奈落のユーフォリア

秋乃光

レッツゴードンキ

 このご時世、動かせるような車はない。車があれば、私も歩いては行かない。すべてを轢きながら、直進していくだろう。運転できるのなら、すでに目的地に着いている。


 道路のど真ん中を堂々と人間が歩いていても、誰も文句を言わない。言えるような賢いヤツは地上を出歩かない。知的生命体としての会話が成り立つレベルの人間は、地下に潜るかシェルターに入っている。そういう世界になってしまった。


 そして、往々にして、悪い予想はあたる。


「あーあ」


 バットが折れた。だが、あと三体の『なれの果て』がいる。五体に囲まれて、二体の頭をかち割った。コイツらは脳みそを壊さない限り、襲いかかってくる。だから、非力でインドア派の私はバットを振り回していた。本来の用途ではないのは承知の上だ。スポーツ用品として使用されずにその一生が終わってしまい、バットもさぞかし無念だろう。これまで逝ったバットのぶんまで、私は生きねばならない。


 しかし、どうしたものかな。他に武器らしい武器はない。素手でどうにかなる相手でもなければ、そもそも私に武道の心得はない。わかっていることといえば、倒しきれなければ、私もおしまい、ってこと。年貢の納め時はちょうど今。


 ――簡単に諦められるのなら、とっくのとうに折れている。


「じゃあな、六号」


 六号通算六本目のバット最期の一仕事として、柄の部分を真ん前の一体にぶん投げた。眉間にあたって、相手はのけぞる。ただし、一時停止しただけで、致命傷は与えられていない。やはり、頭部を完全に破壊しなくてはならないご様子。わかっちゃいたけれども、舌打ちはさせてもらおう。


 成人だろうと子どもだろうと、この、動く死体リビングデッドになってしまったら、もう元には戻れない。現在いまは、まだ。生者に襲いかかり、噛みついて、感染させて、増えていく。コイツらはかつて小さな脳みそに幾許かあったはずの知性が腐っちまっているから、有機物は口に運び、無機物は壊してしまう。地上は食いかけのゴミと、芸術品のようなスクラップだらけだ。


 私は運良く噛まれていないだけの、いたって普通の一般女性。いや、ウソ。長らく地下で暮らしていたから、普通の一般女性より体力がなく、見ての通り、腕も足も細くて。戦いには不向きだとしても、一身上の都合により生き延びなくてはならないので、、敵を倒しながら進んでいる。行く手を阻む者は、オトナだろうとコドモだろうと容赦しない。


 冷たい人間、と思うか?


 私にだって、人並みに罪悪感や葛藤はある。私の目的地は、ゾンビを元の人間の姿に戻せるような手段を研究している施設がある、とウワサされているシェルターだから『もしここで出会っていなければ』と、思わずにはいられない。特に、ちびっ子を殴るとき。


 私を知っている人間は、私がガキに対して躊躇している姿を見たら、たぶん、手を叩いて笑うんだろうな。


「ユーフォリア!」


 魔法の呪文を唱えた。私の『最高傑作ユーフォリア』は、この呪文に反応して、小さな肉体ボディに秘められた力を解放する。具体的には、私を取り囲む三体のバケモノたちの四肢をもいで臓器を引きちぎり穴という穴に人差し指を突っ込んでかき回し、どす黒い血を見てケラケラと笑った。


 最初から使えばいいのに、って?


 私が窮地に立たされたらすぐに使えりゃいいんだが、この呪文を一回使うと、次に使えるのはHP肌ポイントが完全に回復してからになる。回復しきってなかったんだよ。こんなに短いスパンで使うものではない。私だけで倒しきりたかった。


 スキンじゃなくて肌だからHP。スキンだったらSPになるだろ。化粧水や美容液をびちゃびちゃに塗り込んで、寝かせると、HPは回復する。HPの減った状態のユーフォリアは、しわしわのよぼよぼで見るに堪えない。これじゃあまるで背の低い老婆だ。この世に生を受けて確か五年ぐらいなのに、卒寿を迎えましたと言われても信じる。早く回復させてやらないと。次にいつ襲われるかもわからない。ヤツらは回復するまで律儀に待ってくれない。


