婚約破棄ものの真似

カタクチザリガニ

本文

「アナスタシア、お前との婚約を破棄する!」

「はい」

「…いや、もうちょっとこう、あるだろ」

「はい?」

「冤罪だーとか、貴方にそんな決定権は無いでしょうとか」

「ああ、流行りのやつですか」

「いやお前、そんな身も蓋もない…」

「流行りに乗ったのでは?」

「そんなつもりは無い」

「でも、ここまでのやり取りも見たことあります。テンプレにメタ張る所まで」

「そうかも知れんが、私にはちゃんと意図がある!」

「聞きましょう」

「私の母が北方の辺境伯家が出身である事は知っているな?」

「王太子妃教育の一環で教わっています」

「ならば、その執事家については?」

「一応程度には。確か代々の領内事業一切を取り仕切っていますよね?」

「ああ、それと領外との交易許可もだな」

「ご領主一族は蛮族対策と外交が主でしたよね?」

「蛮族の方は、3年前の大侵攻の際に、こちらの大勝で終わった影響で、すっかり大人しくなっているので、気を抜けないながら平和だな。外交も大きな対立や障害は聞こえていない」

「内情は分かりませんよ?」

「辺境伯家は蛮族対策の要なのだ。流石に王家からも偵察は入っている」

「結果問題無しだと?」

「ああ、辺境伯自身の忠誠心まで見ても問題は見当たらない。敢えて問題点を挙げるなら、錬金術師を雇って何かをしている事位か」

「その位だと、ある程度大きな領であれば不自然な話でも無いですね」

「辺境伯本人の説明では、領内の作物以外の中から有益な物を調査させているようだ」

「ならば、本当に普通の経営の一環ですね」

「国内でやや麦が不作ゆえ、北方では高くなっていると報告は聞いているが、それ以外の雑穀で庶民は凌いでいるらしい」

「だから婚約を破棄するんですか?」

「待て、今の話がどう繋がった?」

「北方の食料事情改善に乗り出すため、王子の座を棄てて北方へ赴く。生涯の事業と覚悟しているので婚約を破棄して向かうのでは?」

「そこまで切羽詰まってはいないし、農業の知識も学園で習った程度だ」

「そうでしたか。早とちりしました」



「元々執事の話だと切り出していた筈だ」

「そうでした。その執事が何か?」

「その執事が徴税請負人と結託して、大規模な税の中抜きを行なっていたのだ」

「結託ですか」

「ああ、徴税請負人は自分を指名業者にしてもらうために、執事に相当のキックバックを渡していたようだ」

「そんな事をしては儲けが無くなるでしょうに」

「だから請負人は定められた税の倍以上、取っていたのだ」

「そのような事をして、辺境伯の耳に入ったらどうするのですか」

「どうもならないな」

「何故ですか?」

「貴族は金に執着せず、名誉を重んじる。仮に知ったところで執事に決められた税を守るよう厳命して終わりだろう」

「決められた税を守らないなど、それこそ名に傷がつくのでは?」

「徴税請負人など、どの土地でも複数雇っている。だから請負人が儲けとして上乗せで取る前提として、税は決まっている。今回は下々の者が取り過ぎたというだけで、辺境伯の名に傷など付かない」

