親愛なるあなたは火葬

てまきまき

第1話 親愛なるあなたは火葬

今年の梅雨は例年より短いらしい。


朝のニュースでそう言っていた気がする。

きっとどうでもいいことだろう。


弟が死んでから早三日が経つ。

気持ちの整理なんて到底つきようがない。


だが、社会は塞ぎ込むことなど許してくれないらしい。


葬式が終わるや否や学校が始まり今に至る。


あいつの葬式で泣くことができなかった。

そう思うとやるせ無い気持ちになる。


お前はあいつの死を悲しめていなかったのだ。


誰も知らないもう一人の自分が

自分に後ろ指を刺した気がした。


ポツンッ


自分の世界に入り込んでいた俺を

渡り廊下の雨水が現実へと戻す。


体育館と校舎をつなぐ渡り廊下。

ほとんど外に曝け出したそれは通路を

守るには頼りない一枚のベニヤの天井に

守られている。

そのためだろうか通路はよく濡れていた。


そんな中、体育館から誰かが話しながら

通路に向かってくる音がした。


顔を見る。おそらく他のクラスの人だろう。

顔も知らない彼女らの体操着には同じ学年で

ある赤色のラインが引かれていた。


「なぁ、またニュースでミレンビトやってたよ。」


「もうほんと嫌になるねー。一回死んだならもう

帰ってこないでほしいわー。」


「ミレンビトって、人に未練があったら、あの世に連れていくんでしょ?怖いわー。」


「そう!まじで帰ってくんなし。って感じね。」


彼女達の会話を聞いて何かにハッとした。


頭に弟の顔が思い浮かぶ。

あいつが、春が、帰ってきてるかもしれない。

そう思うと居ても立っても居られず、

保健室に行き、早退の手続きをした。


「カフカくん‥弟さんのこともあったもんね。

無理しないようにね。」

落ち込んでいるように見えたのだろうか。

先生はそんな優しい言葉を投げかけてくれた。

「はい。」


だが決して落ち込んでいるわけではなかった。


弟の未練がありそうな場所。人。もの。

そのどれかを一つづつ手探りに探していく。


あいつが好きだったもの、ショートケーキ、シュークリーム、苺大福。

甘いもの全般が好きだった。


探そうにも、あいつは好き嫌いしないタイプだったので、候補が上がりすぎる。


学校の帰り道。傘をさして必死に考える。


あいつがきそうな場所…。

家、学校、公園‥。


突然思い当たる。

「もしかしたら…」


あいつはサッカーが好きだった。

よく俺のサッカーの練習に付き合ってくれて、

近くの公園で一緒にサッカーをしたものだった。 


最近はサッカーができる場所も減ってきているが

その公園は人がおらず、

サッカーの練習するには最適であった。


雨が降ってるとはいえ、

昼過ぎにしてはあまりに暗すぎる公園。

いつも誰もいない公園に

見覚えのある背中がいた。


「春!」

その声に応じたのか

そいつはゆっくりと振り向いた。

「春‥」


そこにいたのはいつもと変わらない弟の姿だった。

「春‥!」

自分の背の半分くらいの弟を

必死に抱きしめる。


弟は口を少し動かしたが、何も言わず立っていた。

「春‥帰ろう。」


傘を刺した手とは反対の手で手を繋ぎ一緒に

家へと歩く。


春は何も言わずについてきた。

弟がミレンビトであることなどどうでもよかった。

そこにいたのは大好きな一人の弟だったからだ。


家に着く。刺した傘を畳み、傘についた雨粒を

払った時だった。


ドアの横に見知らぬ女性がいる。

女性と目が合うや否やその女性話しかけてきた。


「君‥それがなんなのか知っているのか。」


長い黒髪をポニーテールにしている眼鏡

をかけた女性はそう呟いた。


「はい‥。」


「そうか‥。どのくらい一緒にいる?」


「小一時間ほどです。」

その返答が意外だったのかその女性は

ひどく驚いた顔をした。


「‥ありえない。」


その女性の腰あたりにだろうか、銃のような

形をしたものがぶら下がっているのが見えた。


世の中にはミレンビトを殺す専門の職業もあるらしい。

どこかで聞いたその言葉が頭の中を反芻した。


「弟は無害です。実際俺が何もされていないのが何よりの証拠です。

きっと俺と一緒に少し暮らせば未練が晴れて、元の世界に帰ると思います。」


根拠も何も無いことをそれっぽく胸を張って言う。


「そうか…。まぁ確かに何も無いなら‥。」

女性は少し納得した様子で戸惑いながらも

うなずいた。


「一応君にこれを渡しておく。私の電話番号だ。

いずれ必要になる時が来るだろう。」


女性は番号の書かれた紙を渡すなり

雨の中へと歩いていった。

「じゃあな。」


女性の前では冷静を保っていたが、彼女が去ると

胸の内にとどめていた緊張が溢れる。

