優秀賞

トクさんと僕

トクさんと僕

作者 kanimaru。

https://kakuyomu.jp/works/16818792435417546549


 不登校の中学生瑞希が老人トクさんと出会い、「馬鹿=勇敢」を学び、勇気を得て学校に戻り、トクさんのような教師となることを目指して歩き続ける物語。


 疑問符感嘆符のあとはひとマス開ける等は気にしない。

 現代ドラマ。エンタメ要素を持ち合わせ、純文学的な深みも感じる。バランスの取れた児童文学。

 不登校の中学生が謎めいた老人との出会いを通じて自己肯定感と勇気を取り戻し、未来への一歩を踏み出す感動的な成長物語だ。

 トクさんの上品なキャラクターと「馬鹿=勇敢」というテーマが魅力。

 ハクビや伏線の巧妙な配置が物語を豊かにし、共感と希望に満たされる。

 いい出来。更に完成度を高めて、角川つばさ文庫小説賞、講談社児童文学新人賞、青い鳥文庫小説賞などにも出せそうと思ってしまう。


 主人公は、男子中学生の徳田瑞希。一人称、僕で書かれた文体。内面や感情が丁寧に描写され、葛藤や成長が身近に感じられる。


 女性神話とメロドラマと同じ中心軌道と、絡め取り話法に沿って書かれているように感じられる。

 三幕八場構成になっている。

 一幕一場 状況の説明、はじまり

 六月の終わり、平日の昼前。中学生の瑞希は学校をサボり、公園で時間を潰している。不登校の彼は捨てられた子猫が不良たちにいじめられているのを目撃し、衝動的に立ち向かうが返り討ちに遭う。そこに現れたのはシルバー人材派遣で働く白髪の老人、トクさんだ。彼は不良たちを追い払い、瑞希と子猫を助ける。トクさんは瑞希の行動を「勇敢な馬鹿」と称し、子猫に「ハクビ」と名付け、引き取ることを申し出る。瑞希はトクさんの上品な物腰と「馬鹿」を褒め言葉とする独特な価値観に戸惑いながらも惹かれる。

 二場 目的の説明

 トクさんは瑞希に、シルバー人材派遣の仕事を手伝わないかと提案する。学校をサボって暇を持て余す瑞希はトクさんの穏やかな人柄と報酬の魅力に惹かれ、ゴミ拾いなどの仕事を手伝うことを決める。トクさんの家でハクビを預け、本棚に並ぶ膨大な本に心を奪われた瑞希は、トクさんとの交流を通じて新しい居場所を見つけ始める。瑞希の目的は、トクさんとの時間を通じて自分を変えるきっかけを見つけることだ。

 二幕三場 最初の課題

 瑞希はトクさんと共に駅前のゴミ拾いを始めるが、そこで酔っ払いのヤスさんに「学校をサボっている」と非難される。瑞希の不登校という弱点を突かれ羞恥心に苛まれるが、トクさんが「馬鹿は勇敢な心の証」と擁護し、瑞希を励ます。この出来事で瑞希はトクさんの言葉に勇気を得るが、不登校である自分への後ろめたさは消えない。

 四場 重い課題

 ゴミ拾い中、瑞希は同じクラスの男子二人組を目撃し、動揺して逃げ出す。不登校の自分をクラスメイトに見られたくないという恐怖が彼を支配する。裏路地でうずくまる瑞希に、トクさんは優しく寄り添い、クラスメイトが原因で不登校になったのかと尋ねる。瑞希は「いじめではなく、ただなんとなく学校が嫌になっただけ」と告白し、情けない自分に苛まれる。この弱さを克服することが、瑞希にとっての重い課題となる。

 五場 状況の再整備、転換点

 トクさんは瑞希に「馬鹿になって自分の思いを伝えろ」と力強く促す。「馬鹿」の語源を語り、勇敢な行動の重要性を説く。瑞希はトクさんの言葉に突き動かされ、クラスメイトに追いすがり、「学校に戻ってもいいか」と勇気を振り絞って伝える。意外にも温かく受け入れられ、瑞希は安堵と喜びに涙する。この瞬間、瑞希は学校に戻る決意を固め、トクさんとの絆をさらに深める。