「そうなんですか」

「それに、仮に執事を罰として替えるとして、予備と成り得る人員など、余程の偶然か事前準備が無ければ、普通はいない。よって多少の叱責と減俸程度だろう」

「お家の事情なのですね」

「だが、私は現状が決して良いとは思えない。徴税請負人を無くせば、それだけ国庫が潤い、民の生活も楽になるはずだ」

「無くせるのですか?」

「国による徴税機関を設立し、国として徴税を行えば良い。もちろん遵法精神を厳しく守らせて」

「…大掛かり過ぎませんか?」

「必要な予算も人員も膨大になるだろう。技能も必要になる。私一代で完成しないかも知れない」

「そこまでの規模ですか…」



「ところでアナスタシアは、科学について知っているか?」

「はい、何でも錬金術の派生で生まれた学問で、将来有望なのだとか」

「そうだ。私もきちんと学んだ訳ではないが、確かに有望なのだ」

「どの辺りがでしょうか?」

「現在、個々の錬金術師が秘匿している技術を統合して、今ある物を変質させる事を得意とする学問として今後発展させたいらしい」

「…もう少し簡単な言い回しでお願い出来ますか?」

「…金じゃなくて、役に立つ物を作る学問だ」

「ありがとうございます。分かりやすいです。ですが今の時点で有望とは分からないように思えますが」

「過去に錬金術師の発見した様々な物が参考になるだろう」

「過去の物はある意味で偶然では?」

「そうかも知れん。だか、この度見つかった金属に、私は将来性を感じた」

「その様なものが…」

「とある修道士、兼錬金術師の発見したものだ。名をアルミニウムと言う」

「その金属は、それほど特異なのですか?」

「鉄に比べれば遥かに柔らかいが、とにかく軽いのだ。そして鉄より錆難いらしい」

「それは…」

「現在鉄で作っている物の内、アルミニウムに置き変わる物も多かろう」

「確かに錆難くて軽いならば、変えたい物も思い付きます」

「私が立太子したら、科学についても力を入れたいと考えている」

「先程仰られていた徴税機関といい、大規模な変革になりますわね」

「そうだな。場合によっては数世代掛かるやもしれん」

「後世に語り継がれる大事業ですね。私も王太子妃として覚悟しないと」

「お前は婚約破棄されただろう?」

「そうでした。つまり私では不都合であると?」

「これらに共通して大事な事が分かるか?」

「予算と人員、後は時間と教育でしょうか?」

「それらも確かに大事だが、為政者として大事な事だ」

「為政者として、ですか?」

「ああ」

「………何でしょう。想像も付きません」

「数学だ」

「………」



「徴税官が数字を使うのは想像出来るだろう。錬金術師…この場合は科学者か。彼らは薬品を正確に計り、数字など基準が変わらない物を使って結果を書き記す。どちらも数字に対する理解が必要だ」

「…為政者は大まかな指示が出来て、大まかな結果を受け取れば良いのでは?」

「今まで通りで行くなら、それも通用するかも知れない。だが、どちらも完全に新規の事業であり、どれだけ時が掛かるか分からない物だ。気長かつ正確に把握しなければならないだろう」

「王家が正確に把握しなくても、現場がするのでは?」

「勿論してもらわなければ困るが、これから国が力を入れる分野だ。予算も相応になる」

「…不正経理を警戒していらっしゃるのですか?」

「錬金術師の金の使い方を見ると、どうしても…な」

「そこまで警戒するのでしたら、専門の経理を置けば良いのでは?」

「そこが難しくてな。科学のために必要な物と不必要な物が区別できて、なおかつ厳正に会計出来なければならない。そのためには科学と会計、両方の知識が必要だ」

「現在そのような事が出来るのは…」

「強いて言えば錬金術師だろうな」

「それが当てにならないと」

「なる者もいるかも知れんが、私の耳には入って来ない」

「それは気が遠くなりますね」



「徴税官とて税収や人口の推移から、不自然な箇所を見つけなければならん。相当に経験が必要だろう」

「それならば、徴税請負人を徴税官に教育し直せば…」

「今まであからさまに美味い目にあっていた者が、そう易々と改心すると思うか?」

「…あり得ませんね」

「なので近々原型をつくり、貴族の子を学園から徴税官として雇い、教育する他あるまい」

「貴族…なるほど、貴族ならば金より名誉に重きを置くから…」

「徴税官を名誉職として扱い、生活出来る程の金と勤めた年数による勲章が妥当か」

「あまり給与が低くても不味いのでは」

「当たり前だ。同年代よりも優遇する」

「ただ給与が高くても、徴税そのもののイメージが悪ければ、成り手はいないのでは?」

「そうだな。そこも改善が必要か」



「と、ここまで大まかに決められるのに、数学が必要ですか?」

「彼らの報告書は数字が乱舞するだろう事は、今から想像がつく。彼らとて報告するからには、内容を認めて欲しかろう。その時私は数字が理解出来ません、なのであなたを褒められません、では彼らもやる気を失うだろう」

「その辺りは統括する者が把握していれば良いのでは?」

「統括する者は、上位機関の出向者だろう。まさに『現場を分かっていない』と取られる可能性が高い。それならば、出来るだけこちらで把握し、評価したい」

「王子は今でさえご多忙でしょう。そこまで出来ますか?」

「少なくとも定期的に報告を直接見たい」

「その際に一緒に報告書を見て欲しいと?」

「そうだ。そのために数字に明るい必要がある」

「何故ですか?王妃は子を産み、王宮内の政治を調整するものでは?」

「研究者でなくとも、傘下の者は良い評価を欲しがる事は予想が付く。下の者では言い出せない、言いにくい事に気付き、王となる私に言って欲しいのだ」

「だからと言って…」


「アナスタシア、お前の数学の成績は?」

「………『可』、です」

「それは将来の王太子妃として忖度された後のものだな?」

「………」

「質問を変えよう。7×4は?」

「…26」

「76+13は?」

「…繰り上がって…」


「お前との婚約を破棄する!」

「数学頑張りますから!」

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