桜の選択

にのまえ(旧:八木沼アイ)

桜の選択

 自動販売機はずっと選ばれる側で、ずるい。


 薄暗い自動販売機の前に立つ。光すら見せない目の前の機械はやる気も態度も可愛くなかった。それに対して、元気よく、文字通り明るい自動販売機が隣接している。明るい自動販売機は赤い文字列の「売り切れ」の表示がひしめき合っており、逆に売り切れていない飲み物のほうが目に付く。だが、目の前の陰湿で暗い機械は、赤文字のバッジを持った飲み物が一つとしてなく、すべてが補充されている。小銭がほしくて、くしゃくしゃの千円札を入れたが、受け取らないといわんばかりに返される。仕方がないので、残り少ない小銭を入れた。


 私は隣にも売っているコーラを、鬱屈とした自動販売機から買う。きっと、明るい方は目の前の暗い方より、「売り切れ」という文字をすぐに受け取るからだ。だから、少しでも「売り切れ」に近づくように、と無意識に何かを願掛けして、ボタンを押した。私は、凛として美しいコーラよりも、陰ったコーラを選んだ。特段強い思い入れもあったわけでもないこの自動販売機に、親近感がわいたのかもしれない。


 得点を決めたような達成感を孕む鈍い金属音と共に、目的のものが降ってくる。「よいしょっと」かがんで手に取った。手の体温がそれに吸われるように冷たくなる。そして、明るい自動販売機に見せびらかすように、どうだ、買ってやったぞと、コーラを強く握った。手元から水滴がぽたぽたと落ち、コンクリートに小さな水たまりを作る。そんなことをしていると不意に馬鹿馬鹿しくなり、心の中で呟く。

 もう春なのに、私は売れ切れない。声を押し殺して、水滴と一緒に、コンクリートを濡らした。すると、後ろから声を掛けられた。


「あの」

 慌てて目をこする。

「...はい」

「みえてますよ、その下...」

「え、あ!すいません」

「いえいえ、お気になさらず」


 手に取っている飲み物とは対照的に、顔に熱が帯びる。穴がったら真っ先に顔を突っ込みたかった。彼女の善意がほころびを生んだ。二人で笑いあう。彼女は私と同じリクルートスーツを着ていた。私はスカートを直すと、間を取り繕うように話しだす。


「あはは、すいません、お見苦しいものを...なにか飲みます?せっかくですし。あ、そのスーツ、もしかして同じ就活生ですか?」

「はい、私も就活生なんですよ。あなたも?」

「そうなんです」

「一緒ですね。えっと飲み物でしたっけ、じゃあ私はこっちの、まだ売れきれてない、カルピスソーダで」

「...了解です」


 彼女は明るい自動販売機から、「売り切れ」の間にあるカルピスソーダを選んだ。心なしか、右手に持っているコーラが寂しそうに見ている。

 財布から、小銭を取り出そうにも、さっきので、使い切ってしまい、彼女にくしゃくしゃの千円札を渡す。どうぞ、と私が言うと、彼女は満面の笑みでありがとうございますと返してきた。どうせ通らないだろうと、たかをくくっていると、明るい自動販売機は難なく千円札が受け入れた。きっと、彼女のエントリーシートはこんな簡単に通ってしまう。


「あ、売り切れた、危なかったですね。よいしょ」


 なぜだか、彼女の持つカルピスソーダは勝ち誇っているように見える。彼女はカルピスソーダのCMに起用されてもよいほど爽やかな雰囲気を持ち合わせていた。綺麗な人だ。お釣りを財布に入れる。彼女は言った。


「じゃあ、そこのベンチに座って少しお話でもどうでしょう」

「いいですよ」


 私がそう答えると、二人は腰を下ろした。



 見上げると、視界には淡いピンクと青が入ってくる。空はこれでもかというぐらいに広がり、桜は花弁をめいいっぱい広げて咲いていた。あまりの美しさに、私の終着点はここなんだと錯覚させられてしまいそうになる。二つの色はこの時期のために、元気の良さそうなふりをして、人を騙して、幸福を届けている。そう彼女に言ったら、どん引かれてしまうだろうか。無音を彼女は簡単に切り裂く。


「それにしても、就活って、なんでこう、もっとうまくいかないんですかね。私、時々思うんです、あっちは選ばれない苦しみを知らないんじゃないかって」


 私はずっと空を見上げた。何か聞こえた単語を思い出しながら口を動かす。


「そうかもねぇ、苦しみ。でも、あの人たちはこの苦しい就活を終えて、あの面接官の席に座っているからね」

「たしかに、そうですよね。私、エントリーシートは通るんですけど、面接がどうもだめで、空元気を上手く装っても、それがバレてるみたいに見透かされるんですよね」


「...へぇ」


 彼女は真摯に就活に向き合っている。ずっと、私の目に合わせようと顔がせわしなく動いているのを視界の端で捉える。


「何個か最終面接まで行ってるんですけど、あまり自信なくて。えっと、お名前、お聞きしても?」


 彼女はずっと、相談相手を間違えている。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね、桜っていいます。あなたは?」