 六場 最大の課題

 夏休みも瑞希とトクさんは順調に仕事をこなすが、二学期から学校へ行くようになった瑞希。九月が終わるある日、ハクビが慌てた様子で瑞希をトクさんの家に導く。そこには倒れているトクさんがいた。瑞希は救急車を呼び、トクさんは一命を取り留め入院。瑞希はトクさんの安否を案じながら、彼の正体に疑問を抱き始める。トクさんの家や言動の不思議な点、病室のネームプレートに書かれた「徳田瑞希」という名前から、トクさんが未来の自分ではないかという突飛な仮説を立てる。

 三幕七場 最後の課題、ドンデン返し

 トクさんの病室を訪れた瑞希は、トクさんに三つの質問を投げかける。結婚や病気の有無、そして「トクさんは僕なのか」と。トクさんは核心をはぐらかし、瑞希の推測を否定も肯定もしない。代わりに自分の本をすべて瑞希に譲り、見舞いにも来なくていいと言う。瑞希は未来を知る必要はないと受け入れ、トクさんが未来の自分である可能性を心に秘めたまま別れる。この曖昧な別れが、瑞希の人生に新たな意味を与える。

 八場 結末、エピローグ

 九年後、瑞希は国語教師として中学校の教壇に立つ。初めての授業で生徒に「馬鹿」とからかわれるが、トクさんの教えを思い出し、「馬鹿は勇敢な人に使う言葉」と堂々と返す。トクさんの上品な笑顔を思い浮かべながら、瑞希は教師としての第一歩を踏み出す。トクさんとの出会いが、瑞希を不登校から救い、人生の目標を与えた。ハクビとの再会やトクさんの言葉を胸に、瑞希は自分もいつかトクさんのような教師になれると信じ、未来へ歩み続ける。


 馬鹿の謎と、主人公に起こる様々な出来事の謎が、どう関わり、どのような結末に向かっていくのか非常に興味を抱く。

 セリフからの書き出しは、読み出しやすい利点と、読者は相手が何者なかわからないため感情移入できない欠点がある。だからこそ、知らない第三者から言われたセリフからはじまる本作は、読者は主人公と同じ境遇、気持ちに寄り添って読み出していける。

 遠景は、聴覚でトクさんのセリフ。近景で今がいつなのかを示し、心情で眼の前の白髪の男の様子を描いていく。

 開始早々「馬鹿ですね、あなたは」と言われてはじまるのだ。

 関東の人は軽く言われたニュアンスで受け止めるかもしれないが、関西だと相手は相当怒っているし、言われた方も頭にきて喧嘩になりかねない。それくらいインパクトを感じる。

 トクさんの容姿から考えると、おそらく作品世界は関東方面。主人公に対して同情しながら諭すような印象。関西なら「アホやな」と吹き出して笑いながら、でもそういうところめっちゃ好きやでと慰めてくれる、そんな場面からはじまる。

 馬鹿だと言われた主人公は殴られていて、口から血も出ている。

 まだ状況がわからないが、なんだか可哀想。

 話が進んでいくとヤンキーから子猫を守ったことがわかって人間味を、不登校なところから孤独さを感じ、憎めないような主人公に好感を抱きつつ共感を持って読み進めていける。気づけば一話が終わって二話へと読み進めている。

 先へ先へと読み進めていけるよう書かれているところが上手い。


 好々爺然という表現は、なかなか中学生は使わない。本作は三人称ではなく、一人称で書かれているのでなおさら違和感がある。ただ、主人公は読書家だと読み進めていくとわかってくるので、語彙力は高いのではという推測が成り立つ。

 だが冒頭でいきなり好々爺然を使うと、この主人公はどんな人物なのか、本当に中学生かしらんと疑って物語に没入しづらくなるのではと思ってしまう。

 物語最初はもう少し平易な表現「目の前にいるのは、いかにも優しそうな白髪の老人だった」で伝え、主人公が読書家で語彙力があることが明らかになってから地の文や会話で「好々爺然」を使ってもいいのではと考える。

