求めても、与えられず、されど、快楽だけは裏切らず。
八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子)
求めても、与えられず、されど、快楽だけは裏切らず。
冬の浜辺は悲惨に満ち溢れている。
暴力的な波、それを受け止める浜、嘲笑う風、聞こえないふりを装う木々。
遠くに見える波消しブロックの先には、大海原の世間があるけれど、漏れ出た荒波は平然と内で暴れてゆく。
雄叫びと一撃は浜を打ちつけて、浜は飛沫を涙でこぼす。
私は浜の涙を浴びながら波打ち際に立ち、ゆっくりと眺めてから、波に向かって血濡らした刃物を投げつける。
波は気にも止めずに浜を叩く。
頬に貼られたガーゼが浜の涙で湿って擬似の痛みと追体験の痛みを伴い、私を責め倦む。気づけば似た涙を流して、拭う手の小さな瘡蓋だらけの擦過傷と、青黒い内出血の痣に胸の底が傷んだ。
「明美、危ないよ」
幻想の声が私を心配する。
「明美、帰ろう」
幻想の声が私を誘う。
「明美、こっちを向いて」
幻想の声に振り向けば、優しく微笑む貴方がいた。浅羽色の髪、柔らかな耳、つぶらな瞳、ゆるやかな口元、色白の素肌、筋肉質な腕と拳。
ああ、いつもの貴方がそこにいた。
真っ白なTシャツの心臓あたりの切れ目より、真っ赤な鮮血を滴らせて、にこやかに笑ってる。
「刺したのよ、もう、現れないで」
私は確かに殺したのだ。
胸元に刃を突き立てて、肉の切れゆく感触とトマトを潰したような、ジュクリとした音を聞いた。
床に崩れ落ちた貴方は「どうして?」と怯え顔で私を見つめ瞳の色を失った。
「僕はね、しぶといのさ」
幻想がいつも通りに笑った。
そして一歩一歩と歩みを進めては、私を責めたてるように迫りくる。
「もう、やめて、これ以上、現れないで!」
私は精一杯の抗いで貴方を睨みつける、でも、貴方には響かない、響いたことがない。
「君を受け入れることができるのは、僕だけだよ、逃がさないからね」
幻想の口元と目が角度を上げて、悪魔の笑みを私に見せる。その笑みに体が固まる。刻み込まれて植え付けられた恐怖と支配に抗う術はない。
「やだっ……」
幻想の手が私の体を掴み、引き寄せ、抱き寄せた。冷たい感触が皮膚を焼く。
「痛かったなぁ、ズブりと差し込むんだから」
「もう、許して」
「駄目だよ。逃がさないからね」
幻想はそう言って私の首筋にキスをして、そして犬歯を突き立てる。プチっと皮膚の裂ける音に恐怖した鼓動が早鐘を打つ。
吸い取られてゆく感触と薄れゆく意識の中で、貴方の頬が赤く染まりゆくを見た。
夢より目を覚ませば、いつものベッドの上、貴方は隣で安らかな寝息を湛えて夢の中、貪り食われた私の体に、傷一つなく裸体の素肌と双丘の色合いは生気に満ち満ちていた。
「起きたかい?」
「うん、今、目覚めたとこ」
貴方の手が離さぬように私を包み、私は拒まずに受け入れる。
「僕はまだ眠たいよ」
「そばに居るわ」
微笑みを見つめてから、彼の胸元に潜り込み、鼓動を聞いては安心に浸る。
血が増えると人を襲う化け物。
血を糧として人を襲う化け物。
あの運命的な出会いより、歪なつがいの私達、互いに衝動の波を背負っては、今日も世間を生きている。
求めても、与えられず、されど、快楽だけは裏切らず。 八坂卯野 (旧鈴ノ木 鈴ノ子) @suzunokisuzunoki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます