ぼくは不完全な死体として生まれ何十年かかゝって完全な死体となるのである

「――人生というものは、螺旋階段を登って行くようなものだ。一つの風景の展望があり、また一廻り上って行けば再び同じ風景の展望にぶっつかる。最初の風景と二番目のそれとはほとんど同じだが、しかし微かながら、第二のそれの方がやや遠くまで見えるのである」
 かの中島敦は『狼疾記』の中でそう書いていた。
 しかしどこまで階段を進んでもそこから見えるのが垂れ込めた闇ばかりであるなら、自分が登っているのか下っているのか、どうやってわかるというのだろう。柱に向けて階段から身を乗り出して遥か上を見上げても、そこには真っ黒な穴が見返しているだけで、どちらにしろその黒い淵に落ちているしかないのでは?
 映画『パラドクス』のあの非常階段の監獄を彷彿とさせる、言葉選びが見事な怪談。