 それでも冒頭で使うなら、「自分でもこんな言葉を使うのは珍しいけど、目の前にいる白髪の男は、好々爺然がぴったり」みたいに、主人公自身が語彙の高さを自覚して用いて個性を引き出してもいいかもしれない。

 読書家である伏線として用いて中盤で回収されているので、バランスは取れているけど冒頭の違和感が強いので、もう少し語彙力や読書家であることを匂わせてもいいかもしれない。


「馬鹿ですね、あなたは」

 六月の終わり。平日。昼前。

 目の前にいるのは、いかにも好々爺然とした白髪の男だった――なんて言葉を心の中で当てはめてしまう。普通の中学生なら「優しそうなおじいさん」と思うのかもしれない。でも本好きの僕の頭には、どうしても読んだ言葉が浮かんでしまう。

 男は年輪のような皺が刻まれた顔に、穏やかな微笑みをたたえて僕を見下ろしていた。上下青の安全ベストは市のシルバー人材派遣のものだったが、彼が着るとどこか品があるように見えた。それほど上品な顔に「馬鹿」という単語はあまりにも不似合いだった。


 ヤンキーから子猫を守って喧嘩沙汰になってトクさんに助けられたあとの場面から物語がはじまっているところがいいなと思った。

 つい、ヤンキーに殴られる動きのある場面から作ろうとするところを、事後からはじまる書き方をすることで不要な登場人物を出さずに済み、最小限の人数で物語を進めていくことができる。

 書き出しが本当に上手いなと思う。

 

 言葉が大きい印象がある。大きいとは、抽象的、説明的な表現が多く、具体的な描写が足りないという意味合い。

 たとえば、「トクさんはゴミを拾おうとかがみながら笑った。相当な歳だろうに、よくもそんな簡単にかがめるものだ」

 両膝を曲げてその場に腰を落とすようにしゃがんだのか、片膝をつくような姿勢でゴミを拾ったのか、膝を曲げずに前かがみになりながら腕を伸ばして拾ったのか。

「すると、好々爺はおどけた」も、口元をゆがめて眉を上げてみせたのか、肩をすくめていたずらっぽく笑ったのか。具体的な動きや表情で描写すると、キャラクターの個性が際立つ。

 トクさんの家を「一軒家」と書かれても、どんな家なのか、生活感や雰囲気が伝わらない。平屋で玄関先には鉢植えが並んでいるのか、二階建てで窓にはレースのカーテンがかけられているのか、縁側があり日差しが木の床を照らしているのか。外観や内装、雰囲気を一、二行だけでも具体的に描写されていると、読み手の想像力が刺激されて、さらにのめり込んで読める。

「微笑んだ」「上品な顔」なども同じく、意味は伝わるけれどもどんな表情、どんな輪郭、肌やヒゲなのかがぼんやりしている。

 ハクビの名付けのところで、トクさんが白い髭をはやしているのがわかる。白髪の男の時点で、白髭もみえているはず。「綺麗に整えられた自らの白い髭を撫で」「白い髭に囲まれた口を開く」どうしてもっと前、登場した頃から表現されていないのかしらん。トクさんの個性的な一面なのに。

 きれいに整えられたとあるけれどもどのようにはているものなのかしらん。

 頬から顎、口元まで全体的に生えているのか、口の上にフサフサした白いヒゲに顎にもあり、頬は薄めなのか。あるいは、モシャモシャとサンタクロースみたいな白髭かもしれない。


