第6話 似合ってるよ


 朝の通学電車、いつもの場所。

 俺――如月悠真は、今日もいつものように車両の隅に立っていた。


 乗り込んでくる人の波をぼんやりと眺めながら、その中に見慣れたボブカットのシルエットを探す。


 そして、見つけた。


 制服の着こなしはいつも通りきっちりしていて、表情はどこか控えめ。でも俺の姿に気づくと、ふわっと頬が緩む――そんな彼女の笑顔も、もう見慣れた。


「おはよう、如月くん」


「おはよう、一ノ瀬さん」


 これもいつも通りのやりとり。


 なのに、今日はなぜか――違和感があった。


 何がって、よくわからない。

 でも、何かが違う気がする。


 目の前でスマホをいじる一ノ瀬さんを、こっそりと横目で見た。


 髪型……は、ボブ。いつも通り。

 制服も、持ってる鞄も変わらない。


 でも、何かが……変だ。


 じっと見ていたせいか、彼女が眉をひそめてこっちを見てきた。


「……なに? なんか着いてる?」


「あっ、いや……違くて」


 思わず否定しかけたその瞬間だった。


「あ……」


 ――あった。


 彼女の頭、左側の前髪のちょっと上。

 そこに、小さな“ぶどう”のヘアピンがついていた。


 小さな実が3つほど連なっていて、緑の葉っぱまでついてる。

 さりげないけど、明らかに“可愛い系”だ。


「……あの、それ」


「ん?」


「ヘアピン、ついてる」


 その言葉に、一ノ瀬さんが一瞬きょとんとした顔をした。

 そして次の瞬間、両手を頭にやって、ピンを触る。


「――っ、つけっぱなしだった!? やば……!」


 彼女は目を丸くして、顔を真っ赤にした。


「うわ、うそ、恥ずかしい……!」


 慌てて外したピンを鞄のポケットに押し込むその手つきが、いつもの冷静な一ノ瀬さんとまるで違って見えて、俺は思わず、言葉を飲み込んだ。


 ギャップ……ってやつかもしれない。

 すごく、可愛いと思った。


 「こういうの、私がつけてるのって……変だよね、ははは……」


 自嘲気味な笑い方だった。


 目線は下、頬はまだ赤い。

 “王子様”と呼ばれる彼女が、自分を茶化すように笑っていた。


 ――違う。


 俺は、気づけば真顔になっていた。


「……そんなこと、ないと思う」


「……え?」


 一ノ瀬さんが目を見開いた。


「似合ってるよ」


 俺がそう言った瞬間、電車が減速を始めた。

 次が、彼女の学校の最寄り駅だった。

 一ノ瀬さんは俺の言葉を受けてポカーンとしてる。

 そして電車が止まる。


「じゃ、じゃあね……!」


 まるで話を切るように、一ノ瀬さんは言って、鞄を持ち直し、早足で出口へ向かっていった。


 俺はしばらくその背中を見送ったあと、心の中で小さく呟いた。


「……なんか、俺、変なこと言ったか……?」


 



 ******


 




 電車を降りて、校門までの道を歩くあいだ、ずっと顔が熱かった。


 何してんの、私。

 なんでぶどうのピンなんか、つけたまま電車乗っちゃったんだろう。


 あれ、朝起きたときに前髪留めるのに使ってただけだったのに……急いでてそのまま来ちゃったとか、ほんと、ありえない。


 しかも、それを――如月くんに見られた。


 よりにもよって、今、一番近い距離でいる人に。


 “王子様”って言われてる自分が、ぶどうのピン?

 ダサいとかじゃない。似合わないの。

 

 そういうのは、もっと可愛い子がするもので、私みたいなのがつけたって滑稽なだけ。


 だから、笑って誤魔化した。

 「変だよね」って、自分から言っておけば、少しはダメージ少なく済むかなって。


 ……なのに。


 彼は、真顔で言った。


 「似合ってるよ」


 あの一言が、ずっと耳に残ってる。


 軽口じゃない。適当に合わせた感じでもない。

 まっすぐな声だった。


 ……私にも、可愛いものが似合うって、そう言ってくれたの?


 そんなふうに、誰かに言われたの、初めてかもしれない。


 ずっと“かっこいい”って言われ続けて、そうあるべきだと思ってた。

 女子校の“王子様”なんてあだ名を背負わされて、私はその期待に応えるように、強くてクールな自分を演じてきた。


 でも、本当は――ぶどうのピンとか、うさぎの雑貨とか、可愛いものが好きで。

 でもそれを外に見せるのは、恥ずかしくて、怖くて。

 自分には似合わないって、ずっと諦めてきた。


 なのに、如月くんは――あんな顔で、あんな声で。


 私の“好き”を、否定しなかった。

 むしろ、受け止めてくれた気がした。


 ……嬉しかった。


 恥ずかしさが消えるわけじゃない。

 でもそれ以上に、胸の奥の方がじんわりあったかくなっているのを感じていた。


 “私にも、可愛いものが似合うのかな”


 そんなふうに、少しだけ、思ってしまった。


 


******


 


 その日、帰りの電車でも、一ノ瀬レイのピンは鞄の中にしまわれたままだった。


 けれど、次にそれをまたつける日は――

 そんなに遠くないかもしれない。

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