さよならのあと、名前を呼んだ

あきせ

クラスの人気者

最寄り駅から歩いて十五分。

その道の途中にある小さな公園が、私たちの秘密基地だった。


ブランコがきしむ音と、夕方の風。

住宅街の隙間から差し込むオレンジ色の光。

高校二年の夏、私はたしかにあの場所に、そして彼の隣にいた。


「ここさ、誰にも知られてないと思ってたのに」

「うん、実はうちの犬の散歩コースだったんだよね」


笑いながら、彼――直哉は私の隣に座った。

ベンチはひとつしかなくて、必然的に距離は近い。


「最初に見つけたとき、あ、綾乃がいたら似合いそうって思った」


「……え、なにそれ」


「うん、なんか、ひとりでぼーっと空見てる姿が浮かんだ。実際に見たとき、ちょっと感動した」


心臓が跳ねた。

でも私はそれを顔に出さず、笑ったふりをした。


直哉はクラスの人気者だった。

誰とでも自然に話せて、部活ではサッカー部のエース。

私はと言えば、どちらかというと静かなタイプで、放課後は図書室にいることが多かった。


そんな私たちが仲良くなったのは、たったひとつの偶然だった。

図書室の本を間違って貸し出しカウンターに返しに来た彼に、私が「こっちですよ」と声をかけた。


それだけ。


でもその日から、彼はたびたび図書室に来るようになった。

借りる本はほとんど読みかけで返していたし、話しかける口実が欲しかったのは見え見えだった。

それでも、私は毎回嬉しかった。


夏が終わる頃には、二人でその公園に行くのが“当たり前”になっていた。


「なあ」


夕暮れの色が、今日も空を染めていた。


「俺、たぶん、綾乃のことが……」


言いかけた言葉が、蝉の声にかき消された。

私はそれを聞いたふりをして、わざとブランコを揺らす音を立てた。


「なんでもない」


彼はそれきり、何も言わなかった。


あの日、あの言葉の続きを、私はずっと想像していた。

でも答えを聞くのが怖くて、聞こえなかったふりをした。

今でもたまに夢に見る。蝉の声と一緒に、風に流れていった声。


そして卒業の日。

みんなが写真を撮って騒いでいる中、私は最後まで声をかけられなかった。

「直哉、東京の大学行くんだって」

友達の言葉に、心の奥が少しずつ冷えていった。


連絡先は知っていた。

でも送らなかった。

送れなかった。


時は流れて、あれから五年。

私は地元の中学校で教師になった。

まだ慣れない日々で、生徒の前では笑いながら、帰ってから一人反省会ばかりしていた。


そんなある日、公園の前を通った。

あのベンチはまだあって、少し色あせていた。


ふと、誰かが座っていた。

あのときと同じように、夕暮れの中で、空を見上げていた。


近づくと、彼だった。


「……直哉?」


彼は驚いたようにこちらを向き、すぐに笑った。

昔と変わらない、でも少し大人びた笑顔。


「やっぱり綾乃だった。変わんないな、びっくりした」


「なんでここに?」


「たまたま帰省してて。つい、来ちゃった。……この時間、好きだったよな」


私は頷いた。

会話がぎこちなくも、懐かしい空気が流れる。


沈黙のあと、彼が言った。


「俺さ、あのとき言いかけたこと、覚えてる?」


「……うん」


「もう、時効かなって思うけど」


彼は少し恥ずかしそうに笑った。


「たぶん、あの頃、綾乃のことが好きだった」


心臓がまた、跳ねた。

でも今度は、静かに受け止められた。


「うん、知ってたかも」


「マジか」


「私も、たぶん、同じだったよ」


風がふわりと吹いて、髪が揺れた。

そのあと、二人とも笑った。


もう過去には戻れない。

でも、あの頃がたしかにあったことが、今の私たちを少しだけ優しくしてくれる。


「……またいつか、ここで」


「うん」


それだけ言って、私は名前を呼んだ。


「直哉」


彼が振り返った。


その笑顔が、今でも少しだけ胸に残っている。

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さよならのあと、名前を呼んだ あきせ @yuke7my

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