「トクさんは、」からはじまる文章が続くので、少し削るとリズムが良くなる。


 くり返しの展開が素晴らしい。

「主人公が困難に直面し、トクさんに助けられる」「主人公が救う側に回る」など、物語の流れの中で繰り返される構造に注目して、編集的に簡潔にまとめます。

 前半は、主人公が困難に直面しトクさんに助けられる。

 ヤンキーから子猫を助けた主人公が逆に殴られ傷つく。

 →トクさんが現れ、助け出す。

 駅前でヤスさんに非難され、心が傷つく。

 →トクさんが「馬鹿の何が悪い」と主人公を庇う。

 クラスメイトを見かけて動揺し、逃げ出す主人公。

 →トクさんが励まし、「馬鹿になってみろ」と背中を押す。

 そして後半、主人公が救う側に回る。

 トクさんが倒れ、今度は主人公が子猫(ハクビ)に導かれ救急車を呼び、トクさんを助ける。

 トクさんの正体と向き合い、自分の成長と未来を自覚する。

「助けられる側」から「助ける側」へ役割が移り変わることで、主人公の成長が際立つ。

「困難→救い→再び困難→救い→最大の困難→今度は自分が救う」というリズムが物語に安心感と高揚感を与え、読者に主人公の心の変化を印象づけ、最後に主人公自身が「勇気を伝える側」として教師となり、トクさんの教えを次世代へと渡す流れに繋がっていく。

 くり返しの展開が、物語全体に一貫したリズムと深みを与え、 主人公の成長がより鮮やかに読者の心に刻まれる構造になっている点が大きな魅力。

 本当によく出来ている。


『夏への扉』はタイムリープを扱うSF小説。本作『トクさんと僕』でも「未来の自分(トクさん)が今の自分(瑞希)を導く」構造があり、時間を超えた自己救済というテーマが共通している。

 作中で『夏への扉』が登場するのは、単なる小道具ではなく、「過去と未来の自分がつながる」物語の仕掛けやメッセージとして深く関係しているのだろう。


 平易でリズミカルな文体。主人公である中学生の視点に合わせ、簡潔で読みやすい文で綴られている。会話文と地の文がバランスよく配置され、テンポが良い。

 トクさんの「馬鹿」の語源やハクビの名前の由来など、言葉に深い意味を持たせる表現が随所に見られる詩的で情緒的な表現がされている。ある種の蘊蓄も、興味を惹かれるところ。

「しかし、だが、でも、けれど」など逆接の接続詞が全体的に多めに使われている。ジャンル標準から大きく逸脱しているわけではないのだけれども、「しかし」「だって」「それに」「だが」など、逆接や補足の接続詞が近い位置でくり返し使われているところは、一部の接続詞を省略しても意味が伝わるので、削ったり文章の切り方などを工夫して読みやすくするといいと考える。

「しかし」が段落頭で連続して使われていると、単調な印象を与えてしまう。二度目の「しかし」は「または」「加えて」など別の接続詞を用いるか、接続詞無しで文をはじめるとリズムが良くなる。

 推敲時に読みながら、「この接続詞は本当に必要か?」を意識してみて。

 また、短い間隔の中で同じ単語の連続は目立ちやすく、読んでいると目が滑ったり、読みづらくなったりする場合がある。強調といった意図的な反復以外は、言い換えや省略を考えてほしい。一人称の僕は、地の文が続く場合は省略できる。「馬鹿」など、物語のキーワードはむしろくり返しが効果的。


 読点や漢字の閉じ開きも考えてみてほしい。たとえば「今子猫は僕を労るように左手を舐めていた」の文は、「いま、子猫は~」にすると、時間の切り替えや主語の明確さ、情感の伝わりやすさなどがよくなる。


 自己肯定感や不登校という重いテーマを、「馬鹿=勇敢」という独自の視点で肯定的に再定義するように描き、読者に希望を与えているところが実にいい。トクさんの「馬鹿」の語源話は、物語のテーマを象徴する印象的なエピソードだった。

 トクさんの上品で謎めいた人柄と、内省的視点で瑞希の抱える等身大な葛藤が描かれているところに、共感を呼ぶ。ハクビは愛らしい存在感で物語を和ませているのも良かった。ディズニー映画をみればわかるように、ペット的動物が出てくると場が和む。

 伏線の効果的な配置がされていて、トクさんの正体に関する謎(写真立てやネームプレート、本棚など)が細かい描写で自然に散りばめながら徐々に示されては読者を引き込み、最後のどんでん返しにつながるところがよく描けていた。

 日常的なゴミ拾いや学校生活の中に、トクさんの正体を巡るSF的要素が織り交ぜられ、物語に奥行きを与えている。

 時代背景の曖昧さがあり、現代日本を思わせるが具体的な時代やテクノロジーの描写が少なく、普遍的な物語として機能している。つまり、読者の年齢や時代に左右されずに本作を楽しめる作りになっているのが好意的に思える。

