サンドバッグ・メイト
押田桧凪
第1話
「このシャケ、骨ないな」
「ん、あぁ」と俺は返す。
「いや、ちゃんと骨あったわ……」
「ごめん、お前だけラッキーなのかと思って濁した。俺のはがっつり入ってたし」とへんな弁解をすると、「なんなん」と
それから小骨をペッと出して曲線のうつくしさを眺めてたら、「飲み込めば?」と理生は言った。俺はいやだ、という表情を浮かべてみせる。
「病室で隣になるの、意外といいな」
「誰のせいだよ」
病院に運ばれたのは昨日。プール監視員が発見し搬送され、意識を取り戻したのは今日、らしい。折り畳み机を展開し、俺たちは運ばれてきた昼食に手をつける。
水の中でじゃんけんして遊んでいたら、過熱してもみくちゃになって、沈んだだけだった。白い壁に取り囲まれた記憶は、無い。
かといって、壁掛けの薄型テレビに流れているローカルニュースには『男性二人、市民プールで遊泳中に気絶か』としか報道されず逆にありがたかった。
「ダルマしようぜ」と理生は言った。だるまさん。胎児のように背中を丸めて水上に浮かぶ体勢をどっちが長くできるか、をやっていて気づいたら理生の息は無くなっていて、起きろ!! って俺は理生の肺辺りを叩いた。
あやふやな記憶を辿って胸骨圧迫の手順に従い、きこえるか、と頬を引っぱたく。鼻血が出た。頭を揺り動かして、それから俺も何だか大量の水を飲み込んでいたみたいで、プールサイドにそのまま倒れたようだ。
「てかシャケは食べれるんだ?」
にやりと笑うと、うるせー! と言い返され喧嘩になる。
「熊じゃん、熊! 好きな食べ物ある? あっ、やっぱり蜂蜜とか?」と無限に思いつくからかいに、理生は頬を紅潮させた。
昔話のように、まるで他人事のように理生の『伝説』を語り聞かせるならこうだ。
小学校の時、間食を持っていって良かったんだけど、アレルギーが多い子がいて、その子にあげて何かあるといけないから、学校中に『出雲くんにはあげないでください!』って顔写真付きのポスターが貼られてたんだよね。猫、探してますみたいな。
「恥ずいよなぁ、あれ。てか、思い出したんだけど。俺、クラス全員から『指名手配犯』って呼ばれてたわ。あーやばいイライラしてきた。ちょっと殴っていい?」
「サンドバッグじゃねえから。大体、なんで俺が……」
だけど俺は理生と友だちかと問われれば、そうじゃない気がしていた。気軽に手を伸ばせば、今みたいにかろうじて小指が届くくらいの位置にいて、こころでは拒絶してる(されてる)みたいだったから。
「でも、病院食ってなんか憧れなかった?」
「わかる」
わかりたくないけど。本当にまずいのか検証する身体になってみたいような不謹慎さを含みつつ、わかる。明日の間食に何のお菓子持っていこうかな、と考えてた時よりも、もしかしたら心が躍った。
その後、プールの職員さんが訪問しにきて、「大人が溺れかけたという事例は、初です」と申し訳なさそうな顔で告げられた。
「いや、地元唯一の市民プールをおまえ潰す気かよ!」って、その後お互い散々揉めた。頬を伸ばして捏ねるようにつねる、ベッドからギリ手が出る力で。原因は俺らなのに。学ばん奴らやなーって遠い目で、見られている気がした。
デザート皿に載ったネーブルオレンジを摘むと、理生は突然「おえ、おっ……」と声を出した。麻痺したかのように上体を揺らし、そして静かにうつ伏せた。
「……え、何かまずいの入ってたん?」
あー、おやめくださいっ、お客様お客様。と脳内で応対する店員を浮かべながら、ナースコールってこんなに早く押すもんだっけ? と俺は戸惑う。
でも、ボタンがあれば何でも押しとけってのが、あいつの流儀だ。理生はボタンがあったら押したくなるタイプでエレベーターとか乗ったらとりあえず全部押す奴だったから、親からよく怒られていた。楽しかった。
吐き出せ! 吐き出せ、って祈りのように拳を振り上げ、それから背中をぶちのめしていく。
飴玉を誤飲した子どもの対処みたいに、今度はお前がサンドバッグやな、って思いながら。慣れた手つきで動かす腕が、なぜかこれまでも吐き出させていたかのように感じた。
実際、俺は保健係だったし付き添いで何度も連れて行ったし、理生から蜂みたいなのに刺された、と言われた時は毒抜きのように患部をつねって洗うを繰り返していた。
蘇生ボタンがあったら押したいし、毒も骨も抜いてやって、また生き返った姿を殴れたら、また遊べたら。ごめん、ごめん、ごめん。なんで謝っているのか分からないまま、俺は理生が目を覚ますのを、ただ待っていた。
サンドバッグ・メイト 押田桧凪 @proof
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