第3章「不自然な同僚」
瓦礫の中からアキラが目を覚ましたのは、震災から8時間後のことだった。彼のアパートは半壊し、天井の一部が崩落していた。幸い、彼のベッドの真上の部分だけは持ちこたえていた。
「生きてるのか…」
アキラは呻きながら体を起こした。腕に擦り傷、頭には小さな切り傷があったが、大きな怪我はなかったようだ。彼はよろめきながら立ち上がり、がれきの中からデータタブレットを探した。埃に覆われていたが、まだ作動している。
「M7.2、震源は東京湾北部…」
政府の緊急速報がタブレットに表示されていた。アキラは眉をひそめた。これは彼の予測と一致していた。0.1Hzの振動が強まった後に、大規模な地震が発生する。
部屋から出るのに10分かかった。階段は部分的に崩れており、アキラは慎重に下りていった。外に出ると、第23区の惨状が広がっていた。建物の崩壊、道路の亀裂、そして至る所に散らばる瓦礫と人々。緊急対応ドローンが空を飛び、負傷者を探している。
アキラは携帯端末を取り出し、ハートコアに連絡を入れた。
「間宮アキラです。地震の影響で出勤が遅れます」
「間宮さん」応答したのは人事部のAIだった。「本日の勤務はキャンセルされました。明日10時に特別ブリーフィングがあります。第七ユニットの保守担当は全員出席してください」
通信が切れた後、アキラは考え込んだ。特別ブリーフィング?地震の後だから当然かもしれないが、何か違和感があった。
彼はタブレットを再び確認した。0.1Hzの振動パターンは地震の直前に急上昇し、地震発生後は通常値に戻っていた。これはパターンだ。彼はそれを確信していた。
「姉さん…」
ふと、彼は15年前を思い出した。彼が12歳の時、M8.0の大地震がトウキョウを襲った。その時、両親と姉のミカは古いマンションの下敷きになった。彼だけが偶然、学校に居て助かった。
明日は、ミカの命日だった。
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翌朝、アキラは区間列車に乗り、墓地へと向かった。第16区の丘にある公営墓地。地震で亡くなった人々の多くがここに眠っている。
彼は階段を上がり、両親と姉の墓の前に立った。モノリスのような黒い石碑、そこには三人の名前が刻まれている。アキラは花を供え、手を合わせた。
「ただいま」
彼は静かに語りかけた。15年経っても、痛みは消えない。特にミカのことは忘れられなかった。2歳年上の姉、常に彼を守ってくれた存在。彼女の笑顔、優しさ、そして彼に科学の面白さを教えてくれたこと。
「何か変なことが起きてる」アキラは墓石に向かって呟いた。「ハートコアの振動と地震…関係があるんだ。でも、誰も聞こうとしない」
風が吹き、墓地の木々が揺れた。アキラは深く息を吐き、立ち上がった。時計は9時15分。ブリーフィングまでまだ時間がある。
墓地を後にしようとしたとき、彼は不意に首筋に視線を感じた。振り返ると、50メートルほど離れた場所に一人の男が立っていた。黒いスーツを着た背の高い男性。アキラと目が合うと、男はすぐに視線をそらし、歩き去った。
「誰だ…?」
アキラは眉をひそめたが、追いかける時間はなかった。彼は急いで列車の駅へと向かった。
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ハートコア第七発電所。10時ちょうど、特別ブリーフィングが始まった。会議室には第七ユニットの保守スタッフ全員、約30人が集まっていた。マスダ主任が前に立ち、昨日の地震の影響と対応策について説明していた。
「ハートコアは設計通りに機能した。制震システムが作動し、各ユニットは安定を保った」マスダは淡々と語った。「しかし、念のため全システムの点検を実施する。各担当者に新しい点検スケジュールを配布する」
アキラは半ば上の空で聞いていた。彼の心は振動データに向かっていた。あの0.1Hzが再び現れるのか。そして次はいつ地震が来るのか。
「最後に、人事異動の発表がある」マスダは続けた。「本日より、佐藤レンが第七ユニットに配属となった。皆さん、よろしく」
会議室の扉が開き、一人の男性が入ってきた。すらりとした体格、30代前半に見える。しかし、アキラが目を見開いたのは、その男が墓地で見かけた黒いスーツの男と同一人物だったからだ。