 クラスメイトとの対話や、トクさんとの別れは、瑞希の成長とトクさんとの絆を感動的に描かれていて心を打つ。

 九年後の瑞希が教師としてトクさんの教えを体現する姿は、物語のテーマを締めくくりとしてもよく、希望と成長のメッセージを残していて余韻がいい。


 五感描写は、特に視覚と触覚が豊富で、瑞希の感情や環境の雰囲気を効果的に伝えている。

 視覚では、トクさんの「年輪のような皺が刻まれた顔」や「白い髭」、ハクビの「純白の毛に丸い月のような目」など、キャラクターの外見が鮮やかに描写される。

 環境描写も具体的で、「公園の木の影が色を濃くしていっている」「砂埃がぱらぱらと舞う」など、情景が目に浮かぶ。

 トクさんの家の「本棚に囲まれた壁」や「倒された写真立て」など、細部が物語の雰囲気を補強している。

 聴覚では、ハクビの「にゃあおん」「ゴロゴロと喉を鳴らす」などの鳴き声が、物語の軽やかなトーンを支える。

 環境音として「救急車のサイレン」「個室の電話の音」など、状況を強調する音が効果的に使われている。

 トクさんの「落ち着きのある声」やヤスさんの「声を荒げる」描写が、キャラクターの感情を際立たせる。

 触覚では、瑞希の「全身が鈍く痛む」「ハクビが左手を舐めるくすぐったさ」「トクさんのごつごつした温かい手」など、身体的な感覚が感情的な場面を強調されている。ゴミ拾い中の「額に滲む汗」や「腰の痛み」が肉体的な疲労感を具体化している。

 嗅覚では、「ぬるい風が鼻を伝ってくる」など、環境の微妙な変化を描写。嗅覚描写は控えめだが、状況の臨場感を補っている。

 味覚では、「口を動かすたびに血の味がする」など、暴力の影響を具体的に描写し、瑞希の苦痛を強調している。


 主人公の弱みは、不登校による自己否定感があること。

 瑞希は学校に行けなくなった理由が「なんとなく嫌になっただけ」と曖昧で、情けない自分に苛まれる。この自己否定感がクラスメイトとの対面を避ける原因となる。クラスメイトに見られることを極端に恐れ、裏路地に逃げ込むなど、内向的で自信が持てない性格が行動を制限している。

 また、子猫を助けるために不良に立ち向かうが返り討ちに遭うなど、行動が衝動的で計画性に欠ける。トクさんが未来の自分かもしれないという推測に動揺し、未来を知ることへの恐怖を抱くようすをみせるが、これまでトクさんと一緒に過ごした日々と、「きみは白眉の少年でもあり、大馬鹿者でもあったんですね」という最大級の賛辞を受け取り、前へ進んで行く強さを得ていく。


 ヤスさんのキャラクターが突然登場し、和解も早いため、背景が薄く感じてしまう。ヤスさんやトクさんの一言に「以前からの知り合い」であることをにじませればいいのだけれども、トクさんが「未来から来たかもしれない」「謎めいた存在」なのは大きな魅力なので、謎を守りつつ、ヤスさんとの対話に自然な深みを加えてはどうかしらん。


 そんな愚にもつかないことを考えていると、男の声が僕らの方に飛んできた。ちょうど、駅前にあるコンビニの前でのことだった。

「おお、トクさんじゃねえか! シルバーやってるんだってねえ!」

 僕は顔を上げて声の方を見る。そこにはコンビニの前のベンチにだらしなく座る、トクさんより少し歳下ぐらいのスキンヘッドの男性がいた。男性は顔を赤らめていて、ベンチには缶ビールの空き缶がいくつも転がっていた。

