第2章「データの裂け目」


トウキョウ・ネオの政府分析センター、32階。

ユナは半透明のホロスクリーンを凝視していた。薄暗いキュービクルの中、彼女の顔は画面の青い光に照らされている。彼女はキーボードを叩き、指先がスクリーン上で踊る。23歳、電力網データ解析部門の新人だが、その腕は部内でトップレベルだった。


「ここにも…」


彼女は眉をひそめた。電力消費グラフに不自然な跳ね上がりがある。第7区、午前2時48分から3時12分まで、使用量が17%急増していた。しかしハートコア発電所の出力記録には、その増加は記録されていなかった。


「改竄されている」


ユナは呟いた。彼女の指先は更に速くなり、データの深層に潜っていく。これは彼女が3週間前から気づいていた謎だった。電力網のデータと発電所の記録に微妙な不一致がある。誰かが意図的にデータを書き換えているのだ。


ふと、背後に気配を感じた。ユナは慌ててスクリーンを閉じ、公式の業務画面に切り替えた。


「残業か?」


スーツを着た中年の男性が声をかけた。カンダ課長、電力データ監視部門の責任者だ。


「はい」ユナはにこやかに微笑んだ。「第19区の電力変動パターンを分析していました」


「熱心だな」カンダは微笑み返したが、その目は彼女のスクリーンを探るように動いた。「でも、若いうちは体が資本だ。もう帰りなさい」


カンダが去ると、ユナは深く息を吐いた。時計は午後10時を回っている。彼女はバッグを手に取り、オフィスを出た。


---


アパートに戻ったユナは、ドアの生体認証を済ませ、速やかに部屋に入った。狭いワンルームだが、壁一面がコンピュータ機器で埋め尽くされている。彼女はコートを脱ぎ捨て、メインシステムを起動した。


「セキュリティーシールド、展開」


彼女の声に応じ、窓が自動的に遮光し、部屋を電磁波から遮断するシールドが発動した。違法な機器だが、彼女のような者には必須のものだった。


ユナはポケットから小型のデータカプセルを取り出した。職場から持ち出したデータの複製。彼女は迷いなくそれをメインコンピュータに接続した。


「さて、本当は何が起きているの?」


彼女の指先が再び躍りだす。まず、電力網の生データにアクセス。次に、改竄の痕跡を除去するアルゴリズムを適用。徐々に、本当の電力使用パターンが姿を現した。


画面に浮かび上がったグラフを見て、ユナの目が見開いた。改竄されていたのはハートコアだけでなく、地震データだった。


「これは…相関してる?」


彼女は急いで別のディスプレイを開き、過去一ヶ月の地震データを呼び出した。トウキョウ・ネオ周辺では、M6以上の地震が10回発生していた。そのタイミングと、ハートコアの電力異常は完全に一致していた。


「証拠が必要」


ユナは考え込んだ。彼女が今見ているのは間接的な証拠に過ぎない。ハートコア自体のデータが必要だった。しかし、それは政府のファイアウォールの奥深くに隠されている。


彼女は決心した。政府のネットワークに侵入する。違法行為だが、真実のためなら仕方ない。


「プロトコル・シャドウ、起動」


彼女の声に応じ、システムが特殊なハッキングプログラムを起動した。彼女自身が開発したマルウェア、政府のセキュリティを迂回するプログラムだ。ディスプレイには進行状況が表示される。10%、30%、67%…


「来た!」


ファイアウォールが突破された。彼女は息を殺し、ハートコアの内部データベースに侵入した。山のようなデータファイルが表示される。彼女は「振動」「異常」のキーワードで検索を実行した。


すると一つのファイルが浮かび上がった。「プロジェクト・エピセンター」。彼女はそのファイルを開いた。


「なんてこと…」


画面に表示されたのは、衝撃的な情報だった。ハートコアで検出された0.1Hzの異常振動。そして、その振動と地震発生の明確な相関関係。さらに驚くべきことに、地震は振動の「結果」ではなく「原因」として記録されていた。


ユナは手に汗を握った。ハートコアは単なる発電所ではなかった。それは何かを監視するための装置だったのだ。そして、その「何か」が不安定になっていた。


彼女は更に深く潜り、関連ファイルを探した。すると、「ジオ・コア」という単語に行き当たった。しかしそのファイルはさらに高度な暗号化がされており、アクセスできなかった。


「時間切れ」


侵入検知システムが反応し始めた。彼女は急いでデータをコピーし、接続を切断した。政府のセキュリティがハッキングを検知する前に、彼女はシステムからの撤退を完了させた。


安全を確認し、ユナはコピーしたデータを吟味した。ハートコアと地震の関係は明らかだった。しかし、全体像はまだ見えない。「ジオ・コア」とは何なのか?


彼女はふと、窓の外を見た。今日も東京湾の向こうでハートコアの赤い光が点滅している。15年前、あの大地震で彼女の両親は反政府活動の疑いで投獄された。真実を追求した罪で。


「お父さん、お母さん…今度は私が真実を明らかにする」


その時、アラートが鳴った。彼女のセキュリティシステムが、部屋の外に不審な電子信号を検知したのだ。誰かが監視している。


彼女は速やかにシステムをスリープモードに切り替え、通常の照明に戻した。政府の監視の目を欺くため、普通の部屋に見せかける必要があった。


窓からそっと外を覗くと、通りの向かいに駐車した黒い車が見えた。中に人影がある。


「もう監視が始まってる…」


ユナは唇を噛んだ。彼女は長年、政府のレーダーの下で活動してきた。両親の時のような拙速な行動は取るまい。慎重に、確実に真実を暴く。そのためには、ハートコアについてもっと知る必要があった。


彼女は小型のタブレットを取り出し、ハートコアの保守部門の人員リストにアクセスした。真実を知る鍵は、内部の人間にあるかもしれない。


リストをスクロールすると、一つの名前が目に留まった。「間宮アキラ」、27歳、第七ユニット保守技師。勤務評価は平均以上だが、上司からの評価には「過度な好奇心」という注釈があった。


「この人物なら…」


ユナは微笑んだ。接触する価値のある人物を見つけたようだ。彼女はアキラの個人ファイルを更に調査した。家族を地震で失ったスラム出身。現住所は第23区。


「明日、会いに行こう」


彼女はタブレットを閉じ、ベッドに横になった。しかし、眠れなかった。頭の中では「ジオ・コア」という言葉が繰り返し響いていた。地球の深部に何かがある。そして、それが不安定になっている——


突然、部屋が揺れ始めた。小さな振動が徐々に大きくなる。ユナは飛び起き、ドアフレームに身を寄せた。


「また来た…」


揺れは激しさを増し、部屋の物が倒れ始めた。ユナのコンピュータ機器が床に落ち、ディスプレイが割れる音がした。彼女は目を閉じ、震えを我慢した。


窓の外では、建物が崩れる音と人々の叫び声が聞こえた。第23区の脆弱な建築物はこの揺れに耐えられない。


「ハートコア…ジオ・コア…」


彼女は暗闇の中で呟いた。この地震と、彼女が発見したデータの関連は明らかだった。真実を知る必要がある。そして、それを世界に伝える必要がある。


揺れがようやく収まったとき、彼女は決意を新たにしていた。明日、アキラという男性を探し出す。彼と協力して、ハートコアの秘密を暴く。そして、両親の無実を証明する。真実のために。


窓の外で、ハートコアの赤い光が今も点滅を続けていた。

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