遥けき交換

そうざ

Exchange between Distant Locations

 恒星が高度を下げ、暮れつ方の赤みを帯びた可視光線が辺り一面を包んでいる。ここを訪れるのは何度目か、或いはよく似た別の場所と混同しているのかも知れぬ。

 描写するのであれば、寂々とした寒村である。災害や疫病が立て続き、土地は痩せ、耕作地は本来の荒れ野へ戻ろうとしている。

 要は、人類史に於いて凡庸な光景である。そして、私はこんな場所こそを求めている。

 川沿いの小径こみちを往く人影が目に留まった。まだ銀杏返いちょうがえしが初心うぶい弱齢、継ぎを当てた鼠色の木綿に草鞋履き、身丈に合わない大振りな背負しょ――いつものように予感が直感に変わる。私の出番だ。

「娘さん、何方どちらへいらっしゃる?」

「……川へ」

 娘は、ぎょっと私を一瞥いちべつしたものの、再び伏せ目勝ちに戻った。

 水の流れは一間いっけん程の幅を有し、至って静謐に波長の長い光を乱反射している。草木の茂った川縁ふちには無数の朱い節足動物が――当代の呼び名であれば蜻蛉とんぼうが舞っている。

「川ならば、直ぐそこに滔々とうとうと流れておるが?」

「村からもっと離れた、川下まで参ります……」

 娘は、今にも後退りそうに私を見据え、薄紅を帯びた唇を微かに震わせている。

「ところで、背なのお荷物は?」

 気疎けうと無音ぶいん。娘は明らかにこうじている。

 朱鷺色の鳥類がうめきの如く奇声を発し、遠い尾根へと翔けて行く。

「……送ります」

「ほう」

「川は海に通じます。沖の果てには補陀落があると聞きます。せめて望みをけたく……」

 ふだらく――観音菩薩ちょうえつしゃが住するという架空の地か。

 娘はそのへの字口に隠し切れない罪悪を宿し、それでいて自らも被害の側に在ると言外で訴えようとする。因襲の桎梏しっこくに嵌められた者が有す、一種独特の苦衷くちゅうである。

「物は相談なのだが、それ・・を私に譲らぬか?」

 無音が深まる。ことわりに殉じようとする心、理をかなぐり捨てたい心、娘はその間で揺れている。

「無償でとは申さぬ」

 懐からはしたな裸金を取り出し、娘の金壺眼かなつぼまなこに示す。半ば摩損まそんした穴銭あなせんである。年端の行かない娘に金貨、銀貨は大仰過ぎよう。

 娘は、手にした謝礼に深く息を呑むと、思い出したように問いを吐いた。

「│それ《・・》を、どうなさいますので?」

「滅します」

「貴方は、もしや御仏の……?」

 当代の人々は、七つ前は神の内と称し、返す、戻すと迂遠に表してはそれを遣ってのけたと言う。

 家人が娘に始末を押し付けたのか、或いは娘自らがその身に宿していたものか、何れにせよ個別の事情に興味はない。

 思い掛けず身軽になった娘が所在なく立ちすくんでいようと、立ち去る私を拝んでいようと、私は責務を繰り返すのみ、預かり知らぬ事である。


 また一つの〈個体〉が当世から滅し、現世へと連れられる。

 かわし得る死は、永らえる生と成り得る。


 夕陽がようよう深山へ呑まれようとする頃、行く手に別の人影が見えた。

 奴が来るのは百も承知である。が、やけに早い。

「私はたった今、譲り受けたばかりだぞ」

「早いに越した事はない」

「〈個体〉が同一時空間に重複すると――」

「固い事を言うな。時空はそう簡単にもつれんよ。我々が今ここで会話をしている事自体がそれを証明してるじゃないか」

 奴は分かち難き腐れ縁、またの名を別行動の相棒。馴れ合い、擦れ合い、持ちつ持たれつと言い表しても構わぬが、何方どちらが欠けても成り立たぬ関係である。

 奴の背後にはまた別の人影、奴の連れて来た〈個体〉が禽獣のように付き従っている。ここが何処なのか、自分は何故ここに居るのか、右も左も分からぬ恍惚の面貌には、経年の皺が深く刻まれている。

「しかし、面白くないねぇ」

 それぞれに歩を進めた矢先、腐れ縁が言葉を継ぎ足した。

「まだ話し足りないか?」

「お前の行為は、当世の人々に来迎の類と釈されている」

「らいごう? あぁ、阿弥陀仏ちょうえつしゃが死者を浄土へ導くという創作ファンタジーか」

 当世人の希求する異世界ユートピア幻想は、事後処理に重点を置いているが、我々の行為は事前処理に当たる。似て非なるものである。

「それに引き替え、俺の行為はどうだ。神隠しのように怖れられている」

「仕方あるまい、扱う〈個体〉に老幼の違いがあるのだから」

「しかし、俺もお前も無用の長物・・・・・を扱うという意味では等価だ」

「その通り。だから共に正当性がある」

「やれやれ、因果な役回りだ」

 自嘲に飽いた相棒は、れて来た〈個体〉の肩を引き、闇の彼方へと消えて行った。


 また一つの〈個体〉が現世から滅し、当世へと連れられる。

 永らえ過ぎた生は、かわし難い死と成る。


 これまでどれだけの遠隔交換が遂行されたかについて、つまびらかに語れる者は一人として存在しない。私とて例外ではない。

 れど、計数など如何様いかようの意味も持たぬ。人類が存在する限り、我々の責務に果てはないのである。

 私は、入手した〈個体〉に決まり文句を言い聞かせる。

「行こう、汝の招来を待ち望む遥けき時代へ」

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