勇者の衝動

筋肉痛

本編

 生まれる時代を間違えた。


 本郷ほんごうは自分の衝動を無理やり抑える時にいつもそう思っていた。生まれるのが遅すぎたのか、あるいは早すぎたのか。

 人類の歴史は暴力が巧い者によって作り上げられているのに! 本郷は本当に運が悪い男である。


 人類は菓子の形が筍か茸かという極めて矮小な事象ですら戦争を起こす、何が何でも争わずにはいられないお茶目な種族であることは、周知の事実であろう。

 しかし、信じられない事に昨今は、比較的平穏な時代が悪夢のように続いている。皆が本能に逆らい、暴力を必死で忌み嫌おうと日々努めている生き辛く眠たい時代である。

 そんな冗談のような時代に産み落とされたばかりに、本郷は己の中の暴力衝動をいかに昇華するか、常日頃から頭を悩ませていた。

 多くの迷える子羊と同じように、彼もまた教育と言う名の洗脳をされていたのだ。


 オトモダチヲ ブッテハ イケマセン。ミンナ ナカヨク。


 そんな腹落ちしないお題目で洗脳を受けながらも、本郷は甚だ疑問だった。暴力を振るってはいないものの、級友の一人を意図的に無視したり、根も葉もない噂を流したりする連中は果たして仲良くやっていると言えるのか? 陰湿で回りくどくないか? 流血を厭わない純粋な闘争の果てにこそ、真の繋がりが生まれるのではないか、と。ただ、級友は皆その宗教を信じていた。自身が異を唱えれば魔女狩りに遭うのは火を見るよりも明らかで、その民意・同調圧力という恐ろしい魔物達には、いかに本郷が無鉄砲と言えど抗う事はできなかった。


 そうして子供の頃から彼の鬱憤は溜まっていった。それでも高校生まではサッカーに熱中したフリをする事で、なんとか誤魔化せた。だが、拳を振るうことを固く禁じるスポーツに彼の衝動は荷が重すぎた。ボールではなく人頭を全身全霊で蹴りそうになったので彼はサッカーを辞めた。

 

 大きくなる一方の衝動を抑えるために次に試したのは各種格闘技だった。だが所詮、児戯だった。暴力はつまるところ、いかに相手を殺すかだ。効率的破壊行為を不可解な約束ルールで禁止している格闘技が彼を満足させるはずがなかった。ルールに従う姿勢を一切見せず、相手を病院送りにする事からあらゆる格闘技の道場・ジムの出禁を喰らった。ひどい時には相手の耳を嚙みちぎった事もあった。最早、獣そのものである。


 はらわたの中にマントルがあるような、自身が活火山になって大噴火を起こすような、そんな抑えきれぬ衝動を本郷が抱えている頃、彼はこの狂乱社会に放たれようとしていた。半ば朦朧としている意識で就職活動の真似事をしている時、ある言葉が本郷の魂を突き刺した。

 それは手垢どころか体中のありとあらゆる老廃物をこれでもかとつけた陳腐な言葉だったが、本郷の頭を冴えわたらせるのには十分な金言だった。


「ビジネスは戦争である」


 本郷は思った。やはり、と。

 人々はあの宗教を信じながら、面従腹背で求めているのだ。血沸く闘争を。


 本郷はのめり込んだ。睡眠時間が3時間以上になる日が珍しくなるほどに。本能に忠実な熱情は、結果を連れてくる。世界でも有数の外資銀行に就職を決め、すぐに頭角を現し、数年で部下を何人も持つようになった。その過程で上司や同僚及び競合他社、時には顧客達が挫折あるいは破滅していく様を何回も目の当たりにした。


 本郷はたぎった。


 サディズムに倒錯したわけではない。命のやり取りに近い闘争の渦中に身を置いている事が何よりも至福だったのだ。突き詰めた結果として勝利を積み重ねているが、勝ちに拘っているわけでもない。闘争の果てに己が朽ち果てようとも彼は笑っただろう。むしろ、それを無意識に望んでいた。最早、衝動に付き合いきれなくなっていたのかもしれない。


