AI犬の存在意義

「最初は、一日休んだら、次の日は元気になって行けると思っていたのですよ。でも、どうしてか行けなくて、次の日も休みました。三日目は、二日も休んだのだから、もう小犬の話はされないよね。されないといいな。でもまた『オモチャの犬』って言われたらどうしよう。あと、仲の良い友達に『どうして休んでたの?』って聞かれたらなんて答えよう。どう話せばいいんだろう、と不安になりました。そうやってずるずると、学校を休んだ日が、四日、五日、一週間と長くなると……。もうね、今までどうやってみんなと話していたのかも、わからなくなっていきました。考えればかんがえるほど、学校に行きたい気持ちより、どうしようって不安と、早く行かなくちゃという焦りとが、どんどんどんどん大きくなって。私は学校に行けなくなりました」


「ミソラちゃん……」

「連休明けとか夏休み明けとかで感じるのの超強力なのが来ちゃったんだね……」


「その頃には、仲の良かった両親も言い争いをするようになっていました。両親のとがった声を聞きたくなくて、ギスギスした空気も嫌で、私は自分の部屋からもほとんど出なくなりました。そんな私のもとに、毎週カウンセリング室で話していた先生が来てくれたんです」


   ※


 小さなノックのあと、美空の部屋の外から、いつも聞いていたおだやかな声が響く。


「美空ちゃん」


 高齢の男性は、閉ざされたドアの向こうにいる美空に届くように、ゆっくり、ていねいに、美空に呼びかけた。


「美空ちゃん、アポロが直ったよ。元通りになったか見てくれるかなぁ?」


 美空が落としてしまったAI犬は、衝撃で故障したため修理に出されていた。本来なら美空が受け取りに行くところを、家から出られなくなった美空のために届けに来てくれたのだ。美空の部屋の前に立つ先生の足元に置かれた空色のキャリーケースの中で、アポロはおとなしく座っている。


 美空の部屋の前で、先生は言葉を続ける。


「あのねぇ、もしもモニターの仕事が嫌になったのなら、僕がアポロを連れて帰ることもできるんだぁ。でもね、そうしたら、美空ちゃんはもう二度とアポロと会えなくなるんだよ」


「……っ」


「美空ちゃんのお父さんとお母さんはね、美空ちゃんがお部屋から出なくなった原因はAI犬だから、美空ちゃんとアポロを会わせたくないって言ってたよ。でもね、モニターは美空ちゃんのお仕事だから。僕としては美空ちゃんにどうするか決めてほしくてここまで来たんだぁ」


「…………」


「美空ちゃんはどうしたい? 今すぐじゃなくてもいいから、教えてねぇ。アポロと会いたいか会いたくないか。モニターのお仕事を続けるかめるか。どれを選んでも、僕たちは怒ったり責めたりしないよ」


 美空は先生に会いたかった。

 どうしていいかわからないから、いつもみたいに、先生に聞きたかった。

 それなのに今は、どんな風に聞いたらいいのかもわからなかった。

 美空が話しても、先生にもウソつきだと思われたり、ガッカリされたりしたらと思うと、口が開かないし、言葉も出てこない。


 でも、ここで話せないと、もう先生にもアポロにも会えなくなるのだ。

 


「……せっ」

 美空は久しぶりに声を出したので、つまってしまった。


 早くなにか言わなきゃ。でもなんて言えば。とぐるぐる考えがまとまらないまま、美空は口を開いていた。


「先生は、本物の犬と、くらしたこと、ある?」


「あるよぅ。犬だけじゃなくて、猫も牛もぶたにわとりもある。僕の家は農家だったからねぇ。懐かしいなぁ……そうだ。いつも美空ちゃんからアポロの話を聞かせてもらってたでしょう。今日は僕が、一緒に暮らしてた動物のことを話してもいい?」


 今までと変わらない先生のとぼけた声を聞くと、美空もいつもの調子を思い出せた。


「いいよ。先生の話、聞きたい。中に入って」


 先生は静かにドアを開けて、美空の部屋に入った。アポロが座っているキャリーケースも一緒だ。

 美空はベッドの上にいたが、布団を頭からかぶって座っていた。かけ布団がピラミッド状になっていて、美空の顔も姿も見えず、美空の声しか聞こえない。美空からも外は見えない。


「おじゃまするねぇ。立ってると疲れちゃうから、机のイスを借してね。……ふぅ。さぁて、どこから話せばいいかなぁ。うん。僕が美空ちゃんくらい小さい頃に一緒に暮らしていた動物は、いーっぱいいたんだよ。屋根裏にはコウモリやネズミがいたし、裏山にはタヌキやハクビシン、ヘビやマムシだっていた。まぁでも、お世話していたわけでもないし、近くに住んでいただけで、『一緒に暮らしていた』とは言えないよね」


