風吹山の天狗様

クロノヒョウ

第1話




 静かな夜だった。

 千代は目の前に現れた風吹山の入り口にさしかかると大きく息を吸い込んだ。

 そして月明かりだけを頼りに山を登り始めた。

 ――風吹山かぜふきやまに入ると天狗に喰われる

 昔から天狗の住む山としてそう言い伝えられ恐れられていたこの山に人間が足を踏み入れることはなかった。

 だが千代はひたすら登った。

「誰だっ」

 山の中腹辺り、いつどのようにして建てられたのかもわからない古びた小屋の前で休んでいると千代の頭上から声が聴こえた。

 慌てて立ち上がる千代。

「天狗様?」

 小屋の横にある大きな大木の枝に仁王立ちしているのは噂どおり大きな鼻を持つ天狗のようであった。

「まさか、俺の姿が見えるのか」

 天狗は大木の真下で自分を見上げている千代のもとへと飛び下りた。

「ひゃっ」

 月明かりに照らされはっきりと見えたその姿。

 成人した人間と変わらない背格好。

 赤い顔に大きな鼻はどうやらただの面のようであった。

「人間の娘が何の用だ」

 千代は震えながら天狗を見上げた。

「あの、天狗様にお願いがあって参りました。お願いです! おじいさまを助けてください!」

 千代は大きな瞳に涙を浮かべながら天狗に近寄った。

「俺に人間を助けろだと?」

「いえ、あの、どうか私に天狗様のうちわを貸していただけないでしょうか」

「うちわ? うちわを借りてどうする気だ」

 天狗は詰め寄るように千代を見下ろした。

「天狗様のうちわの風を浴びると悪霊が祓われるとお聞きしました。おじいさまは今悪い霊に苦しめられています。だからっ」

「人間ごときが俺のうちわを使いこなせるとでも思ったのか。ふんっ。つくづく浅はかな娘だ」

 あきれた様子の天狗にそう言われた千代は泣きながら肩を落とし地面にぺたんと座りこんでしまった。

「そんな、おじいさま、ごめんなさい。せっかく天狗様に会えたのに」

 泣き崩れる千代を見て天狗は天を仰いだ。

「ああ、泣くな娘」

 天狗がそう言うも千代が泣き止む様子はない。

 腕組みをしたままで千代の前をいったりきたりしていた天狗はしばらくして立ち止まると千代に言った。

「おいお前、名は? 歳はいくつだ」

 千代は鼻をすすりながら顔を上げた。

「千代。十六」

「千代、お前のことを話して聞かせろ。正直に話せば力になってやらんこともない」

「私の、こと?」

「ああ」

 天狗は千代の目の前に座り込んだ。

 戸惑いながらも千代は天狗に自分のことを話して聞かせた。

 産まれてからこのかた、人には見えないものが見えるせいで両親からは気味悪がられ友だちもできなかったこと。六つの頃にこの村の長老に預けられたこと。長老は優しくて自分の一番の理解者であるがいまだに人付き合いが苦手で毎日家の畑仕事をしていること。

 そしてその長老が黒くて大きな化け物に取り憑かれたこと。

「町へ行くと言って出ていったおじいさまが帰ってこないから心配で。三日後にやっと帰ってきたと思ったら黒い影がおじいさまに。それからずっと寝たきりでうなされ続けているのです」

 千代はすがるような目で天狗を見た。

「小さい頃におじいさまから聞いたことを思い出したのです。天狗様のうちわには不思議な力があって、ひとたび扇ぐと人間についている悪霊を退治できるって」

「確かに、悪霊どもを追い払うことはできるが」

「お願いします! どうかそのうちわでおじいさまを助けてください」

 千代は天狗に向かって必死で頭を下げていた。

「わかった、じいさんを助けてやろう」

「本当ですか!」

 千代が顔を上げると天狗の姿はどこにもなかった。

 と思うと再び現れた天狗の手には羽根のような物がたくさんついた大きなうちわが握られていた。

「ただし条件がある。お前はこれから俺とここで暮らすのだ」

「え? ここで、天狗様と?」

「ハハッ、お前を喰うつもりはない。じいさんのところで一生畑仕事をして過ごすか、俺と一緒に暮らすかだ」

 そう言うと天狗は自分の顔に手をあて、付けていたお面を外した。

 長く伸びた黒髪、切れ長の目に薄い唇。

 天狗の面を外したその姿は透き通るような美しい青年だった。

「どうする千代」

 千代は天狗から目を離せないでいた。

 こんなに美しいものを見たのは初めてだった。

「でも、なぜ」

 目を丸くしている千代の手をとり天狗は千代を立たせた。

「俺も千代と同じだったからだ。産まれた時から不思議な力を持っていた俺には居場所がなかった。だから天狗になろうとこの山の天狗たちと一緒に暮らした。ちょうどその天狗たちもいなくなって俺はひとりぼっちだ。だから千代、これからは俺と暮らせ」

 千代は顔を赤らめながらも静かにうなずいた。

「よし、ではじいさんを助けに行くぞ。俺につかまれ」

 天狗は千代の腰に手を回し、もう片方の手でうちわを扇いだ。

「きゃ」

 風が吹き二人の体は勢いよく舞い上がった。

 空から見下ろす村の景色が美しいからなのか、それとも天狗に抱かれている体が熱をおびているからなのか。

 どちらにしろ、月明かりで輝く心地好い風は千代の心をもときめかせていた。



           完





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