第五章 家族になる場所

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 陽が落ち、あたりはすっかり暗くなっていた。

 村へ戻ると、エルが目を覚ました。どうやら、夢を見ていたらしい。

 リルは泣きながら、その小さな体を抱きしめ、何度も無事を喜んだ。


 エルの服は裂け、血の跡がこびりついている。けれど陽菜は、その理由をリルに告げることはしなかった。


 詰め所に帰る騎士団たちと別れ、陽菜たちは、リルの家にたどり着く。

 だが、そこで小さな騒動が起きた。

 トールが玄関のドアに挟まり、どうしても通れない。体を引っ込めようとしても、前足も後ろ足も宙に浮いたままで、どうにもならなかった。


 見かねたチロが、ふるふるしていた尻尾をぴたりと止め、聖獣の姿に変身する。そのまま後ろから、トールのお尻をぐいっと押す。しかし、動いたのはトールではなく、ドアの方だった。ドア枠が「メリッ」と不穏な音を立てて軋む。


 チロの変身にも微動だにしなかったリルが、思わず叫んだ。


「ちょっと、家が壊れるからやめて!」


 トールは情けなさそうに尻尾をしゅんと下げ、観念して庭に出た。

 その夜は、星空の下、土の上で過ごすことになった。


 家の中には、美味しそうな匂いが立ちこめていた。


「さあ、みんな。お腹は空いてるでしょうけど、そんな格好じゃ夕飯どころじゃないわ」


 リルが微笑む。


「外のかまどに湯桶を置いてあるから、そこで体を拭いておいで」


 言われて陽菜は、簡素な板で囲まれた竈のある小さな部屋で、湧いた湯を湯桶に移し、血糊の付いた服を脱ぎ、布で丁寧に体を拭いた。じんわりと伝わる温もりに、ふぅ、と小さく息をつく。

 それから、リルが用意してくれた服に着替える。


「お先です」とリルに声をかける。

「ほら、エルも拭いておいで」

 促されるまま、エルは泥だらけの足でぱたぱたと走り、かまどの方へ向かっていった。

 しばらくして、違う服に着替え、どこか誇らしげな顔で戻ってきた。頬もほんのり赤くなっていて、すっかりさっぱりした様子だった。


「さて、ワンちゃんは、何が好物かしら?」


 足元でちょろちょろと動き回るチロに目をやりながら、リルがふと笑う。


『ワンちゃんじゃない! 僕は女神さまに選ばれし聖獣だぞ!』

「わんわん! わんわんわん!」


「あら、元気ねぇ。よしよし、お腹すいたのね」


 チロは尻尾をぶんぶん振りながら、盛大に吠え続けた。だが、言葉は通じていないようで、ただのかわいい犬扱いである。本人(?)のプライドは、地面の奥深くに埋まりつつあった。


「手伝います」


 陽菜は腕まくりをする。


「ありがとう。じゃあ、これをテーブルに運んで」


 陽菜は鍋から、ジャガイモとラディッシュとルッコラを、ヤギのミルクで煮込んだスープを、椀に注いだ。野菜は全部、再生した畑から採れたリーヴェ産だ。

 椀をトレイに載せ、食卓に運ぶ。次に、国から支給されたパンを籠にいれ、テーブルの中央に置いた。


 同じものを、庭のトールにも持って行った。


「ごめんね。外、寒いよね」

『気にしねでくれ。慣れてる』


 トールは丸まっていた体を少し起こし、湯気の立つ器に目をやった。

 その表情は相変わらず無口で、けれど、どこか嬉しそうだった。


 外は、風に揺れる草の匂いに混じって、季節の変わる気配が漂っていた。

 春が、もうすぐ終わろうとしている。空の色も、少しずつ夏の光を帯び始めている。


『陽菜。陽菜の分も、みんな食べちゃうよ!』

 チロが窓の桟に飛び乗り、コツコツとガラスを前足で叩いた。


『分かった、分かった。今行くから』

 陽菜は小さく笑いながら、トールの頭をそっと撫でた。

 その毛並みは硬く、ごわついていて、でも不思議と温かかった。


『また、あとでね』

『……ああ』

 トールは静かに頷く。


『ああっ! トールばっかりずるい! 僕も撫でてほしい! なでなでしてぇー!!』

 チロが窓の向こうで跳ねながら、ふるふると尻尾を振りまくっている。

 まるで、本当にただの元気な犬のように。


 陽菜は苦笑しながら、立ち上がった。

 今日は、にぎやかな夜になりそうだ――と思った。

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