誓いの論理
渡貫とゐち
恋人スパイス
「――絶対に浮気をしないって誓える?」
「もちろんだ! そんな裏切り行為を俺がすると思うか!?」
「思うわよ」
え。
正面から真っ直ぐ言われてしまった……そんなに俺の信頼ってないのか……?
でも恋人にはなってくれてるから、信頼はあると思うんだけど……。
「じ、自信満々だな……俺じゃなかったら傷ついてたぞ!」
「その言い方だと、まるであなたは傷ついていないみたいだけど?」
「うん。だって惚れた弱みだからね――きつい言葉も言われるだけまだ嬉しい。いちばん嫌なのはなにも言われないことだからな!」
無視されるなら悪態をつかれる方がマシなのだ。
嫌われるよりは好かれる方がいいけれど、相手にされないなら嫌われる方がいい。
見てくれてさえいれば、あとは嫌いに偏った針を掴んで、ぐいっと好きへ戻せばいいだけなのだから――まあ、それがとても難しいことなのは言わずもがなだが。
「大好きだ!」
「うぐ……、ま、まさかそれで誤魔化せると思ってる? むりよ、お、男は浮気をするものだって、その……お姉ちゃんが言ってたもの!!」
「へーそうなんだー……ゆっちゃんのこと、大好きだよ」
「な、なによもう……えへへ……」
押せば誤魔化せそうな気がするけど……。
だけどここで曖昧にしておくには見逃せないテーマだった。
ここはきちんと話し合いをしておいた方がいいだろうね。
「うーん、でもさ、男は浮気をするものって言ったけど、そんなの女の子も同じく――あ、ごめんなさいっ、嘘嘘、女の子は浮気しないよね? ――うん、知ってた!」
「…………人によるけど」
言ってはいけないことを言っちゃってない?
人による、は便利な逃げ口だ。
人によるのはそりゃ当然なんだけど、その言葉を使わずに納得させたいものだった。
「……ともかく、恋人になるんだから、浮気はしないことがマストなの。いいわね? 浮気をするな――絶対にッ!」
「しないって。するわけないじゃないか」
「その根拠は? 口だけならどうとでも、いくらでも言えるでしょ」
「根拠? うーん……メリットが、ないから、とか? これで納得してくれる? ……って、無理そうだね。はぁ? って顔をしてるもん。うぅん……足りない??」
「足りないわね。もっとわたしを納得させようとしてみなさいよ」
「喋りたいだけなんじゃ……」
それならそれで嬉しいおねだりだった。
――ファミレスでの一幕である。
ファミレスで喋ることか? と思ったけど、ゆっちゃんからしてもマジで聞いているわけではなく、雑談なのだろう。たぶん。
顔はガチだけど、口調に苛立ちはなかった。俺と一緒で、雰囲気に飲まれやすいだけなのだ。いつも通りの雑談に花を咲かせているだけ、と考えていいだろう。
「お待たせしましたー」と、店員さんが料理を運んでくれた。
カツカレーである。
俺の方が先にきたので、ゆっちゃんの料理を待つことになる……彼女は先に食べなさいよと促してくれるけど、それは寂しいじゃないか。待つよ。
言うと、「あっそ」とそっけない態度ながらも口の端で笑っているので、こっちも嬉しくなる。
さて、ちょうどいいし、このカレーで説明してあげよう。
「俺が、カレー大好きだってことは知ってるよね?」
「当然でしょ。暇さえあればカレーを食べてるじゃない」
「いや、そこまでは……。まあ、それくらいに好きなのは事実だね。それでね、ここに、大好きなカレーがあります――」
「冷めるわよ?」
「冷めてもカレーは美味しいの! ――えっと、じゃあ根拠を説明するけど……大好きで可愛いカレーがここにあります……これ、ゆっちゃんね」
「は?」
「たとえ話だよ」
ゆっちゃんはカレーじゃない……同時にカレーはゆっちゃんじゃない。
ゆっちゃんにカレーがかかっていたら最高だけど。
「恋人をカレー扱いしないで」
「違うって、カレーを恋人扱いしたんだよ……って違うわ!!」
くすくす、とゆっちゃんが笑った。……あ、うけた。
もっとふざけてみたいけど、話が進まなくなる。
彼女には笑っていてほしいけど、安心させたい、というのもあるのだ。
「えっとね……そうそうこれこれ、ここにカレーがあります。大好きなカレーがあるのに、わざわざ席を立って、カレーパンを食べると思うかな?」
「……カレーの味に飽きれば、カレーパンに手を出すこともあるでしょ。毎日カレーを食べて、飽きないと思ってるの?」
「飽きないね。食べれば食べるほどに新しい味が見えてくるんだから!!」
「そうかもね。でも未来は分からない――でしょ? 魔が差して、カレーを目の前に横のカレーパンを食べてしまうかもしれない……絶対にないって言い切れる!?」