弟が殺されるかもしれない。

そう考えただけで冷や汗が止まらなかった。


ドアを開ける。

「ただいま。」


いつも家に帰ってきた時この言葉を言うものの、

家にいるのは大抵弟のみだった。

家族は海外で働いておりこの家に帰ってくるのは

1年に1回程度であった。

彼らを見たのはつい先日の弟の葬式が最後だ。


まぁ、その弟も式をあげたと言うのに

変わらない姿でここにいる。


「ほらっタオル。めっちゃ濡れてるじゃん。」

弟の髪をタオルで拭く。


弟は雨の中あそこでずっと待っていたのだろうか。

そんなことを聞こうにも彼はきっと何も喋らない

だろう。


風呂を沸かし弟に話しかける。


「春はどうして戻ってきたんだ?」


「…」

弟は相変わらず黙り込んでいる。


「まぁ話したく無いこともあるよな。

それより飯食べようか。」


いつもの冷凍食品。その中でも弟は明太子スパゲティが好きだった。

袋を破りレンジに入れる。

700wで5分半。

袋の裏側に書いているそれは

見ずとも口で言えるほど覚えていた。



冷凍食品を乗せて食卓に着く。

「いただきます。」


「…」

弟は何も言わず、ただ正面に座っている。

ミレンビトはご飯を食べないのだろうか。

そんなことを思うと、彼が戻ってきた未練について

より気になった。


「春‥自分が死んだ時のこと覚えてるか。」


弟は何も喋らない。

しかし彼の目が珍しく自分の目と合った。


「‥食事中に話すことじゃないが、お前は交通事故で死んだんだよ。いつもの通学路。

児童センターの交差点で‥。

なんでも犯人は高齢者でアクセルと

ブレーキを間違えたらしい。」


「本当に笑えるよな。そんなことで大事な弟が死んだんだぜ。俺は病院にいるそいつと会ったが、

そいつは何も悪気のなさそうな顔してたよ。

…全く、なんて言ったと思う?」


『「あぁあの事故の。」だぜ。第一声は謝罪でもなんでもなかったんだ。』


「俺の弟を殺したってのに‥。」


視界が徐々にぼやける。

目に溜まった水は表面張力を押し切り

ダムが決壊するように水が流れていく。

頬を伝う感触がする。

幼い時以来、葬式でも泣けなかった俺が涙を流したのは

他でもない死んだはずの弟の前だった。


弟が椅子から立ち上がる。

「どうした春?」


弟はリビングの端にある絵の前で立ち止まる。

クレヨンで書かれた絵。


それは確か春が小2の頃に図工の授業で書いた家族の絵だった。


「春‥。もしかして親に会いたいのか?」


春は相変わらず黙っている。

「わかった。」


今は春の未練を晴らさせてあげたい。

その思いで胸がいっぱいだった。


電話をかける。

きっと彼らも納得するだろう。


「もしもし、父さん?」

「どうしたカフカ。」

「大事な話があるんだ。家に帰ってこれる?」

「‥。わかった。だけど早くても1ヶ月後くらいになる。母さんにも言っておくよ。」

「うん‥。」

電話を切る。

電話の横からしていた声。音楽。

おそらくはキャバクラにでもいるんだろう。

大切な家族が死んだ3日後、彼は

何も気にせずキャバクラに行ったのだろう。


少し吐き気がした。


「春。寝よう‥。」



朝目を覚ました。


春がいないことに気がつき大慌てでリビングへと

駆け込む。


そこには春の姿があり、

春は相変わらずあの絵を見ていた。

思わず安堵のため息をこぼす。


「春。おはよう。お前ったら前は寝坊助だったのにな。」

そう言って笑いかける。


「春‥。」

絵を見ている弟を抱きしめる。

「その絵がなんなんだ‥、何をしに戻ってきたんだ。」

相変わらず春は何も喋らない。

気分転換に外に出かけることにした。


「春。出かけよう。」


手を繋ぎ、近くのショッピングセンターまで行く。

いつも行っていたスポーツ専門店。

そこに入りスパイク売り場へと行く。


春がスパイクを見つめる。


春の様子に思わず微笑む。


「お前やっぱりこれが欲しいんだな。」


春がいつも見ていたスパイクであった。

値段は2万円と、他のスパイクと比較しても

少し高い。


「確か…23だったよな?」


23センチのスパイクの箱を手に取る。


「ほら座って。」


箱からスパイクを取り出し春に着せる。

23センチのそれは春の足にピッタリだった。


「ピッタリだな。これ買おう。」


足からスパイクを外し再び箱に戻す。


「買ってくるから待っとってな。」


箱の入ったビニール袋をぶら下げ春の元へ向かう。

春は相変わらず黙って待っていた。


春は今シーズン優勝した野球チームのポスターを眺めていた。


「そうか春。見てなかったんか。

春が死んだ日やったかな。うちらのチームが優勝したんだ。」


