不老不死の時間

笹木ジロ

不老不死の時間

「俺は不老不死だからね」


 仮病でアルバイトを休まれるのは困る。本当に体調不良の人間にとって迷惑なのだ。休みの連絡を入れたとき、電話口の店長に「お前もか、嘘じゃないだろうな」と小言を言われるのはこちらなのだから。医者に向かう途中、ラーメン屋の行列を見た。数人で楽しげに並ぶ仮病中のバイト仲間を見たときは、心の底から憤ったものだ。

 生活が困窮していると嘘をつき、金の相談に来られるのは困る。本当に困っている知人が居たとしても、その真意を確認するために深く深く、まるで相手が容疑者であるかのように追及してしまう。助けた人間が後日パチンコ店に入っていった姿を見たときは、人間不信に陥りそうだったものだ。

 在りもしない理由で逃避に走る人間は、僕はどうにも苦手だ。もちろん、逃避自体を否定したいわけではない。アルバイトを休んで遊ぶことはどうも思わないし、借りた金で娯楽に走ることも自由に思える。欺瞞に違和感を覚えてしまうのだ。正直であればよいのに。だが、正直な欲求のために嘘を利用していると考えれば、正直ではあるわけか。なんとも歪んでいる。それでこそ、人間は美しいのかもしれない。


 だとするならば、この友人もまた美しい人間の姿なのか。僕に先ほど、自分は不老不死だ、と恥ずかしげもなくカミングアウトした友人のことだ。その表情は自信に満ちている。一方で、秘密の織りなすミステリアスな雰囲気も、特異な存在だと明かした覚悟も、まるで皆無である。どうだ、驚いただろう、とでも言いたげなのだ。僕にはわかる。これは嘘だと。それでも、話には乗ってみよう。単純に、そのようなことを口走った友人の頭の中に興味があったからだ。

「どこからツッコミを入れればいいんだろうね、とりあえず、どういうこと?」

「理解できない? 言っただろう、俺は一日一回行動なんだ」

 友人は高校卒業後、働かずに家に籠っている。裕福な家庭で、親子の関係も良好だと言う。であるならば、僕としては気にすることもない。そして、友人はたびたび夢を語る。それも、年に何度も姿が変わる夢だ。たいへん便利な夢だ。前回は小説家だったか。いまは漫画家だったはずだ。なにかを目指す姿勢は素晴らしいものだ。僕が気になったのは、その腰の重さだ。「教材として、今日は漫画を購入した、まだ読んではいない」、「今日は漫画を一冊読んだ、ペンを握るのはまた明日」、「今日は漫画の公募を検索した、どこを目指すかはまた明日」、などなど。僕は素人なので、最初は友人のペースにも疑問を持たなかった。だが、未だにペンを握っていないことには、さすがの僕でも不信感を覚えてしまう。逃避なのではないかと。今日は、そのことについて友人に尋ねてみたのだ。なにも心配しているわけではない。どのような世界観に生き、どのような視野を持ち、どのような信念を抱いているのか。それが気になったのだ。単なる興味本位だった。

「それは聞いた、君は一日一回行動だから進捗も緩やかということだね、そこに不老不死が絡んでくる理由がまだわからないんだ」

「不老不死である俺の時間と、お前みたいな普通の人間の時間が、一緒なわけがないだろうってことだ」

「なるほどね、では、僕の一時間が、君にとっての一日、とでも言うわけかな」

「そんな感じだ、不老不死にはさ、時間は腐るほど余っているんだ」

 そう得意げに語る友人は、もうこの話はおわりにしよう、とでも言わんばかりの様子だ。すでに別の話題を探している目だ。上下、左右、瞳をうろうろさせながら、決して僕のほうは見ない。友人が高校生だったころからの付き合いなのでわかるのだ。大方、その不老不死について、僕から深堀されるのが面倒なのだろう。どうせ、たいした設定もないに違いない。

 ただ、この友人が不老不死である可能性も捨てきれるわけではないとも思っている。現に、未だこうして生きているのだから。いまこの場で、僕が残酷な所業を犯して、その真偽を確かめることも出来よう。しかし、それはあまりに無情であるし、僕が罰を受けるには物足りない探求だ。所有する時間の許す限りは、この友人に付き合っていこう。面白い人間だ。不老不死は在り得る理由かもしれないし、一日一回行動も逃避ではないかもしれない。僕はこの友人が苦手にならずに済みそうだ。観察対象としては興味が尽きない。


 僕は友人の葬式に来ている。齢九十、存分に生きたであろう。友人は、その息を引き取る最後まで、自由奔放な人間だった。そして、相変わらず、変なやつだった。

喜ばしいことと言えば、友人は漫画家になる夢を叶えていたことだ。本業と言えるのか際どい頻度と規模ではあったが、それでも数年に一冊程度の出版を誇らしげに自慢してきたものだ。友人は家の遺産で生活していたので、焦ることなく自身のペースで夢を継続できたのだろう。

 悲しいことと言えば、結局のところ、友人は不老不死ではなかったことだ。寿命があったのだ。大多数と変わらぬ時間、友人はそれを存分に活用したのだ。嘘かもしれないとは思っていた。そうなると、友人はなぜあのような嘘を放ったのか。思い付きかもしれない。憧れかもしれない。しかし、もしも、不老不死であると自身をマインドコントロールしていたとするなら、それは外部から自己を隔離することであり、他者との相対的価値の基準を排除する試みでもあるわけだ。それによって、焦ることなくマイペースに、しかし、着実に夢を進んでいたわけだ。なんと成熟した精神だろうか。やはり、美しい。そして、面白い。興の失せることがない人間だった。人間はこうでなくてはいけない。


 だが、友人はひとつ勘違いをしている。不老不死とて、時間の進みは人間と変わらない。僕の一日は、友人のような人間の一日となにも変わらないのだ。仮に、僕が孤立した辺境で過ごしていれば、時間なんて概念そのものがなく、ただただ変化していく世界を無限の空間の中で眺めていたかもしれない。しかし、人間と密接に関わって生活していれば、僕の時間の概念は、人間の時間の概念と混じり合い、同一のものとなるのだ。

 百年に一度くらいは、こうした楽しみに出会えるのだから、死ねないというのもまた一興だ。次はどんな人間に会えるのだろうか。いまから楽しみである。

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