「やあヤスさん。ゴミ、もらっていきますよ」

 トクさんはニコニコ顔で空き缶に手を伸ばし、持っている透明のビニール袋の中に入れた。

 ヤスさんと呼ばれた男性は、トクさんと愛想よく話していたが、僕に気づくと顔を顰めた。

「なんだあ、あんた。トクさんに孫なんかいなかったよな? しかも制服なんか着て、まだ昼すぎだぞ。もしかして学校サボってんのか?」

 ヤスさんの口調にはどこか責めているようで、僕の胸は痛んだ。

 ――わかってるよ、そんぐらい。

 心中で放ちながらも、無視をしてゴミを拾う。

 ヤスさんは、ちらりとトクさんに視線をやり、少し声を落とした。

「そういや、あんたは困ってる奴見ると放っとかねぇよな」

 トクさんは変わらず穏やかに微笑んでいた。

「人を助けるのに、理由はいりませんよ」

 ヤスさんは僕を見て、今度は少し強い口調になる。

「おい! 若造のくせに無視とはなんだ! 学校も行ってないからそんなふうになるんだぞ! 馬鹿になっていいのか!」

 ヤスさんは辛辣に大声で僕を非難した。それがなんとも言えぬほど恥ずかしくて、顔中が熱くなっていく。

 酔っ払いの戯言だとはわかっている。それでも、込み上げてくる胸の痛みを抑えることはできない。途端に、軍手をして箒を持つ自分の姿が情けなく思えてきた。

「馬鹿の何がいけないのですか」

 トクさんの声だった。いつも通り丁寧な口調なのに、どこか毅然とした声だった。僕はトクさんを見る。そこに浮かんでいたのは柔らかな笑顔ではなく、真剣な、鷹のように鋭い表情だった。キラキラと輝く瞳がヤスさんを見ていた。

 ヤスさんは気圧されたように黙っていた。トクさんが続ける。

「学校に行かないことの何が悪いんですか。学校に行かなくたって、この子は勇敢で優しい心を持っています。それで十分ではないんですか」

 鋭く射抜かれたヤスさんは中途半端に空気を掴むようにパクパクと口を開いた。丸顔も相まってふぐみたいだったが、やがて言葉が見つからないといったふうにすぼめた。そして俯きながら言った。

「……まいったな、やっぱトクさんには敵わねぇや。にいちゃん、ごめんな」

「あ、いや、全然大丈夫です。サボってるのは事実ですし」

 慌てて言うと、トクさんの落ち着いた声が背中に降ってきた。

「瑞希くん。このあたりのゴミは拾い尽くしたと思うので移動しましょう。ヤスさん、お酒はほどほどにしないと奥さんに怒られますよ」

ヤスさんは、照れくさそうに頭をかきながら、

「……またな、トクさん。あんたの言うことは不思議と信じたくなるんだよな」

 さっきまでの表情が嘘のように穏やかな表情をしたトクさんの背中を、僕は慌てて追いかけた。


 ヤスさんとトクさんが「完全な他人」ではなく、地域の中で何となく付き合いがあることを説明せずに匂わせ、ヤスさん自身がトクさんに一目置いている様子を短く示すことで、和解の早さにも納得感が生まれるように、余計な邪推をしてみた。


 瑞希の不登校理由が「なんとなく嫌」と曖昧なままなので、読者によっては動機を弱く感じる人もいるかもしれない。

 なんとなく学校に行きたくない、という子は実際いるので、現実味を感じられるような気はする。でもよく読んでみると、「あの嫌な性格をした担任教師を思い出してしまう」「そうだよ。確かに担任は嫌なやつだけど」とあることから、不登校理由は、担任と関係していると想像できる。そのへんをもう少し掘り下げてもいいかもしれない。

 瑞希の心理的背景(家庭環境や担任との関係など)をもう一場面加えて具体化すると、キャラクターの動機がより共感しやすくなるのではと考える。

 また、七月中旬に見かけたクラスメイトの二人と主人公との関連を出すために、描写や背景をもう少し描き加えるといいのではと考える。

 メガネを掛けているとか背が高いとかの外見描写とか、席が近いとか、二人から逃げたり謝ったりする動機づけが、もう少しあってもいい気がする。

 それがあると、このあと主人公は登校するようになるので、あの二人のいるクラスで主人公は学校生活を過ごしていると、読み手が思いやすくなるのではと考える。


 ハクビは、主人公にとって橋渡し的な、重要な役割があるのだけれども、最初のトクさんと出会うきっかけと、倒れたとき知らせに来る場面以外、活躍が控えめ。

「トクさんの仕事がない日は、トクさんの家で読書をしたり、ハクビとじゃれあったりした」と書いてあるけど、日常的な場面でハクビの行動や瑞希との絆をもう少し描写されていると、感情的な結びつきが強まるのではと想像する。

