第4話   赤羽織隊 京町巡邏


 戦は終わったが――謙信はまだ険しい表情を見せていた。

 二条城の広い中馬場に将兵をあつめ大演説をった。


「皆の者よ~く聞けい! ここが肝心である――荒くれた武者どもが京の町衆に乱暴狼藉させてはならぬ。上杉軍総出で振れて参れ――怪しい者どもはことごとく斬りすてよ!」


 上杉軍将兵は――おう~~~っ――と叫んで散っていった。

 険しい顔をして軍勢のなかに割って入り――、

 ――乱暴狼藉まかりならぬ――盗みも拐かしも罷りならぬぞ~~!――と叫んで回った。

 〈実際――われわれ現代日本人にとっては信じがたいと思うが、昔から日本には人買い・人身売買があったらしい。童話の「安寿と厨子王」の話は有名で、戦国時代には人身売買が盛んだった。それは攻め込んでいった国の領民をそのまま捕らえ、商品として売るのである。またそのような拐かしの説話は昔話にも出てくるので実際にあったものと思われる〉


 謙信が心配しているのはそのことで、軍勢のなかにもそのような怪しい山賊まがいの集団も混じっているようなので、取り締まらなければならないと思っている。

 信長にできて予に出来ぬと言うようなことがあれば、世間の笑いものであり、ご先祖様に顔向けできないというわけなのだ。

 思うに――源平合戦のころの強力な武士団の結束力よりも――戦国時代にはさらに人心も乱れている気がする。



 二条城での戦からこのかた一通り落ち着きを取り戻し――また珍しい上杉軍を見ようと集まった京町衆の人だかりのなか――堂々たる黒毛の馬にまたがった、明らかに目立つ一騎の荒武者があった。


 この男――上杉軍の中では抜きん出た荒武者で、通称鬼小島弥太郎と言う。

 彼はなかなかの好男子であったらしく、眼光鋭く鷲や鷹のような風貌で――赤色脅しの鎧をまとったその姿は、京町の娘どもの心を虜にし、黄色い声を上げ小躍りしていたのだった。


 彼は謙信より京の治安を任され、見廻組のものは赤い羽織をはおり――昼夜問わず四六時中交代で京都市中を見回るという――見廻組数百名を任せられた。

 赤い羽織は町中では派手で目立ち、町人の目を意識した作戦でもあった。

 謙信の馬廻りは全部回され、残りは諸軍の有志を募った。

 弥太郎はそのことに誇りを持ち、この日初日はやる気満々で京都市中を闊歩したのである。


 朱色の大槍を引っ提げて周囲を睥睨していた、弥太郎の目に止まったのは、二人連れの女衆に大柄な男どもの集団だった。

 見れば彼らはどこからか上杉軍に加わった兵どもであるらしい。山賊か野武士の群れであるらしい。

 どうやら今にも拐かしていく勢いであった。

 

「なにをしておる――!」と一喝すると――、

『なんだとう――』弥太郎が一人であり若いと見たのか、馬鹿にしてなかなか言うことをきかない。そればかりか――女の首に手を回して抱きすくめているではないか?