 美空は布団の中で(ハクビシンってなんだろう?)と思いながらも、うんうんとうなずいた。

 それが数に入るなら、美空は毎日のように庭で見かけるスズメや、ゴミ回収日を忘れずに毎回やって来るカラス、通り道として庭を横断していくノラ猫たちまで一緒に暮らしていることになってしまう。


「牛と豚と鶏はちゃんとお世話していたけど、そのうち食べたり、売ってお金にしたりするんだぁ。あ、馬も小さい頃はいたなぁ。いつの間にかいなくなってたけど、なんでだったっけ。うーん。なんでかは覚えてないけど、馬が優しい目をしていたのは覚えてるよ。牛は一緒に畑を耕したり、牛乳をもらってたりしたよ。鶏からは卵をもらってた。姉が結婚するときは牛を一頭売って、そのお金を結婚式代にあててたなぁ。豚は可愛がってたけど、どんどん食べたり売ったりしてた。ふふ、きっと美空ちゃんが思う『一緒に暮らした動物』とはちょっと違うよね」


 ふとんピラミッドの中で、おじいちゃん先生のおだやかな声に耳を傾けながら、美空は自分が牛や豚と会ったときのことを思い出していた。


 牛も豚も、動物園やふれあい広場で見たことも触ったこともあるけれど、お世話したことはない。だから美空は、ふだん食べている肉と、大きな体の牛や豚とがなかなかつながらなかった。


 ただ、近所の犬やアポロと全然ちがう存在だということはわかる。


 思い出しついでに、強烈な匂いもよみがえってきた。


(そうだ。動物園でもふれあい広場でも、動物のにおいがしてた! 魚も鳥もにおいがするから、わたし、はいちゃって、たいへんだったんだ。近所の犬も可愛かったけど、日によっては近づけなかったんだ。あの生き物のにおいがアポロには少しもなかった)


「美空ちゃんの思う『一緒に暮らした動物』って、愛玩あいがん動物、かわいがるペットとしての犬や猫のことだよね。僕と暮らしてた犬はねぇ、タヌキやヘビやモグラを、猫はネズミや鳥や虫を捕まえたり追っ払ったりしてくれていたんだぁ。僕たちは大事に育てている作物を守りたいけど、人間だけでずーっと作物が荒らされないか見張るのは難しい。だから、犬や猫がいてくれて、とっても助かってたんだよ」


「……役に立つからいっしょにいたってこと?」


「うぅん。もちろん作物を守ってもらえるのはありがたかったし、役に立つから一緒に暮らしてたのも本当。でも、それだけが理由じゃあなかったんだぁ。僕が子どもの頃は、犬も猫も今ほどキチンと管理されてなくて、ノラ犬もノラ猫もあちこちにいてね。気に入ったら連れて帰って、自分の家の子にしていたんだよ」


「えー、いいなぁ」


「ふふ。でもね、だからかな。よくいなくなっていたんだぁ。反対に、いつの間にか知らないコが増えていることもあったよ」


「よくいなくなるの?」


「うん。もしかしたら、すぐいなくなってたコたちは、元いた場所に帰っていたのかもしれないねぇ。……何年か一緒にいた犬が、いきなりいなくなったから探したら、山で死んでいたのを見つけたこともあったよ」


「その子はなんでいなくなったの? なんでしんじゃったの?」


「なんでだろうねぇ。もしかしたら、なにかを追いかけて自分から出て行ったのかもしれないし、なにかから逃げたけど逃げ切れなかったのかもしれない。今でもわからないんだぁ。……あのコがいなくなってしばらくは不思議だったよ。山に入るときは、いつもあのコと一緒だったから。あのコのお気に入りの道も、鳴き声もハッキリ覚えていてね、声が聞こえた気がして、いつも遊んでいた場所を目で探しても、いないんだよ。いないのが不思議だった。どこかにかくれてるんじゃないかと名前を呼んだり、口笛を吹いたりしながら、ずいぶんと探しまわったよ」