 トクさんと仕事をしているときもハクビがついて歩いたり、仕事がなくてトクさんの家で読書しているときは、寄り添ってまるくなっていたり。いつも一緒にいるような感じを出せば、トクさんが倒れたことを知らせに主人公のもとにやってくるのがすんなり受け入れられるのではと思う。


 主人公とトクさんと会わなくなるあと、ハクビはどこにいくのだろう。それが少し気になった。トクさんが未来から来ているのなら、ハクビも一緒についていったのかもしれない。もしくは、トクさんと一緒に未来からきた猫かもしれない。

 ひょっとすると、未来のトクさんを過去の瑞希にあわせるためにタイムトラベルをしたのはハクビの力では、と邪推する。

 未来のトクさんは、不登校をしていた中学のとき、力になってくれる人がいてくれたら良かったのにと思っていて、ハクビがその願いに答える形でタイムトラベルをしたのが本作なのかもしれない。 


 トクさんが未来の瑞希であることを暗示する描写は効果的なのだけれども、トクさんの正体に関する曖昧さが、読者によっては物足りなさを感じるかもしれない。

 最終的な結論をもう少し明らかにするか、曖昧さを意図的に強調するテーマ性を地の文で補強すると、読者の納得感が高まるのではと考える。

 病室にソファがある個室ということは、かなり高い。トクさんはお金持ちなのかしらん。それとも町の有名な人なのか、病院に多額の寄付をしている人なのか。

 あるいは一人部屋で壁を背もたれにするようなソファなのかもしれない。

 読んでいてふと思ったのは、お話全体が不登校をしている主人公を再び通学させるために、トクさんが未来からやってきたのではなく、世界の人たちが主人公のために力を貸しているのでは、ということだった。

 主人公にとって、優しい世界だと感じた。

 もう少し登場人物の背景や描写を描くと、いま以上に物語世界で主人公が生きていると感じられる気がする。


 ラストで九年後と時間経過する。

 主人公は中学生なのだけれども学年がわからない。読んだ感じだと、中学一年生かなと思ったので、九年後だと大学四年生。教育実習生として教壇に立っている可能性もあるけれども、「しかも、僕が受け持つ二年四組の生徒たちはお調子者が多いとの評判だ。新任の僕が上手くまとめ上げられるのだろうか」とあるので、新任教師。

 だとすると、本作は中学二年生だと推測できる。二年生になって、なんとなく不登校になったみたい。中学校が馴染めないなら、一年生から不登校になる。二年生からということは、一年までは通えていたので、何かしら原因があるはず。

 トクさんが国語の教師だったこと、のちに国語教師になることを考えると、主人公が不登校になった原因は国語教師をしている担任と馬が合わず、何かしらトラブルがあって、それから行かなくなったのだと想像する。

 なので、もう少し理由を書いてもいいのではと考える。


 読後、タイトルを読み直す。

 トクさんとの日々があったからこそ、国語教師となれたんだとしみじみ伝わってくる。

 トクさんの温かくて上品なキャラクターがすごく魅力的で、瑞希の不登校の悩みに共感しつつ読めた。

 ハクビが可愛い。猫好きにとっても、いい話。「馬鹿」の語源からの考え方が印象的で、勇気を出して行動する大切さを感じられた。トクさんが未来の瑞希かもしれないという展開は驚きだったけど、結局どうなのかわからず曖昧でモヤモヤした。

 瑞希が教師になるエピローグは感動的。読後は、主人公はいい教師になるにちがいないと思えてくる。

 もっとトクさんやハクビとの日常シーンが見たかったと思わせる、いい話だった。


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