「茄子川です。えーっと、桜さんは、面接、どんな感じですか」

「私は、あまり、よくなくて」

 うまく言葉が出ない。喉に小骨がつっかているようだ。

「なんなら、エントリーシートでさえ、通らないこともあります」

「...なるほど、それは辛いですね」

「はい...」


 キャップをひねる。間に耐えられず、私はコーラを勢い良く飲んだ。吐き気を無理やり抑え込むために。

 比較。私たちは比較され、その結果を受け止める。その作業ともいえることを、去年から繰り返し行ってきた。電車でイヤホンをつけては社会を遮断して通学していた学生時代。今は、あの電車に乗っていたリクルートスーツを着た人と同じ立場にいる。いつの間にか、社会と真正面から立ち向かうことになっていた。


 空がバター色に溶けた帰りの電車、インスタでは既に内定が決まった友人がめいいっぱい羽を伸ばしているストーリーや投稿が流れてくる。茄子川さんの語る様子を見て思い出す。そんな日は、コンビニに入って大量に置かれたアイスを買う。しかし、大体帰る頃にはアイスは溶けている。私に買われて可哀想、と自嘲気味に感想を浮かべると、余計アイスは溶けた。


「まぁ、ずっと、チャレンジしていくしかないんですかね、でも私、内定は何個か持ってて、今は、自分の身の丈に合わない企業ばかり受けているんですよね」


「...はぁ」


 彼女は持っている側の人間だ。ふと、明るい自動販売機に目をやる。凛として立っているそれは、いろんな人間を受け入れてくれそうな優しい明るさを保っていた。対して、依然と人を寄り付けない雰囲気を隣の自動販売機は纏っている。


「あ、えっと、なんかすみません、でも、まだいけますよ」

 何を根拠に。彼女はとても明るい。ブルべだからだろうか、顔が白く、整った顔立ちをしているからだろうか。私に持っていないものを持っているように見えてしまう。実際そうなのだが。

 きっと、私が彼女と共通のものを持っているものでさえ、それを彼女を前にすると、それほどのものではないと、億劫になってしまうだろう。励ましの言葉は、一つの針として私の心に刺さっていく。


「エントリーシートをもう一回見直していくところからですって」

「...そうかも、ですね」


 私が箸にもかからない返事をしていると、彼女はカルピスソーダを口に運んだ。私はYouTubeのスキップできないCMを待つような顔で彼女を見ていた。本編すら私にとって心を痛める。鬱憤と情けなさが、混ざり合って、このベンチに「座ってはいけない」と言われてるようにさえ思えた。否定され続けた結果、私は売れ残ってしまった。


「あ、すいません、もうすぐで面接時間が」

「そうですか、お気になさらず、気を付けて」

「ありがとうございます。その、桜さんの健闘を祈ります」


 メールで何度も聞いている言葉が耳に入ってきた。


「茄子川さんも頑張って」

「はい!...あ、桜さんの足元、それ、小銭じゃないですか」

 足元にいくらか落ちていた。ちょうどさっきのコーラが買えそうだった。


「奇跡みたいですね、では、私はこれで」


 奇跡、か。カルピスソーダをカバンに入れた彼女は、急ぎ足で歩いた。角を曲がり、背が見えなくなるまで、見送る。きっと、彼女は受かる。選ばれるのだ。

 私にも、できるだろうか。現状を悲嘆するのではなく、その先に期待してみてもよいのだろうか。


 ベンチから重いと言われて、立ち上がり、一気にコーラを飲み干す。軽いペットボトルをぶっきらぼうにゴミ箱へ投げた。弧を描いて、ダストシュート。カコンっと軽やかな音を立てて入る。誰もいないことを確認して、少しガッツポーズを取った。余韻に浸りながら、先程の暗い自動販売機の前に立つ。もう足元のコンクリートは乾いていた。

 そして、もう一回、落ちていた二百円を入れ、ボタンを押す。人差し指に赤色の電子表示が反射した。お釣りの二十円が五円玉で四枚出てきた。

 そんな奇跡が今、目の前で起きた。このことを彼女に話したかったが、もういない。


 私は、その奇跡をもう一回、いや、何回も手繰り寄せたいと思った。そのために、何回も挑戦し続ける。単純な理由だが、それを、みんなやっているのだ。諦めにない限り、前を向ける。


 だから、またコーラを飲んだ。足元に落ちている奇跡を拾って、コーラの「売り切れ」をゲットした。それもこれも全て、私が選んだことだ。薄暗い自動販売機の中心に赤色が一つだけ配色される。大事なものは意外と足元に転がっているのかもしれない。暗い自動販売機が少しだけ点滅した気がする。コーラのように、彼女のように、私も選ばれたい。


「奇跡、か」


 起こしてやろう。そう決意して、コンクリートを蹴った。停滞していた桜は、心地のいい暖かい風によって、希望を孕む終着点のない空へと、今、進み始めた。

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