ない! と言い切れるけど……浮気をした男はみな、同じことを言っているのだ。
絶対に浮気をしない! と誓った浮気男たちしか、この世にはいない。
それは偏ってるにしても、大半は嘘をついている男だろう。
「今はないと言い切れるかもしれないわね……でも、おじいちゃんになってから趣味嗜好が変わることがあるでしょ……っ、その時、カレーパンを食べないって言える!?」
「食べない! 浮気は絶対にない!!」
「そんなのあり得ない!!」
どうしても納得がいかないようだった。これはゆっちゃんの中で男は絶対に浮気をする、と固定観念として植え付けられちゃっているからだろう。
常識を上書きするのは難しい……。
一日三食で育ってきたのに、急に一日二食にするのが難しいように。物理的に可能でも、やっぱり違和感は拭えず、栄養面で心配が溢れてきてしまうように、だ。
意外と平気で、普通に生きられると思っても体に染みついた一日三食はなかなか消えないのだ。
ちなみに、さすがに俺でも一日三食カレーではなかった。
さらに言えばカレーパンも普通に食べるし。
これはたとえ話だ――
「あのね、もしもテーブルの上にカレーパンがあったとして、だよ? これが自分で買ったものなら食べるかもしれないよ――……でも、自分で買っていなければどこの誰のカレーパンなのか分からないじゃん。カレーがあるのに、わざわざ出所不明のカレーパンに手を出すことはしないよ」
そこにはリスクがある。
とっても、許容できないリスクが。
……被害妄想かもしれないけど、考えておいて損はないものだ。
「別の人のパンかもしれない、もしかしたら中身が腐っているかもしれない――自分で買って手元に置いていない以上は食べたりしないよ。それに――、ずっと目の前にはカレーがあるんだからさ!」
だから俺は浮気をしないんだ――と、ゆっちゃんに訴えかける。
「ゆっちゃんという絶品カレーが目の前にあるのに、どうしてわざわざリスクを負ってまで劣化版と言えるカレーパンを食べるんだ? ……不思議だよね」
一応、カレーパンがカレーの劣化版と言ったのは都合上、だ。
ナンバーワンではなくオンリーワンなのだ、パンだって良いに決まってる。
「――浮気はしない。絶対に。だってゆっちゃんは――俺が大好きな可愛いカレーだもん!」
「…………ふん。そ、そうね……せいぜい、わたしに飽きられないようにしないとね」
「飽きられないように……、か。どうすればいいかな……優しいだけじゃ足りない?」
「そう、ね――優しいだけじゃなく刺激も欲しいわね。わたしが笑顔になるようなスパイスを、毎日の生活に振ってごらんなさいよ――!」
刺激ある毎日を、か……無茶を言う。
ゆっちゃんがそもそもスパイスとして優秀なのに。
「ゆっちゃんにスパイスをかけたらさらに辛くなるじゃん。やり過ぎると味のバランスが崩れたりするから……スパイスはやめた方がいいかもね……」
「わたしがカレーであることを前提にして話さないで!」
その後、ゆっちゃんが頼んだグラタンが到着した。
ふたり揃って「いただきます」をして、「ごちそうさまでした」と言う頃にはもう話題は二転三転していた。
納得してくれたのかな? 強い反発もなかったし、納得、でいいのかもしれない……。
まあ、浮気をしなければいいだけの話だ。ゆっちゃんを不安にさせたくはない――
「ゆっちゃんは浮気、してもいいからね?」
「…………なんでよ」
「ゆっちゃん、可愛いし……寄ってくる男がいると思うんだよね……。無理に断って逆恨みされるくらいなら、付き合って満足させた方がいいのかなーって、思ってさ……」
ゆっくりとスプーンを置いたゆっちゃんは、分かりやすくむくれていた。
この顔を引き出したいがために言った冗談――ではない。
俺からすれば真剣な意見だった。
「それ、ズルい言い方……」
「そうかな?」
「そう言われたら……浮気できないじゃん……っ」
「いや、しちゃダメだし、してほしくはないんだよ。して、じゃなくて、仕方ない時はしてもいいよってこと。前向きにされたらさ――俺じゃなかったら傷ついてるよ!」
「まるで、あなたは傷ついていないみたいに……」
「だって、惚れた弱みだし――ゆっちゃんが楽しいならそれでいいかなって」
だって、俺は美味しいカレーを毎日食べたいのだ。
冷めたり、生臭かったり、焦げたりしているカレーが食べたいわけじゃない。
俺は、絶品のカレーが食べたいのだ。
だから――多少の荒々しい調理には目を瞑る。
待たされる時間や不安だって、スパイスの一種だろう?
…おわり
誓いの論理 渡貫とゐち @josho
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