春がそれを聞き目線を移す。


「はい、春スパイク。」

買ったスパイクを渡す。

春はそのスパイクをもらうや、

そっと抱きしめた。


「春‥。」

何やら心が温まった感じがした。


「春。ご飯にしようか。」

手を繋ぎエスカレーターに乗る。

少し歩く。


「春は行きたいとことかある?」

春は相変わらず黙ったまんまである。


「ほら楽器屋さんとか、ゲーセンとか色々あるよ。」

フードコートに向かう途中のお店を指差す。



そのまま何も言わずにフードコートについた。


「じゃあ春。頼んでくるから待っといて。

一応やけど食べたいのとかある?」


春は何も言わない。

「まぁそうやんな。、、待っといて。」


いつものステーキ屋。

春が特に好きだったのはご飯の乗った

ペッパーライスであった。


春も食べるかもしれないと思い大盛りにした。

お盆を持って席へと戻る。


席に座った時、春の様子がおかしいことに気がついた。


春の顔色が悪い。


「どうした春、顔色悪いぞ。」

そう問いかけても相変わらず黙りこんでいる。


喋らない春の横で必死に考え込む。

春は昨日から何も食べたり飲んだりしてない。

もしかしたらそれが原因なのかもしれない。


「ほら春のみーや。」

紙コップに次いできた水を春の口元に持っていき

水を流し込む。


春は何も言わずその水を喉に流し込んでいる。

「ほらこれも、」

フォークでステーキを指し春の口へと押し込む。


春は押し込まれたステーキをただ飲み込んだ。

2.3度水とステーキを押し込んだあたりだろうか。

春がそれらを吐き出した。


緑のお盆の上、春は飲み込んだものを全て

ぶちまける。


「春‥!」

春がはいたそれは普通のものとは違い、

バケツの中に水とステーキを押し込んだように、

飲み込んだそのままの形を保っていた。


「ごめん春。無理やり食べさせて。」

そういい、持ってきた紙ナプキンで拭く。


「よし、帰ろうか。」

再び手を繋ぎ、家へと帰る。



一通りの家事を済ませベッドに着く。

「明日は学校に行ってくるよ春。おやすみ。」



朝目をさます。

春は横ですやすやと寝ていた。


ミレンビトも寝るんだな。

そう思うとどこかおかしく感じた。


「行ってくるよ春。」

頭を撫でて学校の準備を始める。


一通り支度を済ませ家を出る時にも春は眠っていた。



夏がもうすぐ始まるらしい。


うだるような空気が少し開いた窓の隙間から

流れ込んでくる。

教師の声を聞き流しながら、

プリントの空欄を埋める。

どこか上の空だった自分とは異なり、

元気がいくばくか戻ったように感じられたのだろうか。

前に学校に来た時よりも多くのクラスメイトに

話しかけられた。


「カフカ君、弟さん災難やったね。本当高齢者の

事故やめて欲しいよねー。」


「うん、まぁだから国にはなんとかして欲しいよね。」


「そういえばカフカ、弟はミレンビトにならなかったのか?」


礼司が話を遮るようにそう言う。


「うん‥。大丈夫だよ。」

苦笑いしながらそう答える。


「もう礼司デリカシーないよ。」

女子が非難する。


走行するうちに学校は終わり、


バックをからって通学路を帰る。


ほんの数日前に降っていた雨は

湿気だけを残してどこかに消えていった。

まだ七月の頭と言うのにむせかえるほど暑い。


そのむせかえるような熱の中を

小走りで帰る。

弟が待っている。

そのことが俺に元気を与えた。


「ただいま。」

ドアを開け家へと入る。


リビングに弟はおらず寝室を見る。

ベッドの隅、朝の体勢と同じまま

弟はそこにいた。


チラリと見えた顔色は死人のように白い。

「春!」

腕を掴み春を起こす。

腕は氷のように冷たかった。


起きた春は目を開けうなだれているかのように

だらんと体を投げ出していた、

「春、春!」

呼びかけても返事は返ってこない。


急いでスマホで調べる。

「ミレンビト病気、ミレンビト‥病院、」

必死に調べるも、出てくるのは都市伝説のサイト?

だけだった。


「どうして、どうして、」

必死に検索を続ける。

「ミレンビト、消滅」

その言葉を検索にかけた時だった。


いつもと違い、質問サイトが検索欄の

一番上に出る。


[ミレンビトは未練を叶えられない場合どうなりますか?]

そんな質問。

その質問に回答が一つだけ付いている。


[ミレンビトが未練を叶えられない場合。

ミレンビトが自然消滅することはあり得ません。

現世にいるべきでない彼らは永遠に苦しみ続けることとなります。]

[だからこそミレンビト駆除機関。通称me i

が存在するのです。私たちは彼らを楽にしてあげるための機関なのです。]


