第55話 夏の花火は、君のとなりで

 夕暮れのハプニングの後、俺、相川健太とリコの間に流れるのは、甘酸っぱくも、どうしようもなく気まずい沈黙だった。

 俺たちは、言葉少なに夜の砂浜に座り込み、ただ、寄せては返す波の音を聞いていた。

 もう、お互いの顔をまともに見ることができない。


 やがて、夜の闇がすっかりあたりを包み込んだ頃、リコが、ぽつりと静寂を破った。

「……あの、主殿」

「……お、おう」


「今日、本当に……本当に、ありがとうございます」

 リコは、膝を抱えたまま、俯きがちに言った。その声は、心からの感謝で震えているようだった。

「こんなに、楽しくて、ドキドキして……キラキラした一日は、生まれて初めてです。……最高の、誕生日になりました」


「……え?」

 俺は、思わず聞き返した。

「誕生日? 今日、リコの誕生日なのか?」


 俺がそう言うと、リコはきょとんとした顔でこちらを向いた。

「はい。ルナ様たちから、聞いていなかったのですか?」

「……いや、聞いてない」

 あの二人、肝心なことを伝え忘れてやがったのか!


 今日という一日が、リコにとって、ただのお出かけではなく、かけがえのない誕生日だったということ。その事実に、俺の胸は、ぎゅっと締め付けられるような、切ない気持ちでいっぱいになった。

 最高の誕生日にしてやりたい。俺も、ルナやシズクと同じように、心の底からそう思った。


 その時だった。

 ヒュルルル……と、空気を切り裂くような音が響き、夜空に最初の一輪が、ぱっと咲いた。

 壮大な、夏祭り花火大会の始まりだった。


 次々と打ち上げられる、色とりどりの光の花。

 赤、青、緑、金。夜空いっぱいに広がる光のシャワーに、砂浜からは大きな歓声が上がる。

 俺は、隣に座るリコの横顔を、そっと盗み見た。

 花火の光に照らされた彼女の横顔は、見とれてしまうほど綺麗で。その大きな鳶色の瞳には、キラキラと輝く、いくつもの小さな光の花が咲いていた。


 その美しさと、胸にこみ上げてくる、どうしようもない感情に後押しされたのだろうか。

 リコは、ゆっくりと、でも確かな動きで、俺の肩に、こてん、と自分の頭を預けてきた。


「……っ!」

 突然のことに、俺の体は石のように硬直する。心臓は、今にも破裂しそうなほど、大きく、速く脈打っている。

 パニックで、頭が真っ白になりかけた。

 だが、肩にかかる、彼女の確かな温もりと、信頼しきったような重みを感じているうちに、不思議と、心の嵐は収まっていく。


 ――これは、任務なんかじゃない。

 俺は、意を決して、ゆっくりと、その震える肩を、そっと抱き寄せた。

 リコの体が、少しだけビクッと震えたが、彼女が離れることはなかった。


 俺たちは、それ以上、何も話さなかった。

 ただ、寄り添い、同じ空を見上げる。夜空に咲く大輪の花火の音が、お互いの高鳴る鼓動を、優しく隠してくれているようだった。


 帰り道の電車の中。

 遊び疲れたリコは、俺の肩に寄りかかり、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。

 もう、俺は動揺しない。ただ、その無防備な寝顔が、どうしようもなく愛おしくて、守ってやりたいと、心の底から思うだけだった。


 アパートにたどり着くと、リビングの明かりがついていた。

「おかえりなさい」

「ふん、遅かったではないか」

 ルナとシズクが、まるで今帰ってきたかのように、涼しい顔で俺たちを出迎える。


 二人の視線が、俺の肩に寄りかかって眠るリコと、そんなリコを優しく支える俺の姿を捉え、そして、二人して、満足げに、にやりと笑った。

 どうやら、女王様と軍師殿の、壮大なバースデー大作戦は、大成功に終わったらしい。


 ぎこちないけれど、確かな一歩。

 俺とリコの、新しい関係の始まりが、夏の夜空に、確かに刻まれた一日だった。

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拾った子猫、実は異世界のモフモフ王女様でした!? ~俺のアパートがいつの間にかケモミミ娘たちの溜まり場に~ ケモミミ神バステト様 @kemomimiheroine

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