第171話

「そういえば沙羅、勉強の方は大丈夫なの?」


 楓さんに後ろからぎゅっとされ、彼女の膝の間にすっぽりと納まっていると、突然そんなことをきかれて体が固まる。

 楓さんが反応の消えた私の顔を窺い、ほっぺたをくっつけ合わせながらぼそりと言った。


「もしかして、大丈夫じゃない?」

「うっ‥‥」


 ここ数日、目の前に控えた期末試験のため、楓さんと一緒に勉強をしていたけれど、むしろそれが勉強の効果を引き下げていた。

 いやわかっていたことのはずだ。楓さんと一緒にいて勉強を優先できるわけがないことぐらい。

 そもそも親が帰ってくるのが遅い私の家でやっている時点でもうお察しだけれど、私は端から勉強をする気がない。表向きには『一緒に勉強しよう』という艇で誘っているけれど、本当の目的はただ彼女と一緒にいることだ。キスでもなんでもただ一緒にいられればなんでも良い。ただ、一緒にいてすることにも優先順位というものがあって、勉強よりもキスとかの方が優先順位が高いという、ただそれだけのことだ。

 そのことは彼女もわかっているはずで、というかここ数日を通じてとっくにバレていると思う。


「楓さんは大丈夫なの?」


 押し付けてくるほっぺたを少し押し返しながら尋ねる。

 楓さんも私と同じ状況のはずだ。そもそも初めにキスとかしてくるのは彼女の方だし。

 彼女は顎先に人差し指を置きながら、答えた。


「ん~、私は家で勉強してるからな~」

「えっ」

「だって、これ。勉強しないの確定してるじゃん。今まさにそうだし」


 バレていたこともそうだけれど、それ以前に裏切られた気分だ。

 このまま一緒に表面上の勉強会を続けて、それで共に期末試験で朽ちると思っていたのに、楓さんだけ抜け駆けをした。

 でも、楓さんが正しいからなにも言えない。


「沙羅は私が帰ったあと、一人で勉強してないの?」


 私は小さく頷いた。

 だって、楓さんが帰ったあとは孤独感が強くなってしまうのだ。八時頃になるまでは母親は帰ってこないし。だからベッドの上でゴロゴロしている。でもそんなことを言うわけにもいかない。変に心配させるだけだ。


「ダメじゃん。いやでもいいのか? 沙羅、頭良いもんね」

「無理」

「ガチトーン。じゃあほんとに勉強しないとじゃん」

「うん‥‥」


 勉強会をしないと放課後、一緒にいられない。かと言ってこのまま無意味な勉強会を続けていると補修を受けて、春休みに一緒にいられなくなってしまう。もちろんそれもダメだ。

 パラドックスのような状況に陥ってしまった。


 すると突然、楓さんがぎゅっするのを止めて立ち上がる。訳もわからず見上げていると、


「じゃ、今日は帰る」


 と告げられてしまった。一瞬思考が停止して、本当に帰る準備を始める彼女を見て我に返る。

 私はドアノブに手を掛ける彼女に背後から飛びつき、逃がさないという勢いでがっちりと抱き締めた。


「ちょっ、沙羅」

「嫌っ! 帰っちゃダメ!」


 まだ五時半だ。帰るには早すぎる。

 楓さんが私の肩に手を置いて、引き剝がそうとする。でもここで離してしまうと本当に帰ってしまいそうだからなんとか耐えて攻防を続ける。


「ダメって。でもこのままだと赤点取っちゃうよ? そしたら春休み一緒にいられなくなるけど、いいの?」

「わかってるけど‥‥嫌っ!」

「う~ん、やっかいな子に育っちゃったなあ~」


 楓さんにそんなことを言われるのは不服だ。私をこんな風にしたのは楓さんなのに。

 だからずーっと一緒に居てもらわないと困る。叶わない夢だとはわかっていても、この夢を諦めるのは一番嫌だ。

 ぎゅーっと抱き締め続けて、なんとか引き留めようと試みる。するとそのとき、上からため息が聞こえてきた。


「もう、しょうがないなあ~」


 楓さんが頭の上に手を置いて撫でてくる。私は「んぅ」と拗ねた声を出す。

 正直自分がおかしくなっているのはもうとっくにわかっているけれど、なかなか制御できない。最近に関しては、楓さんは暴走した私にブレーキを掛けようとすらしないから、暴走はどんどん激しくなっていくばかりだ。