「出てきた?」


「出て来なかったよ。もう死んでるからね」


「そっか。……しんじゃうって、いなくなるってことなんだ」


「うん。だからかなぁ。最近になって、また犬と暮らしたいなぁって思うようになったんだぁ。でもね、もう毎日の散歩には行けないし」


「なんで? なんでさんぽに行けないの? おさんぽ楽しいよ?」


「あぁ。行きたくないんじゃなくてね。僕はもうたくさん歩けないんだよ。歩いてもすぐ疲れちゃうの。屈んでから立つのも痛くて大変だから、こんな僕が犬を飼ったら、ウンチのお世話ができなくてマナー違反になっちゃうでしょ」


 美空は、こっそり近所の小犬の散歩について行った時のことを思い出した。

 犬は散歩中にしかオシッコもウンチもしない。だから毎日散歩に行かなくちゃいけないし、様子を見て散歩に行くのだと、離れて見ていた美空に聞こえるように話してくれていた。


 オシッコした場所には水をかけ、ウンチは持って帰るのが飼い主のマナーだと言っていた。


 先生は散歩のマナーを知っているけど、体がしんどくて、やりたくてもできない。


「――あ。そっか。だから、だから先生はきかいの犬を作りたいの?」


「そうだよ。足が悪くて散歩に行けなくても、僕が小さい時に暮らしたみたいに、一緒に暮らせる犬を作りたいんだぁ。美空ちゃんは匂いに敏感だってお父さんとお母さんから聞いたよ。『あんなに小犬を好きなのに、普通に動物を飼うのは難しいのが悔しい』って話してた。【普通の犬を飼うのは困難であること】。それも、AI犬モニターの条件のひとつだから。応募してくれた中で一番多かったのはアレルギーの人だったなぁ」


「それって、パパとママは、生きてる犬をかおうとしてたけど、わたしが生きてる犬をかうのがむつかしかったってこと?」


(だからいつも二人がケンカするとき、ママが『AI犬モニターなんてせずに普通の犬を飼えば良かったのよ』って言って、パパが『それが無理だからAI犬モニターに応募したんだろ』って言ってたんだ)


「そうだよ。一番重要な【AI犬を大切にあつかえること】ができているのなら、僕としては合格なんだけど。モニターはAI犬とお試しで一緒に暮らしてもらって、どんな風に感じたかを話すお仕事だからねぇ。いろんなタイプの飼い主が欲しかったから、モニターになるための条件はいっぱいあるんだよ。美空ちゃんのは特に多かったよね【早起きできること】【忘れ物をしないように気をつけること】【身の回りのことを自分でできること】」


 聞き覚えのありすぎる内容に、美空は思わずかぶっていた布団をはね飛ばしていた。


「それっ! パパとママは、最初から、わたしをAI犬モニターにしようとしてたの?」


「ご両親は、美空ちゃんに、大好きな犬と暮らす生活を送ってもらいたかったんだよ。AI犬なら美空ちゃんと一緒に暮らせるから選んだって話してくれたんだぁ」


「わたしをだましたんじゃなかったんだ……」


 美空の年齢層で残っていたモニター条件が【本物は無理だけど理想的な飼い主】だった。【犬が大好き】【犬を大事にする】はクリアできていたものの、【規則正しい生活を送る】ができていなかった。

 美空の両親は、なんとしても条件に合うようにと、根気よく美空に声をかけ続けた。条件を満たすまでに一年近くかかったが、最終的には見事に美空にモニターの座を射止めさせたのだ。


「美空ちゃん。AI犬は本物の犬じゃないよね。食べられないかわりに、ウンチもオシッコもしない。可愛いけれど、なにかを捕まえたり、追っ払ったりはできない」

 

「うん。それにアポロは歩くのもニガテだよ」


「そう。一緒にお散歩には行けない。それでも、アポロと一緒にいたい? それとも、もう一緒にいたくない?」


「いっしょにいたい! アポロはわたしの大切な小犬だもん。それに、わたしはアポロのママなんでしょ。ママは勝手にいなくならないよ! あとね、アポロとやくそくしたから」


「へぇ。どんな約束をしたのか教えてくれる?」


「んー、いいけど。はずかしいからパパとママにはまだナイショだよ」


 美空はベッドからおりた。学習机のイスに座る先生に近づいて、先生以外には聞かれないように、片手でおおいながら、先生の耳もとに小さな声でささやいた。


「いつかアポロといっしょに月に行くの。アポロと月でおさんぽしたいんだ」


 先生も同じようにささやき返す。


「うわぁいいなぁ。楽しみだねぇ。月から戻ってきたら、月でのお散歩がどんなだったか聞かせてねぇ」


「うん! 先生には、一番さいしょに話しに行くね!」


「約束だよ」


「やくそく」

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わたしはAI犬のお母さん!〜Fly me to the Mars〜 高山小石 @takayama_koishi

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