第17話 気が付けば



「あれ……いつのまに……」



 カーテンからこぼれる朝日に起こされて目をうっすらと開けてみると、いつもの見知ったボロアパートの部屋はそこになかった。

 そういえば大崎からもらったハーブティーを飲んで眠気が来て、それから……

 まずい、そこから記憶がないということは、そこから今まで完全に寝落ちしている。

 せっかく色々話そうと大崎が誘ってくれたのにこの体たらくはいくら何でも情けない。



「すまん、大崎、俺……」



 いくらかのお叱りを受けることは承知で家主に声を掛けてみても返事はない。

 自室で寝てしまったかと思い、ソファから体を起こして大崎を探しに行こうとすると、右腕がグイっと引っ張られる。というよりも、重りみたいなのがぶら下がっている感じだ。



「……っ!!」



 重りの正体に目を向けると、コアラのように俺のシャツにしがみついている大崎が小さな寝息を立ててすやすやと眠っていた。

 わざわざソファで寝て体をバキバキにする必要もないだろうに。

 そう思いながら握っている彼女の手ゆっくりとはがそうとするも、子供が大事なおもちゃから手を離さないようにした指がこれまた丁寧に握り返されてしまう。



「まったく……」



 諦めてソファに座りなおすと、難しそうな顔をしていた大崎の顔に再び安寧が訪れ、変わらず小さな寝息を立てて俺に体を預けてくる。

 はいはい、ぜひ枕代わりにしてください。



「それにしても……」



 こうして間近で見ると、やはり世間を騒がせる美人だと認識させられる。

 俺の顔の半分しかないと思えるくらいの小さな顔。きめ細かで真っ白な肌にすらっと描かれる眉。つい目が行ってしまいそうになるピンクの唇。


 どこをとっても別次元の存在。そんな彼女が真横で無防備にすやすやと寝ているこの状況、人生もわからないものだ。

 これが俺じゃなかったら襲われたりしてもおかしくないだろうに、もう少し危機感を持った方がいいんじゃないのか。起きたらやんわりと言ってやらないと。



「……むぅ」



 俺の考えが読めているのか、「嫌だ」と言わんばかりに大崎は身じろぎをして、俺の右腕をさらに強く抱きしめてくる。

 伝わる熱量と柔らかさが一層増したが、意識が向かないように目線は大崎から逸らしておく。これ以上俺の理性を試すようなことをするのはやめてほしいというのに。



「俺が先に寝たのは謝るから、いい加減起きてくれ……」



 そんな俺の謝罪の言葉は受け入れられることはなく、嬉しそうにさらに強く抱きしめてくる大崎を横目に見ながら、痺れる右腕にもう少し頑張れとエールを送るしかなかった。




――




「はい、出来立てなんで早く食べてくださいね」

「ほんと申し訳ない。すぐ帰るつもりだったのに寝落ちした挙句に朝飯まで用意してもらうなんて……」

「そんな、謝るのはむしろ私の方です。上野さんがバイトとかで疲れているのに、私が無理に連れてきてしまったのもありますし」



 あれから少しすると大崎も目を覚まし、一緒に朝を食べようという話になった。

 俺としてはすぐにお暇しようかと思っていたが、起きた瞬間から顔を真っ赤にして早口でまくし立てる大崎に流される形でソファに押さえつけられてしまった。


 トントンと慣れた手つきでローテーブルに置かれる朝食の品々を横目に、俺は小さくなりながら大崎に頭を下げる。

 男が寝落ちしてしまったとはいえ女の子の家で一夜を過ごしてしまったのには変わりない。他の男に比べて心を許してくれているのは何となくわかるが、それはそれ、これはこれだ。

 怖がらせてしまっていないか不安も拭えずにこうしているのだが、大崎はどこ吹く風で「上手にできたっ」とこぼしながら俺の正面に座る。



「もしそんなに気になるなら、簡単なものですけど朝ごはんを食べた感想を教えてください。これでチャラにしちゃいますから」

「それ、本当にチャラになってるか……??」

「私がいいと言ったらいいんです。さ、食べましょ??」



 俺のことは置いていくかのように、大崎は小麦の甘い香りがする焼きたての食パンに小さな口でかぶりつく。

 サクッといい音を立てながら、サラダや目玉焼きなど朝食の王道の品々をパクパクと減らしていくのを見ていると、こっちも自然と「いただきます」と口に出して綺麗に焼けた目玉焼きに箸を入れる。



「すごい……綺麗な半熟だ」

「ふふんっ。すごいでしょう??こう見えても料理はする方なんですよ??」

「しかもめっちゃ美味い……」

「お褒めにあずかり光栄ですっ」



 とろっと程よい加減で火入れされた目玉焼きはまるで高級ホテルで出て来るような代物で、サラダはシャキシャキ、食パンも一口食べただけでスーパーで売っているものではないことが分かる。

 これで簡単と言われてしまうと、俺が普段朝に食べているゼリー飲料やプロテインバーはどうなってしまうのか。俺の生活を見て大崎がドン引きしないかが少し心配になる。



「こんな手を込んだ朝飯食べるのなんていつ振りだろ……」

「また食べたくなったらいつでも来てください。歓迎しますよ??」



 ニコニコと朝からまぶしい笑顔を覗かせる大崎は、なんてことないように再び俺を家に誘ってくる。

 今回はレストランからの流れで来てしまったが、次お邪魔するとなればそれは間違いなくお互いの意思があるわけで。



「そんな何回も来るわけにはいかないでしょ。確かにめっちゃ美味いけど」

「一人暮らしだと家で誰かとごはんを食べることなんてないじゃないですか。なので、たまにこうして誰かと食べるの好きなんです。今までは仲のいい友達と家族だけでした。そこに上野さんが加わってくれるとすごく嬉しいんですけど」

「んー……とは言っても……」

「……嬉しいんだけどなー」

「……前向きに検討します」



 少しだけむすっとされてしまえば、男の俺はこう続けるしかない。

 これで逃げられたとは思っていないが、どこかのタイミングで恭也に相談しておくべきだろうか。



「そ、そうだ。あとで洗面所借りていいか??どうも首のとこ虫に刺されたみたいで……」



 このままの話題だと不利になると思って強引に話を切り上げる。

 さっきから首の付け根あたりがヒリヒリというか違和感があってずっと気になっていた。



「……です」

「えっと、なんて……??」



 しかし、話題を変えてからというもの、大崎は顔を赤くしたり青くしたりと忙しく、急に落ち着きがなくなった。

 ぷるぷると小さく体を震わせて必死に何かを抑えようとしているのがわかるが、一体何があったんだ。



「だ、ダメですっ!!そ、そんな女の子に恥をかかせようとしているんですか!?!?」

「え、えっ!?どういうこと!?!?」



 まさかのNGに理由を求めても、彼女から俺が理解できる回答は得られなかった。

 今までの流れで俺が何かしたということはないと信じたいが、友達付き合いが素人同然の俺にはとにかく頭を下げておくしかできなかった。



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