運命(偽)
西條 ヰ乙
第1話
電車に乗って最寄駅に着くまでの、長いような短いようなこの時間に考える事など特にはない。強いていうならば偶にくる両親からのメールの返信をしている。
一人暮らしを始めた頃にきたメールの内容は元気にしてるかなどの体調を気遣ったものだったが、最近は良い相手はいないのかなどの言葉が増えてきたので大学生時代以来彼氏のいない私は少し気が重くなることが増えた。
今日だってそうだ。地元の私の同級生に子供ができたと両親から報告があり、遠回しに孫はまだかと催促されているのだろう。
そんな事言われたって今の私には彼氏はいないし、できる気配もない。別に仕事を優先して恋愛はいいや、なんて思考にはなっていないのに。
私はお節介な人間らしい。だから昔の彼に振られた。
自尊心が高い人には何でもかんでも干渉しようとしてしまう私の性格がうざったいようだ。今、新しい彼氏が出来ないのもそれが原因なのだろうか。
そんな事をボーと考えていた時、電車の扉が開いた。ぞろぞろと人が吐き出されていき、またぞろぞろと乗り込んできた。
多くの人が帰宅するこの時間はやはり混む。私は人混みに押されて隅の方へと追いやられた。
電車の隅で壁に背を預けてふと車内を見渡す。
目の前にいる男性は随分と疲れ切った顔をしており、心の中でお疲れ様ですとつぶやいた。
社畜は大変だなと同情の眼差しでいると、そのどんやりとした男性の肩からちらりと奥から運命が顔を覗かせていた。
運命。チープな言葉かもしれないがそれしか言葉が思いつかない。
もし言葉を言い換えるならば――一目惚れ、だ。
揺れる人混みの中から一瞬姿を見せた体はスタイリッシュで人混みから一つ飛び出た頭は地毛なのだろうか、黒髪だ。
柔らかな黒髪が揺れ、弧を描いた唇は薄い。スマホに注がれる視線の元、目は切れ長だが目付きが悪いという印象は抱かなかった。
一目惚れ、まさしく一目惚れだ。
電車の中吊りの広告で笑う若手アイドルよりもよっぽど顔が良い。
私と同じ考えをしている人は他にもいるのだろう。
運命ともいえる素敵な男性の近くに立っている女性もうっとりとした表情で彼を見つめていた。
お近づきになりたいなんて思ったが、無情にも私と彼の間には何十人もの人がいて、この壁は厚かった。しばらくすると彼は下車してしまい私は少し残念に思いながら、でも良い目の保養になったと気分よく帰宅した。
それからというもの、彼とは帰宅時間がよく被った。
どうやら彼は近くの大学に通う大学生らしい。
爽やかな顔立ちでシンプルな服装がかえって彼の顔の良さを引き立てていた。ちらちらと制服姿の女の子やOL、彼と同じくらいの年齢の子が熱い視線を送っているのが嫌でも目に入った。
だがそれも仕方がないことなのだろう。私だって彼女たちと同じ、熱い視線を向ける一人なのだから。
でもまあ、さすがに社会人が学生に手を出すわけにはいかない。
なによりこの運命にしか思えない彼に、うざいなんて言われたら立ち直れない自信がある。
仕事を優先して恋愛を疎かにするつもりはないが、ぶっちゃけると怖気付いていた。私は私が思っている以上に元カレの言葉を引きずってしまっているようだった。
それでも彼の顔が見られるだけで幸せだった。もし彼が彼女らしき人物と一緒に電車に乗っていたらさぞショックを受けただろうが、そんなこともなく、私と同じで彼はいつも一人で電車に揺られていた。
名前すら知らない人を日々の癒しにして二ヶ月が経とうとしていた。
「あの、これ落としましたよ」
「あっ……ありがとう、ございます」
思いがけない事がおきた。
いつも通り電車に乗り、最寄駅の改札を抜けた時私は背後から声をかけられた。
振り返るとそこには彼が経っていた。緊張で息を呑む。
「これ……」
彼から受け取ったのは白いハンカチだ。それは間違いなく私の物だったが、これは少し前に無くした物だったような、そんな事を考えているとふと視線を感じて顔を上げた。
「あー、えっと……」
私にハンカチを手渡した彼は立ち去ることなくまだ私の前に経っていた。
「じ、実は俺、お姉さんの事ずっと綺麗な人だなって思ってて……あ、俺いつもお姉さんと同じ時間帯の電車に乗ってて! それで、その……よかったら連絡先、教えてくれませんか?」
「……え、いいんですか?」
まさか彼の方から声をかけてくれるなんて思いもしなかった。
彼と連絡先を交換した後、家に帰ると鞄を放って床にうずくまった。
「き、綺麗って言われちゃった〜!」
彼の連絡先が入ったスマホを握りしめ、悶絶する。だめだ、どうしても口元がだらしなく緩む。
彼の名前は
「そんなのもう運命じゃん……」
秋矢くんも私と同じで、一目惚れ。男女両方が互いに一目惚れし合うなんて、それを運命と言わずしてなんと言う。
こんなもの付き合ったもの同然ではないか。私は有頂天になって、幸福で危うく夕食を忘れるところだった。
今日は秋矢くんからの誘いで水族館に来ていた。
誰かのために服装に迷うのは何年ぶりだろうか。恋をするとどんな時間も楽しい時間に変わってしまう。
「俺のためにおしゃれしてきてくれた、んですよね。嬉しいです、すごく素敵だと思います」
「ありがとう、秋矢くんもすごくかっこいいよ!」
少し照れたように笑う顔もなんて愛らしいのだろう。
好きだ、たまらなく。どれだけ時間が経とうとも秋矢くんへの愛が溢れて止まらない。
楽しかったデートを何度も繰り返すたびに、その楽しいデートは終わりを告げてしまう。何度彼に会えても、すぐにまたバイバイしなきゃいけない。
それはなんとも辛く、それでもって幸せだった。
好き、好き好き好き。彼への愛が溢れて、そしてそれが私を縛り付ける。
彼を好きになればなるほど、彼への愛にブレーキがかかる。だって私の愛はうざいものらしいから。
嫌われたくない。だから彼への気持ちを抑えなきゃ。
そんな事をぐるぐると考えているとふと彼の足が止まっていることに気がついた。
「あっ」
もう家に着いてしまった。
秋矢くんは紳士的でいつもデート終わりにはこうして家まで送ってくれる。
彼とのデートは毎回こうして終わるのだ。
寂しいなんて感情が浮かぶが、必死で押さえつけて笑顔を浮かべる。
「ありがとう、秋矢くん。じゃあね」
いつもならこの言葉で解散する。けれど今日の彼は違ったみたいで。
「ねぇ」
「どうかしたの?」
「なにか悩み事でもあるの?」
「えっ……大丈夫だよ」
私がそう言っても彼は引かない。私の方が大人なのに情けないななんて思いながら自身の感情を吐露した。
私の愛は重いらしい事を。
こんなことを言ったら嫌われてしまうのではないかと怖かったが、私の想像に反して彼は笑った。
「なんだ、そんなことか。別に良いよ、重くても。俺のことが好きなら、好きなだけ愛せばいい。俺は嫌われさえしなければそれでいいからさ。だから思う存分俺のことを愛してよ。愛して愛して愛して――その愛でめちゃくちゃになるくらいに。君は何も悩まなくていい、ただ素直に僕を愛して良いんだよ。僕もきみのことを愛してる」
目の前に立つ彼。ハイライトの消えた瞳に映る私は震えていた。
運命(偽) 西條 ヰ乙 @saijou
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます