師走の夜

高間晴

師走の夜

 今年も残すところあと一ヶ月を切った。武装探偵社は今日も書類仕事くらいしかすることがない。

 このまま無事に年を越せるといいな。

 僕は隣のデスクを見やる。当然の如く、太宰さんは脱走済みだ。書類仕事が片付いたので、国木田さんが席を外しているのをいいことに、携帯を開いてみる。

 マナーモードにしていたので気づかなかったが、太宰さんからメールが来ている。

〈今晩、夜景でも見に行かない?〉

 その一文だけで、頬が緩んでしまう。

 探偵社の皆には秘密にしているが、僕と太宰さんは付き合ってもうすぐ一年になろうかと云う頃だ。

 これまで、花見に行こうと云えば「毛虫がいるから」。花火大会に行こうと云えば「人混みが嫌だ」。紅葉狩りに行こうと云えば「画像検索で幾らでも出てくる」。そう云って僕の提案するデートプランを尽く断ってきた太宰さんだが、一体どういう風の吹き回しだろう。

 横浜の夜景。僕も駄目元で考えていたのだが、真逆、太宰さんの方から誘ってくれるなんて。

 そこへ乱歩さんの声が飛び込んできた。

「敦。こっち来て」

「は、はい!」

 僕は慌てて携帯を閉じると乱歩さんのデスクに歩み寄った。

 彼は至極真剣な眼差しで、デスクの上に広げたいくつかの駄菓子をじっと吟味しているようだ。ややあって棒付きの飴を二本選ぶ。一本ずつ両手に持つと、僕の方へ向かって突き出してくる。

「苺と葡萄、どっちが美味しいと思う?」

「うーん……なんとなく苺のほうが、葡萄よりも甘い気がして美味しいと思います」

「ふうん。ありがと」

 乱歩さんは飴の包装紙を手慣れた様子で剥いで、ぱくりと口に咥えた。

「うん、美味しい。さすが甘いものに敏感な敦だね」

「あ、ありがとうございます……?」

 困惑しながらも礼を云うと、乱歩さんは飴をほっぺたの方へ押しやって云う。

「お礼にいいこと教えてあげる」

「なんですか」

「今夜は雪が降るよ。楽しみだろう?」

 まるで先程の太宰さんからのメールを知っているかのような口ぶり。

 しかし、今年は暖冬だし、今朝も雪の予報なんて出ていなかったはずだ。

「本当ですか」

「僕を誰だと思っているんだい?」

 乱歩さんは僕に向けてにやりと笑う。

 彼の『推理』が外れたことはない。

 そこへ国木田さんが戻ってくると、空になっている太宰さんのデスクを見て目を釣り上げた。

「――またあの唐変木! 何処へ行った!?」

 これはまた僕が捜しに行く羽目になるのだろうか。そう思って身構えていると、乱歩さんが口を挟んでくる。

「国木田。もう退社時間になるよ」

 云われて国木田さんは腕時計に目を遣ると、深い溜め息を吐いた。

「敦。書類は片付いたか?」

「はい。其処に纏めてあります」

「なら、もう帰っていいぞ」

 その言葉に、僕は喜んで携帯をポケットに突っ込む。そして先日買った真新しいコートを羽織ると、鞄を肩から下げ「お疲れ様です!」と云って事務所を後にした。


 ――この時期の夜は急ぎ足でやってくる。もう外は陽が沈んでほの暗く、暖冬とはいっても頬を撫でる風で産毛が逆立ちそうだ。僕が建物から通りに一歩出た途端のタイミングで、メールの着信音がする。

〈早く来てくれないと凍死しちゃうかも〉

 その文面を見てひやっとする。僕と付き合うことになったものの、あの人の自殺嗜癖は変わらない。そしてつい昨日、あの人は「冬は凍死。やうやう冷たくなりゆく指先……」などとデスクで天井を見上げながら呟いていたのだから。そんな不吉な枕草子はやめてほしい。

 僕は慌てて返信する。

〈何処にいるんですか?〉

 返事は一枚の写真。眼下には忍び寄る夜に沈みかけた横浜ベイブリッジが見える。

「此処って……」

 あ、思い出した。これが見えるのは――あの場所だ。

 猛然と僕は駆け出す。


 走り続け、息を切らして辿り着いた。港の見える丘公園。もう空は真っ暗だ。

 僕は鼻先にひやりとしたものが触れるのを感じ取った。

「あ……」

 空を見上げれば、ちらちらと白い雪が舞っている。汗をかいた体が急に冷え込んできた。

 ――太宰さんは何処に?

 頭を巡らすと、ちらほらと夜景を楽しむ人々の中に、あの人を見つけた。駆け寄って名を呼ぶと、彼の人はゆっくり振り返った。

「遅いじゃないか、敦君」

 少し唇を尖らせるあの人。すみません、と反射的に頭を下げてから、改めて僕は額を手の甲で拭った。

「……っ、此処、探偵社からどれだけ離れてると思ってるんですかっ」

「うんうん。言い返せるようになったかあ。成長したね」

 僕にはなんのことかよくわからない。

 太宰さんが両腕を広げた。愛おしそうに目が細められる。

「おいで」

 それは蝶を誘う花のよう。僕も腕を広げて近づくと、抱きしめてその肩口に顔を埋める。身長が足りないのは、やっぱり少し悔しいけれど。なぜだか突然目頭が熱くなった。

 夢みたいだ。

「ああ……敦君はやっぱり温かいねえ」

「暗に子供だって言ってません? それ」

 僕の耳の傍でかすかに笑う気配。手のひらで頭を撫でられる。くすぐったい。耐えられなくなった僕は、背伸びしてその唇を食むようなキスをした。

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師走の夜 高間晴 @hal483

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