「よいしょっと」


 私は笑い疲れてうとうとしているユーフォリアを抱き上げた。案内標識を見上げる。例のシェルターがある街の名称は、まだ、ない。方角は合っているから、進んでいけばいずれはたどり着くはずだ。


 異端者として追放された私が最前線に舞い戻る。HPの研究成果を引っさげて馳せ参ずれば、非常に心強い味方となるだろう。青白い肌を、健康的な肌に戻すのだ。私は役に立つ。人類の再起に貢献するのだ。


 私の心は空より広く、海より深い。一度の失敗追放は許そう。私の実績であるユーフォリアを見れば、迎え入れてくれるに違いない。


「まま」

「何?」


 母親ではないから『まま』と呼ぶのはやめてほしいが、何度言っても直らないので放置している。ユーフォリアの本当の母親は、私も知らない。


 凡才どもに才能を理解されなかった私は、地下でHPの研究をしていた。地下には、地上で生まれて、様々な事情で親が育てられなくなったコドモを集める『孤児院』がある。この『孤児院』から実験体を寄付してもらっていて、ユーフォリアもそのうちの一体だった。地下ではよくある話だ。


 地上にクリーチャーが跋扈ばっこするようになり、人々が地下に逃げ込むようになってから、状況が変わってしまった。寄付は禁止され、私の研究は人倫的にダメだとか言われて研究ができなくなる。さらには、研究室を地上の人間の避難施設として使うだのと宣言されて、地上へと追い出された。思い出したらイライラしてくる。アイツらは「空木うつぎ博世ひろよは人体実験をしている!」と糾弾してきた。地上ではどうしてもできないからってひっそりと地下でやっていたものなのに、後から来たヤツは偉そうに正義をふりかざす。


 地下から最高傑作ユーフォリアだけは連れ出せた。他にも実験体はいたけれど、私にはこの子さえいればいい。私にもっともなついていて、従順だ。呪文を唱えれば、いち早く駆けつけて、私を守ってくれる。欠点は私を『まま』と呼ぶことぐらい。


「ゆー、えらい?」

「えらいえらい」


 頻繁に『えらい』とか『すごい』とか、一種の褒め言葉を要求してくる。答えてやると満足するようで、安らかな表情を浮かべて寝始めた。言うだけでいいのなら、いくらでも言ってあげよう。


「お」


 使いやすい武器がなくなったので武器を調達したい。腹が減ったから食料品はほしい。HPの回復のためにスキンケア用品が必要だ。この三点を回収できるディスカウントストアが、大通り沿いに見えた。こういう場所には、地下やシェルターに入れてもらえなかった生き残りが籠城している。これまでの経験上、九割の確率でグループができていた。残りの一割は、そのグループが瓦解した後の状態。


 生き残りは小規模のグループを結成して、リーダーを指名し、リーダーを中心にして、この世界が元の状態に戻るまでひたすら耐えている。ここのリーダーが比較的温厚なことを祈りながら入店し、化粧品コーナーを目指した。


「まま」

「どうした?」

「おなかすいた」

「先にお化粧をしてからにしましょう。ね?」

「うん……」


 ユーフォリアはお菓子コーナーをチラチラと気にしている。お菓子コーナーに行くためにも、まずは回復しないといけない。不用意に近寄って不意打ちを食らってから学んだ。人は食べ物の近くに潜んでいる。自分たちが一番必要なものを守らないといけないからだ。


 二の舞は演じない。

 ちょっと前に受けた傷が、警告のように、じわりと痛んだ。


「まま?」

「ん?」


 ネガティブのスイッチがカチリと入ると、心配事が止まらない。目的地に着いたとして、受け入れられなかったらどうしようだとか、私がゾンビになってしまったらとか。ユーフォリアは一体でも生きていけるのかとか。


「だいじょうぶ?」

「あなたが居てくれたら、大丈夫」


 私が信じられるのは私自身と、私を信じてくれるユーフォリアだけだ。

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奈落のユーフォリア 秋乃光 @EM_Akino

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