 ――お館様は斬り捨て御免といっていたな。ならば――、

 ――ええい、無礼者!―― 

 と、朱槍を振り回し石突きで大男を薙ぎ払った。相手が得物を構える暇も与えず、三人瞬時に突き通した。――一瞬の出来事であった。


 「女――大事ないか?」女は驚き呆れ、感謝の念が追いついてこなかった。

 ――周囲の見物人からは喝采の嵐が上がった。

 ――おお~~かっこええ~~~なんというお侍さまや?――

 弥太郎は少し照れくさかったが、また颯爽と馬を進めてその場を去った。

 ◆鬼小島弥太郎は上杉軍役帖には乗っておらず、その実在が疑われているが、

謙信直参の馬廻衆・一騎馬武者であり、軍役帖には乗らなかった可能性もあり、いわゆる下士官級であったのかも知れない。

 上杉軍には小島姓のものも多くそのような屈強な荒武者が多かったのは事実である。

 鬼小島弥太郎の伝説は各地にあり、講談や芝居の世界では彼の存在なくしては上杉は語れないほどである◆ 



【二条城大手門――貴公子】

 大手門門前に屯していた兵どもの前に――臆することなく悠然とただ一騎――不思議な男が都大路を進んできた。

 それがどうも騎乗ではあるが武士のようでもなかった。どうやら烏帽子をかぶった公卿のようでもあった。

 ――腰にはキラキラと黄金造りの太刀を穿(は)いている。


『おぉこちらは上杉謙信殿のご家中でござるか?』と、笑みを含みながら朗らかに語りかけた。

『麻呂は近衛前嗣このえさきつぐと申す者――』


 〈近衛〉と小耳に挟んでしゃしゃり出てきたのは、すでに親しい間柄になっていた河田長親だった。

 彼は近江出身の偉丈夫であり、外様ながらその才覚で上杉家に貢献している。


「――これは前久殿ではありませぬか……?」

『おう、これはこれは長親殿――。お久しぶりでござるなあ……』

 彼らは年がわりと近く、長親のほうが七つ若いので何かと親しいのである。前久を兄のように慕っていて長親にとっては何かと頼りにしているのである。

『さて――謙信殿はいずれにおわすか。まずは挨拶をせねば――』



 謙信は懐かしい街並みに目を細めながら、しかし凛々しい眼差しを南へ向け、浪速なにわを平定する覚悟を決めた。

 謙信は道行く人々に声をかけながら馬を進めた。


 そこへ先陣からの伝令の手明き(足軽)が走ってきて、


 ――このえさきつぐと申される方――前衛にお越しであられます――と言上した。


 「なんと……近衛どのが……!」謙信は驚愕の顔で伝令を見た。

 しかし、じつは少し複雑な経緯があった。


 というのも――もちろん近衛前嗣とは旧知の間柄ではあったが、関東において少しばかり行き違いがあり、喧嘩別れしてしまったのだ。

 しかし、ずいぶん昔のことであり、すでに忘れかけていたことでもあった。


「よしわかった――しばしお待ちあれと伝えてまいれ」

 謙信は近衛が殿上人であり、世が世であれば声もかけられない人であることを知っていた。だから貴人をお呼びしては申し訳ないと思ったのだ。


「これはこれは――お久しぶりでござる」 前嗣も破顔して喜び、おたがい馬を下りて旧交を温めた。


 近衛は摂関家筆頭の家柄でありながら、戦国武将ほどの気骨を持った公卿であった。ふつうに乗馬もこなすし鷹狩りも趣味として、信長とも鷹狩で意気投合したという。

 かつての貴族であったなどとはあまり気にせず豪放な性格だったようである。


 謙信と前久が出会い旧交を温め合うと、騎馬を並べて語らいつつ宮城へと歩を進めた。

 そこで謙信はまた新たな情報として――前久と足利義昭の仲違いがあることを知る。

 前久は三好一党の推す足利義栄を将軍として立てた。これは義昭の兄を殺した反逆者に味方する動きであったため、義昭は近衛を嫌い、将軍になった後、前久を追放した。

 ようやく義昭が信長によって追放されると、ようやく京にもどってこられたという、複雑怪奇な中央情勢があった。


 ――そして上杉軍は入洛を果たし、京の街に珍しい兜跋毘沙門とばつびしゃもん一字の旗がひるがえり大通りを埋め尽くした――。 

 上杉軍と上杉連合軍と呼べる大軍勢は――たちまちに今日の街――上京・下京を取り巻き宿営した。

 ――まず一日目は大きな混乱もなく兵たちも疲れのせいか大人しく騒ぐものもなく疲れをいやしたのである。

 


【天正四年四月二十日】――〈一五七六年〉

 上杉謙信は朝廷に参内し――正親町天皇に拝謁した。

 朝廷と言ってもかつての平安の頃のような壮大な造りではなく、京の街の片隅にポツンとあるような、寂しいものだった。

 それというのも一番の原因は足利幕府の応仁の乱が原因であり、京の街が焼け野原になり、それが十年も続いたのでいまだに復興ならず、もはや幕府には金も力もなくなっていた。   

 それをなんとか往時の華やかさを取り戻させたのは信長の力であった。


 天皇の高御座を中心として左右に主だった貴族が並んでいた。

 左右序列に従い近衛前嗣を筆頭に二条家・九条家の公卿衆が束帯を身に着けて座していた。

 手慣れた作法と仕草で近衛が儀式を取り仕切り、無事謁見の儀は終了した。こういうとき近衛は頼りになり有り難かった。



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戦国武将 世界大航海時代〈黎明編〉 @shigeru000furuse

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