女性――翠華は、紅珠にとって馴染み客だった。最初は彼女の見合いのため、怜家に赴く直前に化粧を施した。あの時、紅珠は彼女を桃花の精のように仕立て、彼女は心から喜んだ。見合いが成功し、婚約が決まった後も、翠花は折に触れて紅珠のもとに訪れてくれている。


 とすれば、同一人物だとよくわかり、再登場で深みが増すと思う。



 気になるのは本作の世界観。架空の中国風世界は非常に魅力的で、異世界中華ファンタジーを好む読者にとっても本作は、好まれる作品だと考える。

 ただ、時代や文化の具体性が薄い。服装や建築以外の要素(たとえば祭りや法律、女性の教育など)に軽く触れられていると、世界観が深まると考える。

 とはいえ、ロング部門で文字数が二万字以内と決められているので、軽く触れる程度に留めるしかないと考える。紅珠の観察や説明を通じて、都の風俗や社会構造をさりげなく描写。物語のテンポを損なわない短い記述に留める程度でいいのではと想像してみる。

 女性の教育や都の文化を紹介し、規範が社会に根付く背景をみせれば、紅珠の異端性が際立ち、彼女が挑んでいく意味がはっきりしていくと考える。また、怜家の社会的地位や都の法を描写して架空世界の文化を具体化することで、怜家の豪華さが物語に意味を持たせられるのではないかしらん。


(一)

 紅珠が働く万華楼は、化粧から衣装の着付けまでを行って、「どんな醜女も美しくする」と大層な評判をとっている。その主であるのが、目の前にいる紅珠の父であった。

 都では、女は詩や礼儀を学び、良縁を得るための教養を磨くのが習わし。紅珠のような娘が働くなど、年に一度の祭でさえ許されず、異端とされる。それでも万華楼が評判を保つのは、父の才覚と規範の枠内で女たちを美しくする技ゆえなのだ。

「ところで、何のご要件ですか? まだ仕事中ですが」と、紅珠は父に尋ねた。


(三)

 数日後にたどり着いた怜家の屋敷は、とても豪華なものだった。重厚な塀で四角くぐるりと囲まれた敷地は広大で、その塀の内側に沿って建物が作られ、中央は庭園となっている。よく手入れされた伸びやかな竹の林や、施された繊細な装飾のすべてに職人の妙技がこらされている。吹き抜ける風に揺らされる竹の葉の音や、どこからか響いてくる二胡の音が、その雰囲気をさらに風雅なものにしていた。

 都の法では、富豪は年に一度の祭に賓客を迎え、自らの財を誇示しなければならない。怜家はその筆頭とされ、星雅の名は祭のたびに都中に響きわたるのだ。

 もう少し見ていたかったが、すぐに淑瑛の侍女だという女性が現れ、そのまま紅珠を引き連れて淑瑛のもとへと歩き出した。


 読後。

 紅珠と淑瑛、女性の自己を解放し規範を打ち破る作品として、非常に魅力がある。化粧で女性を変える場面はワクワクするし、淑瑛が深紅の姿で星雅に立ち向かう場面や、規範に縛られた二人が自分を取り戻す展開は独創的で、実に良かった。

 星雅の動機や紅珠の葛藤の深掘り、規範や背景などを補い、脇役や世界観を充実させれば、さらに強い印象を残す作品になる気がする。

 希望に満ちたエピローグは読む者に勇気を与え、普遍的なテーマは多くの読者に響くに違いない。

 最後、淑瑛の影響が他の女性に広がる展開は感動的で、続きがとても気になる。

 いい作品だ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る