夜の散歩
ここって別におひとり様専用じゃないですよね?
――あぁありがとうございます。じゃあ早速話をしましょう。
私、一人で夜道を歩くのが結構好きだったんですよ。
夜の気温とか雰囲気とか、あと一人は気ままで解放感があるので。冬だと肌を刺すような寒さと澄んだ空気、夏はたっぷりの湿度が生き物の気配を感じさせてくれるし、春秋はお気に入りの薄手のカーディガンを着るのにぴったり。
ほら、それぞれの季節の良さを実感できるのが夜じゃないですか? まぁ反論は認めますが。
今の時期――4月はまだ気温的に過ごしやすいので夜によく散歩するんです。仕事終わりの気分転換にちょっぴり遠回りしたりお酒を飲んだ酔い醒ましにふら〜っと近所の公園に立ち寄ったり。眠れない日にコンビニへ行ったりもしますね。
元々散歩は好きなんですけど少し多めに歩いても汗ばまない時期って、温暖化のせいで少ないじゃないですか。だから、ついつい足を伸ばして通ったことない道の探索とかしちゃうんです。子供みたいですよね。
最近世の中物騒なんで、いい歳の大人とはいえ女性一人で深夜出歩くのは自分でもどうかと思うんですが……今のところうちの周辺で不審者情報は聞いたことないので、「だいじょぶでしょ」って勝手に安心してました。そんな保証どこにもないのに。
2週間前でした。最寄り駅の階段を上ると、気温が18度くらいでしょうか、半袖にカーディガンを着てちょうどいい体感温度の外気を浴びました。
まだ歩いても気持ちいい季節だな、と思った私は自宅とは逆向きの細い路地へ入り込みました。古くからある駅前の道には赤提灯や四角の立て看板の光が暗闇に浮かび、生きたことない時代を感じさせてくれます。
交差路に当たる度に道の先を確認して、興味のアンテナが向くままにあっちこっちと歩いていると気づけば全く知らない場所へたどり着く。2、300メートルの直線が伸び、両側には昭和の気配を湛える民家、風雨に耐えてきた暖簾がなびく食事処がぽつぽつと見える。大好物な道でしたが迷子になりたくはないのでここらで家路へ足を戻そうと思っていると、私から10メートルくらい先を男女が歩いてました。
あれ、さっきまで自分以外に人なんていたっけなと思いましたが、そこらの店から出てきた客かもしれません。気にしませんでした。それよりも2人の様子が普通じゃなくてしばらく観察してしまいました。
男性は若くなく、疲れた中年の後ろ姿でした。黒のジャケットに黒のスラックス、100人にサラリーマンの絵を書いてもらったら全員同じ姿を書くだろうなといった感じです。
その男性に対して横を歩く女性はスーツでなく、真っ青のワンピースを身に纏ったショートカットの若い方でした。後ろ姿ですし偏見なんですが、水商売系の人かな?という印象です。
この女性がめちゃくちゃにキレ散らかしているんですよ。
大口開けながら宙を掻くように手を振り腕振り、あなたのせいよと言ってるような感じで何度も男性に向き直るのでヒールの上でスカートの裾が右に左にヒラヒラ回転する。でも男性は何も聞こえてないように女性の方を見ることすらなくゆっくり歩いているばかり。まるで海外ドラマの冒頭で口論する離婚間際の夫婦を見ているような、あまり街で見ない光景でした。
男性からよっぽど嫌なことをされたんだろうな、私もじいさん上司のハラスメントを我慢してるから気持ちわかるぞって、距離を維持しながらついていきました。
で、遅れて気づいたんです。
声が聞こえないなーと。
女性は誰が見ても大声で怒鳴っている、外にしてはちょっとオーバーなくらい怒りを表してる。私との距離は目測20メートルあるかないか。周りも静かなので声が聞こえないわけがない。
なのに、前は無音。
私の鼓膜に異変が? とも思ったけど、自分の足音は聞こえる。たまたま頭上を飛んできた飛行機の音も轟いている。耳は正常。ならおかしいのはそっち。
もう一度前を行く2人を見ました。
女性は変わらず怒り狂っている。その隣で男性はまるで自分一人で歩いているように横を気にせず歩き続けている。
つまり男性は女性の声が聞こえていないし、多分見えてすらいない。
やっとこの時、ああ見えちゃ駄目な女性だったんだと気づきました。
でもちょっと遅かったんですよ。
まばたきの間に女性が消えたんです。男性はそのまま歩き去っていって。
ちょうど成仏したのかななんて思ってたら、
「おまえにするううううううううう」
右の耳元でいきなり声が聞こえたらそりゃ振りむいちゃいますよ。
憤怒に染まった綺麗な顔と夜空よりも真っ青な色が視界いっぱいに広がって、今に至ります。
四六時中私の隣にいるんですけど私以外には見えてないみたいで、社内でも2人で散歩してても何も言われません。
だけど結局彼女の声を聞いたのってあの日だけなんです。
いったい何に対して怒ってるんですかね?
今も隣で怒鳴ってるんですけど。
語り合お♪ 夏野篠虫 @sinomu-natuno
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