「機関‥。」

どうやらミレンビトは駆除されるまでこの世に存在し続けるらしい。 


「俺がやらないと。」

弟は消滅しない限り、苦しみ続けるのだろう。

そんな苦しみに比べれば。


そう思った時には足が台所へと動いていた。


食器乾燥機に置いてある包丁を取る。

包丁は近くに立てかけていたお皿を反射して

黒く光っていた。


包丁を手に取る。


「今楽にしてやるからな。」


震える手を反対の手で静めて

一心に包丁を弟の胸元あたりに刺す。


ドスッ

鈍い音を立て包丁が胸の中心あたりに刺さる。


おそらく胸骨あたりを貫いたのだろう。

骨の砕けるような感触が腕へと伝ってくる。


ハァ、ハァ

手が震える。

弟を刺した不安感で包丁から手を離した時だった。


包丁が弟の胸から出てくる。

差し込んだ傷、そこからは空っぽな弟の体

がよく見える。


あるべき場所にあるべきものがない。

刺しこんだ包丁の跡はゆっくりと塞がっていく。


これ以上弟を苦しませてはいけない。

その一心で離した包丁を取り

何度も何度も胸、腹、首

それぞれに指す。


弟は包丁を差し込むたびにその体を揺らすが

何も喋らない。

手には弟を刺したナイフの感触がひどく残る。


「まずい、早く殺してあげないと、」

何度も刺した包丁の跡はゆっくりと消えていく。



その後何度も殺そうとしたが弟は死ななかった。

ハンマーで頭を潰しても。

飛び散るのは目玉と脳みそのみで飛び散ったそれは

綺麗に元にあった場所へと帰っていく。


弟を殺すたび罪悪感は積み重なり、いつしか

その苦しみを忘れるために笑うようになっていた。


弟を楽にするために自分が壊れないと。

さながら映画で見た怪獣のように大きく

口を開け、必死に笑う。


両手で首を絞める。

弟の顔はより悪くなり、パタリと動かなくなる。

安心して手を離すと

数秒後には呼吸を始める弟。


一体どうやったら死ぬんだ。


いつしかそいつを殺すのは弟のためではなく自分のためへと変わっていった。


「早く、早く死んでくれ。」

そいつが苦しそうな顔をするたびに罪悪感に苛まれる。

どうしたらどうしたら死んでくれる。

もう苦しまないでくれ。


「お前の未練はなんなんだよっ!」


顔を鈍器で殴りながら必死に問いかける。

弟は飛び出てない方の片目を必死に自分へと

向けるだけで、何も喋らない。


「俺をっ、俺を恨んでんだろ?」


弟が死んだ後も、こうしてミレンビトとなった後も

俺は飄々と生きている。


「きっと、こうなるべきは自分だったのだ。」


弟に包丁を渡す。


「ほら、俺に仕返しをしてくれ。」

必死に懇願するように話しかける。


殺しても殺しても死なないそいつは

もらった包丁を大切に抱きしめた。

まるで買ってもらったスパイクのように。


「なんでっ‥。」


もう気持ちはぐちゃぐちゃだった。

怒りでも悲しみでも哀れみでもないそれは

その言葉で表すことなど到底できなかった。


弟の顔はもう白というよりは紫色となっている。

よほど苦しいのだろうか。

弟はたまに白目を剥き痙攣している。


どうしようもないないことはわかっていながらも

手に持ったフライパンで何度も何度も

弟の顔を殴る。


もうそれが自分の弟だとは考えないようにしていた。

「死んでっ、春、早く死んでくれ。」


殴ったのが弟なのかそれとも自分なのか

そんなことわからないほどにただフライパンを

振る。

そいつの顔を殴るたび、ガンッと鈍い音がする。

その度に自分はまるで自分が殴られてるかのような

鈍い痛みに襲われる。


そいつの頭部に血が垂れる。

必死にフライパンを振るうちに

自分の頭にも当たったのだろうか。

意識が消える。

そいつが苦しむ。

そんな景色を最後に視界は真っ暗な暗闇へと

フェードアウトした。



目を覚ましたのは朝方だった。

どうやらそいつの上で寝ていたらしい。

そいつは寝ていた。


体を起こす。

酷い頭痛がする.