「佐藤レンです」男は完璧な笑顔で頭を下げた。「よろしくお願いします」
ブリーフィング終了後、アキラは自分のワークステーションに戻った。彼は昨日の地震データと、その前後のハートコアのパフォーマンスレポートを調べ始めた。公式記録では全て正常となっていたが、彼自身のデータでは振動があった。この不一致は何を意味するのか。
「間宮さん」
突然の声にアキラは飛び上がりそうになった。振り返ると、佐藤レンが立っていた。近くで見ると、彼は完璧すぎるほど整った顔立ちをしていた。
「あ、佐藤さん」アキラは動揺を隠そうとした。「仕事に慣れましたか?」
「ええ」佐藤は微笑んだ。その笑顔は口元だけで、目は笑っていなかった。「マスダ主任から、あなたに私の教育を担当してほしいと言われました」
アキラは困惑した。誰かの教育を担当するのは初めてだった。しかも、墓地で彼を監視していたこの男を。
「わかりました」アキラは渋々同意した。「では、基本的なシステム説明から始めましょう」
次の数時間、アキラは佐藤に第七ユニットの制御システムを案内した。佐藤は驚くほど理解が早かった。一度説明しただけで複雑なプロトコルを把握し、時には専門的な質問も投げかけてきた。
「佐藤さんは以前、どこで働いていたんですか?」アキラは尋ねた。
「アメリカの研究所です」佐藤はすらすらと答えた。「バイオテクノロジー分野でした」
「なぜハートコアに?」
「日本に戻りたかったのです」佐藤の表情は変わらなかった。「それに、ハートコアは興味深い施設ですから」
昼食時、佐藤はアキラと同じカフェテリアテーブルに座った。アキラは不自然に感じながらも、会話を続けた。佐藤のことをもっと知りたかった。なぜ墓地にいたのか。なぜ彼を監視していたのか。
「昨日の地震、第23区はかなりの被害だったようですね」佐藤は唐突に言った。
アキラは一瞬固まった。彼が第23区に住んでいることを、なぜ佐藤が知っているのか。
「はい…私のアパートも一部が崩れました」アキラは慎重に答えた。
「幸運でしたね、無事で」佐藤は食事を口に運んだ。その動きは少し不自然だった。まるで食べるという行為を学んだばかりのようだ。
アキラはさりげなく佐藤の手首に目をやった。そこで彼は不思議なことに気づいた。佐藤の脈が見えない。肌の下に血管の動きがないのだ。
「佐藤さん、具合が悪いですか?」アキラは聞いてみた。
「いいえ、完璧です」佐藤は微笑んだ。「なぜそう思われたのですか?」
「いえ…」アキラは言いよどんだ。「少し顔色が悪いかと思って」
午後、二人は第七ユニットの直接点検に向かった。保護服を着て、心臓の拍動を間近で確認する作業だ。ユニットの中に入ると、そこは赤い保護液に満たされた巨大なタンク。中央に10mの人工心臓が規則正しく拍動している。
「素晴らしい」佐藤は心臓を見つめながら言った。その目に初めて感情らしきものが浮かんだ。「地球の小さな模型のようですね」
アキラは眉をひそめた。なぜ「地球の模型」なのか。単なる比喩か、それとも何か意味があるのか。
点検作業中、佐藤は驚くべき効率で動いた。重い機材を軽々と持ち上げ、複雑な計算を頭の中で瞬時に行った。そして何より奇妙だったのは、4時間の作業中、一度も疲れた様子も、汗をかく様子も見せなかったことだ。
作業終了後、アキラはサーバールームに立ち寄り、佐藤の人事ファイルを密かに確認した。基本情報はあったが、詳細は「機密」とされていた。なぜ一介の技術者の情報が機密扱いなのか。
帰宅時間、アキラは佐藤に見られないよう、別の出口から施設を出た。彼の頭の中は疑問でいっぱいだった。
佐藤レンとは何者なのか。なぜ彼を監視しているのか。そして、あの不自然さ——感情の欠如、機械的な正確さ、脈拍の不自然さ。彼が人間ではないという考えが、アキラの頭をよぎった。しかし、それは荒唐無稽すぎる。
列車に乗りながら、アキラはタブレットを取り出した。今日も0.1Hzの振動は継続していた。そして、その強度は再び増加し始めていた。
次の地震はいつ来るのか。そして、佐藤レンの正体は何なのか。この二つの謎が、アキラの心を占めていた。
窓の外では、夕暮れの東京湾に浮かぶハートコアの赤い光が、まるで警告のように点滅していた。
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