インター・ヴァーチュア構造ガイド

――直方体空間とその拡張原理について


 インター・ヴァーチュア(以下、IV)は、人類が作り出した仮想世界の一つである――そう、かつては信じられていた。


 だが現在では、そうした理解は根本から見直されつつある。IVに存在する空間は、直方体セルと呼ばれる構造単位によって成り立っており、それが連結しながら成長・拡張していく。

 だがこの成長には、人類の意志も、明確な設計も存在しない。


 IVとは、誰かが創った世界ではない。ある日、気づけばそこに“発生していた”世界なのだ。


 人類はその“出来上がった空間”の一部に住み着き、そこを「都市」や「テリトリー」「管理領域」と呼んで利用しているに過ぎない。言うなれば、それはまるで――とある洞窟に棲みついた古代人のような立場だ。空間そのものを造ったのではなく、ただ住み着いただけ。


 しかもこのIVの直方体セルは、均等に広がっていくわけではない。

 むしろ、地中を這う木の根のように、時に分岐し、時にねじれ、空間の隙間を埋めるように増殖していく。

 どこかで演算リソースが必要とされれば、そこに新たなセルが現れる。あたかも、それ自体が“拡張本能”を持っているかのように。


 この不可解な挙動を前にして、人類はこう認識するようになった。


「IVは、技術であると同時に、自然現象なのだ」と。


 観測された現象はいずれも、論理で説明しきれないものばかりだった。通信断、空間の切断、演算の偏り、そして突然現れる新たなエリア。

 これらを統一的に説明できるモデルとして、「直方体セルによる自己拡張仮説」が提唱された。


 もっとも、これはあくまで観測から導かれた理論であり、決して証明されたわけではない。

 だが逆に言えば、そう考えなければ説明がつかないほど、IVは「人知を超えた空間」であるということだ。


 誰かが設計したにしては、あまりに自由で、あまりに野放図だ。

 その結果として、IVはという、強烈な矛盾を抱える空間として存在している。


 そしてその矛盾こそが、この世界最大の謎であり、物語の鍵となる。



ビリー・オズニアックの遺産――量子的恩恵の唯一の起源


 IVが提供する――それは、現実世界では到底到達できなかった計算能力、知覚拡張、そして並列認識による自己最適化の仕組みに他ならない。


 これらはすべて、IVの中核に存在する量子論的制御モデルによって支えられている。


 だが、驚くべきことに、この量子的な恩恵の基礎技術は、今なお一人の技術者の手によるものでしかない。

 その名は、ビリー・オズニアック。


 かつて、IV黎明期に姿を消した謎多き天才プログラマー。

 彼が残した初期設計――いわゆるを超える革新は、いまだ誰の手によっても成し得ていない。


 現在、IV内で享受されている量子的演算のほぼすべては、オズニアックによって定義された機構を再利用しているにすぎない。

 それはまるで、古代文明が築いた装置を現代人が修復し、装飾を加えて利用しているような構図だ。


 演算速度を向上させた者はいた。

 機体の応答性を改良した企業もあった。

 しかし、根本のモデル――あのそのものを、理解し、再現し、新たに拡張した者は誰一人存在しない。


 そのため、現代のIV技術の多くは、「オズニアックの技術に対するアドオン」であり、「再発明」ではない。



観測不可能域と縁


 IVには果てがあるのか。

 空間の端に行き着くことはできるのか。

 それとも世界そのものが、観測によって無限に延長されるものなのか。


 現在、その問いに確たる答えはない。

 だが、IVに存在する「観測不可能域(アンオブザーバブル・ゾーン)」は、空間の終端が演算によって確定されていないことを物語っている。


 通信が途絶え、演算が不安定になり、存在がぼやける――それはあたかも、未決定状態そのもののようだ。

 そして、誰かが踏み込むと、そこに新たな形が現れる。


 この現象は、まるでIVが観測を受けることで空間として確定されるかのようでもある。

 すなわち、「存在するから観測される」のではなく、「観測されることで存在が生まれる」。


 この構造をもって、IVはしばしば「観測可能性によって成立する仮想宇宙」と呼ばれる。



失われた設計図、曖昧な核心


 本来、仮想世界とは演算と数式によって構築され、すべてが理解可能な存在であるはずだった。


 だが、IVはその前提を裏切る。


 自己展開、演算の偏在、構造の再構成。

 現象の多くが理論では記述しきれない曖昧さを抱えており、かつて存在したはずの設計図は、もはや読めない古文書と化している。


 なぜオズニアックの構造は再現されないのか。

 なぜ模倣しかできないのか。

 それは単に知識の不足ではなく、世界そのものが理論であることを拒んでいるからではないか――。

 そんな言説さえ囁かれている。


 この世界の中心には、いまだに語られてはならない核心が眠っている。

 それを知ってしまえば、きっと人はここがどこなの”を理解してしまう。

 そして、それがどんな意味を持つのかも。



開拓と征服、そして終わりなき拡張本能


 IV世界がここまで破綻せずに拡張を続けている理由――それは、システムやルールが洗練されているからではない。


 むしろ逆だ。

 テリトリーと呼ばれる仮想都市国家は、封建的な秩序とは程遠く、究極の資本主義社会として成立している。

 そこではすべてが自己責任であり、力ある者がすべてを得る。

 自由という名の元に、報復も、淘汰も、抹殺すらも、正当化される。


 しかしこの極限的な秩序が、いまだ崩壊を迎えていないのは、IVという世界そのものが終わりなき拡張を続けているからだ。


 空間が増えるたびに、新たな資源、新たな都市、新たなテリトリーが生まれる。

 そして人々はそこに殺到し、奪い、築き、拡張する。


 そう、この世界を保っているのは、飽きのこない征服欲であり、未踏地への欲望なのだ。


 飽和しているのは、世界ではなく、人間の倫理であり、道徳であり、社会性である。

 それでもIVは広がり続け、人類はその果てを知らない。

 この世界がどこへ向かっているのか――誰にもわからない。

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