頭を触ると手に血の塊がついた。

頭の横側からどうやら血が出ていたらしい。

ベットに座り込み壁に寄りかかる。


散らかった部屋を眺める。

どうすればいいんだ。

そんなことを思った時、

部屋にある、白い紙が目に止まった。


白い紙を手に取る。

そこにはあの時にもらった女性の

電話番号が書いていた。


あの人なら弟のことをなんとかしてくれるに違いない。

ミレンビトについて何か知っていそうだった。

あの人なら。


そう期待し、電話をかけた。


「もしもし。」

携帯の向こうから少し低い女の声がする。


「もしもし。藤宮です。」


「あぁこの前の。」

女は何かを察したのだろう。名前すら名乗ってなかったが、この前の兄弟だと気がついたらしい。


「それでどうした。」


「弟を殺したいんです。」


「…。」

女は黙り込んだ。


「そうか。」


「弟はどうしたら消えるんでしょうか。」

すがるように尋ねる。


「おそらく、君の弟くんは特殊な状態だ。

彼の未練というよりかはむしろ、、」

女が言葉を詰まらせる。


「君の未練だ。」


その言葉に全てを納得する。

だからこそ、こいつは何かを求めるような行動をせずただ存在していたのだ。


「非常に稀なケースだ。おそらく、弟君も君に会いたがっていたのだろう。お互いの未練が

こうしたケースを生じさせたんだ。」


そうか、俺が、俺のせいで、こいつは、春は。

そう考え、どうしようもない気持ちになる。

携帯を握る力は弱まり、ついには手から滑り落ちた。


「そうか。」

全てが馬鹿らしくなる。

初めからこうすればよかったのだ。

クローゼットからネクタイを取り

照明へとかける。

弟を帰すためにはこうすればよかった。

椅子のうちに立ちそいつを見つめる。

そいつは紫がかった顔で俺のことを見つめていた。


椅子に上がりそいつに背を向ける。

何回もしてきた慣れた手つきで自分の

首へとネクタイをかける。両手でネクタイを

握りしめる。

息が上がる。

大きく上がった息を

数回吐く。


覚悟を決め大きく息を吸い込み、

椅子の上から降りた。


シュー


不思議と宙に吊られるのは悪くなかった。

苦しみの中何か大事なものが薄れていく。

それは意識だろうか、命だろうか。

そんなことどうでもよかった。

弟を助けてあげれる。

そう考えると幸福感さえ感じられた。


眠りにつく前の微睡のような感じがする。

もうすぐ、眠りにつける。

そう感じた時だった。


ガシャーン

大きな音がし、目を開くと視界は床を眺めていた。

赤みがかった視界。吐きそうなほどに咳き込む。

涙が溢れながら顔を上に向ける。

あのお姉さんだった。


「馬鹿かお前は!」 


その女性が初めて放ったのはそんな怒りの

言葉だった。


「お前が死んだって弟が死ぬとは限らないんだ。

もっと命を大事にしろ。」


その女性は命の重みを訴えるように力強く

叫ぶ。


「とりあえず落ち着いて深呼吸しろ、

お前血が出てるじゃないか。」


「医療品はどこにある。」


えずきにも近いように咳き込みながらも

テレビの横にある棚へと指を刺す。


「そうか、わかった。」


深呼吸を続けるうちに次第に冷静になる。


「痛むが我慢しろ。」

その女性が消毒を頭へとつける。

「ンッッ」

ひどく沁みる。


包帯を巻く。


「よく声を出さなかったな。えらい。」

そういってその人が頭を撫でる。


「‥弟はどうしたらいいのでしょうか。」


俯きながら問いかける。

ベッドに横たわっている弟。

そいつは相変わらずこっちを見ていた。


「大丈夫。私がなんとかして見せる。」

その女性が腰に下げた銃を出す。


