第4章「スラムの遭遇」


地震から三日後、トウキョウ・ネオの第23区はまだ復旧の途上だった。壊れた建物、亀裂の入った道路、そして絶え間なく飛び交う救助ドローン。アキラは疲れた足取りでスラムの小道を歩いていた。


三日間、彼はハートコアで佐藤と共に働いていた。三日間、彼は佐藤の不自然さを観察し続けていた。機械的な精度の動き、感情の欠如、そして——最も奇妙なことに——食事をほとんど摂らないこと。カフェテリアでは動作を真似るだけで、ほとんど口にしていなかった。


「何者なんだ…」


アキラは呟きながら歩いた。夕暮れ時のスラム街は活気づいていた。路上の露店、修理工房、そして臨時の避難所。地震で家を失った人々が集まり、互いに助け合っていた。政府の支援は中心部にばかり向けられ、スラム街は自力で復興するしかなかった。


アキラは角を曲がり、「鉄の卵」という古い居酒屋に入った。彼の父親がよく通っていた店で、今でも地元民が集まる憩いの場だった。店内はうす暗く、古いホログラム広告が壁に貼られている。カウンターには数人の客、テーブルにはスラムの労働者たちが座っていた。


「お、アキラじゃないか」店主のタナカが声をかけた。60代の男性、腕には古い機械の部品で作られた義手がある。「久しぶりだな。いつもの?」


「お願いします」アキラはカウンターに座った。


しばらくして、タナカは蒸気の立つ丼を置いた。店の名物「卵カツ丼」。卵を衣で包み、揚げてから特製のソースで煮込んだもの。卵は今でも貴重な食材だったが、スラム街ではなぜか安く手に入った。


アキラは黙々と食べ始めた。頭の中では佐藤のことと、ハートコアの振動が交錯していた。彼は三日前から0.1Hzの振動を継続的に記録していた。そのパターンは前回の地震前と酷似していた。


「また来るのか…」


彼はため息をついた。もし彼の推測が正しければ、数日以内に再び大きな地震が発生する。しかし、誰も彼の警告に耳を貸さない。マスダ主任は「機器の誤差」と切り捨て、同僚たちも彼を「心配性」と嘲笑した。


「悪い、この席空いてる?」


女性の声に、アキラは驚いて顔を上げた。20代半ばの女性が立っていた。短く刈り込んだ黒髪、鋭い目、機能的な黒いジャケット。右耳には小さな通信デバイスを着けている。


「どうぞ」アキラは席を勧めた。店内は混雑しており、空席は少なかった。


女性は席に着き、タナカに何か注文した。アキラは再び食事に戻ったが、不意に彼女の視線を感じた。彼女は彼を観察していた。


「間宮アキラさん?」彼女は突然、小声で言った。


アキラは箸を止めた。この女性が彼の名前を知っているとは。


「あなたは?」


「私はユナ」彼女は言った。「ハートコアのデータ解析部門で働いています」


アキラは警戒心を強めた。なぜハートコアの人間が彼を探しているのか。佐藤による監視に続いて、これは良い兆候ではなかった。


「何の用だ?」アキラは冷たく尋ねた。


「0.1Hzの振動について話したいんです」ユナは直球で言った。


アキラは息を呑んだ。彼女はどうやってそれを知ったのか。彼の記録は個人的なもので、共有していなかった。


「どうして…」


「私もそれに気づいた一人です」ユナは小声で続けた。「電力データの改竄、地震データとの相関関係、そして『ジオ・コア』」


「ジオ・コア?」アキラは混乱した。初めて聞く言葉だった。


ユナはポケットから小型のデータプロジェクターを取り出し、テーブルの下でアクティベートした。小さなホログラムが二人の間に浮かび上がった。それは複雑なグラフで、ハートコアの振動データと地震の発生を示していた。完全な相関関係があった。


「これは…」アキラは言葉を失った。彼のデータよりも詳細で、長期間の記録だった。


「ハートコアは単なる発電所ではありません」ユナは小声で説明した。「それは監視装置なんです。『ジオ・コア』と呼ばれる何かを監視するための」


アキラは周囲を警戒しながら、彼女の話に聞き入った。ユナは政府のデータベースへのハッキングでこの情報を得たと説明した。ジオ・コアは地球の中心にあり、ハートコアはその状態を監視するように設計されていた。そして最も重要なことに、地震はジオ・コアの不安定化によって引き起こされていた。