 だが、衝動は彼を許さない。


 ビジネスへの熱中も数年で冷めつつあった。確かにビジネスは戦争ではある。だが、血が流れない。比喩では駄目だ。本物の血を見なくては。

 本郷の衝動は原始的及び動物的なものだ。文明や文化というまやかしで人類が塗り潰してきたものだ。身体性を伴わない紛い物で昇華できるはずもない。

 昨今コンプライアンスという新興宗教に侵されつつあるビジネスではなおさらだ。本郷は辟易した。人類はどこまでマゾヒストなのか。自らを縛るモノばかり生み出す。


 衝動を持て余した本郷は少ない睡眠時間を更に削りながら、無為に時間を過ごしていた。眠れないのだ。暇つぶしで普段は触らないSNSを見ることにした。それは僥倖だった。そこで彼は暴力の香りを発見したのだ。


「生きる価値なし。さっさと死ねばいい」


 似たような言葉が多勢から一人へ発せられていた。そういった事象がそこかしこで恒常的に行われている。


 本郷は拍手喝采した。


 やるじゃないか! 人類。こんなに純粋で残忍な暴力ができるなんて! やはり、あの宗教は間違っている。闘争こそ、暴力こそが繋がりなのだ。


 本郷の行動は早かった。何かに取り憑かれたように誹謗中傷の祭典会場を見つけて率先して踊り狂った。流血こそないものの、何も知らない他人を無責任に罵倒するその残忍さに衝動は少しだけ留飲を下げたように思えた。


 ある時、DMが届いた。


「そんなことばかりしていると、俺の二の舞になるぞ」


 その一言と、猛獣に襲われた後のように生傷だらけの半裸の男性の写真が添付されていた。男は毒舌で有名なインフルエンサーだった。意訳すると、誹謗中傷ばかりしているとこのように痛い目を見るからやめておけということなのだろう。SNSの投稿によると、誹謗中傷を頻繁に行っている者達に同じDMが届いているようだ。


 彼らのうちの大半は表面上は茶化しながらも恐怖がにじみ出ていた。本郷はそれが理解不能だった。彼らは闘争を求めているわけではないのかと混乱した。ただ、それは些事だ。本郷は人生最大に興奮していた。下世話な話であるが、性器に一切触れずに射精するほどに。


 いよいよ人類は覚醒し始めた。これから本当の祭りが始まるのだ。


 襲撃を受ける時を今か今かと待ちわびながら、利用者が明らかに少なくなったSNS上で、本郷は今までよりも頻繁に誹謗中傷を続けていた。


「本郷さんですね? ……まさかアカウント名が本名だとは思いませんでしたよ」


 深夜の帰り道、暗がりでそう声を掛けられた時には、本郷は跳び上がって喜びそうになった。だが、首筋にあてられたスタンガンによってその喜びの舞は未遂に終わった。


 本郷が目を覚ました時、大きな倉庫らしき場所にいた。コンテナがある事や、かすかな潮の香りから港だろうと本郷は推察した。ただ、そんなことはどうでもよかった。スーツ姿の体格の良い男5名ほどに囲まれている。祭りの予感の方が大事だった。

 代表者と思われる男が事務的に早口で喋り始める。まるでコンビニ店員のマニュアル応対のようであった。


「我々はユートピア社の暴力代行者エージェントです。依頼により貴方に暴力を振るいます。どうぞ、抵抗してください。なお、我々も貴方も警察に捕まる事はありません。某自動キックボード会社のように警察OBが我が社の顧問となっていますのでご安心ください。また、本件により発生した―」


 全ての文言を言い終える前に、本郷の右ストレートにより男の口はチャックされた。


 本郷は咆哮した。


 それは倉庫の壁どころか海を越えて遠い異国の地にも届きそうなほどであった。男達は身構えるのも忘れるほどに戦慄した。今まで暴力を代行してきた相手は、その口上を放心した表情で聞いた後取り乱すか、聞き飽きた言い訳や質問を繰り返すだけだった。抵抗が許されているというのに、先制攻撃どころかろくな反撃もしてこず、情けない事に大泣きする者もいた。SNSで誹謗中傷する輩などその程度だと高を括っていた。そして、その認識はおおよそ間違っていないはずだった。本郷と出会うまでは。


 そして、男達は文字通り体に刻むのである。後に人類を覚醒に導く伝説の暴力代行者勇者となる本郷の衝動を。

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