「よく頑張ったな‥」

銃口を弟へと向ける。


「待ってください!」

手にかけたトリガーを止めさせる。


「俺に、俺にやらせてください。」


「…そうは言ってもなぁ。」


女の人が困ったように頭を掻く。


ただその女性の目を見つめる。

俺にやらせてくれ。

そう強く目で訴える。


「わかったさ‥。苦しまないようにさせるんだぞ。」

銃を下に向けて渡してくれる。


弟をこれから撃つ。


銃をコッキングする。


弟に銃口を向ける前、

静かに弟を抱きしめる。


「ごめんな。こんな苦しめて。」


ぼやけた視界を必死に袖で拭い

銃口を向ける。


「じゃあな。」

手のかけたレボルバーを引いた時だった。


弟の口が動いた。 


「ありがとう兄さん。」


放たれた弾丸は弟の額を貫通する。


弟はその場に倒れ込む。

それと同時に弟が喋ったことに

思考が止まる。


持っていた銃を落とす。

その床に落ちるドサッという音と共に

俺は全てを察した。


そうか、あいつはこうなることがわかっていて、

あえて何も話さなかったのか。

自分を人間だと思わせずに、殺しやすいように‥


それと共に自分が殺した時の弟の苦しそうな顔

が脳裏によぎる。


「全部、我慢していたのか。」


死にたくても死ねない。

そんな状況の中、最愛の人に何度も何度も

殺される。

きっと、正気では入れないはずだ。


手の震えが止まらない。

涙で滲んだその手は心なしか、

消えない赤の滲みがこびりついている気がする。


最愛の人をこの手で殺したのだ。

それも、何度も何度も。

「はははっ」

どうしようもなく乾いた笑いが喉の奥から込み上げてきた。


「大丈夫だ。お前が悪いんじゃない。

  ミレンビトとはこういうものなんだ。」


女の人は強く自分を抱きしめてそう呟く。


手の震えはそれでも取れなかった。


車に乗り、森のずっと奥へと向かう。


軽トラック。

その荷台にはシートで見えなくても

確かに弟がいる。

しばらく車を走らせた後

小さなキャンプ施設へと着いた。


火を起こし、弟を荷台から下ろす。


燃え上がる火の中へと弟を放り込む。


小さな、小さな弟は

想像したよりもずっと軽く、

火はまるで油をいれられたかのように

勢いを強めた。


パチパチと燃える音がする。

燃える火を見て、思い浮かんだのは、

ただ綺麗だ。ということだけであった。


「ほら。やるよ。」

あの人が缶コーヒーをくれる。


「全く‥飲まないとやってられないよ。」 

空の星を見ながら、彼女はそう呟いた。

空を眺める彼女の目は心なしか

潤んでいるような気がした。


空には美しく輝くアルタイルが

浮かんでいた。



そんなことから早一週間。

緊張を紛らわすため大きく息を吐く。


画面が変わる。

「もしもし、四辻です。」


「もしもし、藤宮です。」


「…どうした?何かあったか。」


「俺を働かせてください。」


「…え?」


困惑の声が響く。


窓から、風が入り込む。

うだるような風。

きっとそいつも夏の暑さから逃げるために

冷房の効いたこの部屋へと転がり込んできたのだろう。

そいつが、机上に置いてあったプリントを

吹き飛ばす。

それはさながら夏嵐のようであった。


「そうか‥、じゃあ、今度会うときに話そう。」


「わかりました。それと四辻さん。好きです。」


「え?」


その困惑の声を途切れさすように電話を切る。


ベランダに飛び出し大きく伸びをする。

新鮮な風を浴びると、


俺の人生がここから新たに始まるような気がした。


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