「信じられない…」アキラは呟いた。しかし、彼の直感はこれが真実だと告げていた。


「でも、まだ証拠が足りません」ユナは言った。「ハートコアの内部データ、設計図が必要です。あなたは内部にいる。協力してくれませんか?」


アキラは躊躇した。この女性を信用していいのか。彼女は本当に味方なのか。罠かもしれない。


「あなたのご両親と姉は15年前の地震で亡くなりましたね」ユナは静かに言った。「私の両親は反政府活動の罪で投獄されました。真実を追求した罪で」


アキラは彼女の目を見た。そこには彼と同じ痛みと決意が見えた。


二人の会話は、近くのテーブルで起きた騒動で中断された。客の一人、年配の男性が突然、不自然な動きを始めたのだ。彼の首が機械的に回転し、腕が震えていた。


アキラとユナは同時にその男を見つめた。アキラは息を呑んだ。その動きは佐藤のそれと酷似していた。


「あれは…」ユナは声をひそめた。


「ちょっと見てくる」アキラは立ち上がった。


彼はゆっくりとそのテーブルに近づいた。男性は今や普通に振る舞っていたが、その目には奇妙な光があった。男はアキラに気づくと、唐突に立ち上がり、店を出て行った。


アキラが席に戻ると、ユナは緊張した様子で彼を待っていた。


「あれは人間じゃない」彼女は囁いた。


「どういう意味だ?」


「私が発見したデータによれば、政府はアメリカの技術で人工生命体を作り出しています」ユナは説明した。「人間そっくりで、その多くがすでに社会に紛れ込んでいるんです」


アキラは佐藤のことを思い出した。機械的な動き、感情の欠如、食事をしない姿。すべてが繋がった。


「俺の新しい同僚も…」アキラは言いかけたが、言葉を切った。店内のどこかに監視装置があるかもしれない。


ユナは頷いた。彼女は理解していた。


「ここは危険です」彼女は立ち上がりながら言った。「私たちには時間がありません。次の地震は数日以内に来ると思います」


「どうやって知った?」


「振動のパターンです」ユナは答えた。「前回と同じです。そして…」


彼女の言葉は、突然の停電で遮られた。店内が暗闇に包まれ、客たちが驚きの声を上げた。数秒後、非常灯が点き、薄暗い赤い光が店内を照らした。


「停電か」タナカが呟いた。「また始まったな」


停電は地震の前触れだった。アキラとユナは互いに目を見つめた。彼らは同じことを考えていた。時間がない。


「明日、ハートコアで会いましょう」ユナは急いで言った。「私は訪問許可を取ります。データ解析の定例チェックということで」


アキラは頷いた。彼はポケットからデータタブレットを取り出し、彼女に渡した。


「ここに俺の連絡先と、これまで集めたデータがある」彼は言った。「気をつけろ。監視されているかもしれない」


ユナはタブレットを受け取り、自分のバッグにしまった。


「あなたも気をつけて」彼女は言った。「特に、あなたの新しい同僚には」


彼女は立ち上がり、暗闇の中を出口へと向かった。アキラは彼女の後ろ姿を見送った。彼は今、重大な決断をしたことを理解していた。政府に背くこと。真実を追求すること。


再び明かりが戻ったとき、アキラは卵カツ丼を見つめていた。それはすでに冷めていた。しかし、彼の心の中では何かが熱く燃え始めていた。姉の死、ハートコアの秘密、そして迫りくる災害。すべてが繋がっていた。


彼は食事を終え、代金を払って店を出た。スラムの夜空には星が見えなかった。ただ、東京湾の向こうでハートコアの赤い光が脈打っていた。そして、どこかでジオ・コアが不安定になりつつあった。


明日、彼は一歩を踏み出すことになる。政府に対して、そして恐らく人間ではない何かに対して。

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地球の終脈-崩壊する地球の心臓を求めて- @fuji-hiko

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