「じゃあ、今度の土曜日、私の家に泊りにくる?」

「うん‥‥」


 一瞬、考えもせずに提案を受け入れてしまったけれど、よくよく考えるとおかしい。

 お泊りなんてしたら、余計に勉強が捗らない。


「なんで?」

「いやだって、今こうなってるのは二人っきりだからでしょ? 休日の私の家ならお母さんいるし」

「うん‥‥」


 理には適っているけれど、それはそれで嫌だ。一緒にいるのなら、やりたいこと全部したくなる。


「一緒にはいてあげるからさ」

「楓さん、一緒にいたらキスしてくるじゃん」


 目を合わせて指摘すると、図星だったのか、いやまあそうだけど、という感じの顔をされた。


「我慢するから」

「キスしてくれないの?」


 しないならしないでそれも嫌だ。して欲しい。


「沙羅は私を殺そうとしてるの?」

「してない。なんで時々私を殺人鬼にしようとするの」


 あはは、と声には出さずに笑われ、続いて提案される。


「それじゃあ、勉強したらご褒美あげるから」

「ご褒美?」

「そう。キリがいいところまで勉強できたら、そのたびにしたいことする‥‥みたいな?」

「‥‥そうする」


 妥協にも思えたけれど、よくよく考えたら、できることの範囲が指定されていない。


「なにしてもいいの?」


 純粋に尋ねると、なぜかニヤリと笑われる。そして前屈みになって、胸の谷間を強調するように見せてきた。


「そんなに触りたいの~?」


 そんなつもりできいたわけではないけれど、正しい。だからってここで、うん、と答えるのもなんだか癪なので、胸に顔を埋めることにする。すると更に胸に押し付けるように抱き締められた。


「えっちだなあ」

「楓さんが悪い」胸の中でもごもご答える。

「はいはい、めんごめんご」


 そのあと。結局本当に帰ることにした楓さんに若干不満を感じつつも、これ以上引き留めて面倒くさい子だと思われるのも嫌だから受け入れることにして、玄関まで見送る。


「じゃあ、このあとは勉強頑張ってね」


 靴を履く片手間に言われる。

 靴を足に入れて、つま先をトントンと叩いたあと、私に体を向けた。


「そんな嫌なの?」


 できるだけ不満は隠したつもりだけれど、バレてしまったらしい。


「一人は嫌」

「うん。でも毎日そんな感じでいるの?」

「‥‥‥‥」


 その通りだけれど、寂しいものは寂しい。楓さんと一緒にいるときといないときとじゃ、夢と現実ぐらいには差がある。一度夢を知るとそれを現実にしたくなるのと同じだ。一度楓さんと一緒にいることの心地よさを覚えると、それだけが欲しくなってしまう。


「はあ」とため息をついたあと、抱き締めてくる。


「かわいいなあ本当に。私だってずーっと一緒にいてあげたいけど、それが難しいのはわかるでしょ?」

「うん」


 でも、こんな風に抱き締められてしまうと、余計に別れが惜しくなるだけだ。一生会えなくなるわけじゃないのはわかっているけれど、その会えない時間すら惜しい。

 ましてや、刹那ではないのだ。寝る時間も含めたら、およそ半日は会えなくなる。

 だからと言ってそのことに悲しんでばかりいたら、彼女の言う通り、ダメだ。一人で完結することじゃない。当たり前だけれど、楓さんがいないと、楓さんと一緒にいるという夢は叶えられない。だから彼女のことも考えてあげないといけない。一方的に夢を叶えにいくのはフェアじゃない。


「じゃあ、キス」


 でも、せめて最後に一つだけ。

 今ここで簡単に叶えられるものでいいから、叶えたい。


 頼んでみると、楓さんは私から離れる。そして顔を赤くしながら「いや、うっ‥‥ん」とよくわからない言葉を零した。

 なぜか迷うような様子を見せる彼女に、目を閉じて唇を向け催促してみる。すると「ほんっと、沙羅は‥‥」となにか言いたげだったけれど、そのあとキスをしてくれた。

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お互いに夢で見るほど大好きな両片想い百合の話 小鳥もち @asteroids

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