ロシアの文学批評にフォルマリズムというのがある。簡単に言えば、文学作品の形式を重んじる批評グループである。
フォルマリスト曰く、使い古された日常言語とは、現実に対する私の認識と反応は陳腐なものに、鈍感にするものらしい。これは日常生活にも当てはまるだろう。
最初は奇抜な事であっても、それを毎日繰り返していく内に、新鮮味は薄れて、その行為に対する違和感は鈍くなっていくだろう。
本作品は、日常的に暴力にさらされている描写から実は自らも同じ行為を無意識に行っていることがシームレスに描写されている。読み進めていく内に、日常描写が緊密になり、濃密になり、捻じ曲がり、圧縮され、引き伸ばされ、転倒される。日常世界が突如として暴力的なものとなる。
私が日常と感じている物は、もしかしたらとても暴力的な物ではないか、とすら考えさせられた。