第10話 どうするべきか



 恭也と相談した翌日。

 俺はいつものごとく掛け持ちしているコンビニ夜勤のバイト後に、押し屋のバイトを続けてやっていた。

 今日も今日とて満員電車をさばいて、どうにか定時退勤させてもらえそうだ。



「ふう……」

「お疲れだな、上野」

「神田さんが体力お化けなだけでは……??」

「なわけあるか。お前が徹夜で働いて疲れてるだけだろ。早く帰って寝ろ」

「そのつもりですよ。講義も午後からなんで仮眠取ります」



 欠伸をしながら神田さんに返すと、ジトッとした目でこちらを見つめてくる。

 何も無理している働いているわけじゃなく、休む時間も考えてシフトを考えているので神田さんが考えているようなことは起こりにくいとは考えている。

 ただ、無理は禁物なので大人しく家で寝ていよう。



「……上野」

「はい??」

「終わったらちょっと時間もらえるか」

「なんです??」

「気まぐれでいいものをやろう」

「……シフト変わるのは無理ですよ??103万円の壁超えられないんで」

「4月から考えるのは早すぎるだろ。心配するな、そんなんじゃない。日頃頑張っている後輩にちょっとしたプレゼントだ」

「はあ……??」



 どこかで神田さんに恩を売るようなことをした覚えがない。

 日本一の大学在籍の先輩が何を企んでいるのかわからないまま、俺は頭の片隅にそのことを追いやって残りの列車をさばき続けた。




――




「上野、これが言ってたやつだ。やるよ」

「なんですか、これ??」



 退勤後、更衣室で着替えているときに後ろから神田さんに声を掛けられた。

 シャツを羽織りながら振り向いてみると、神田さんの手にチケットのようなものが握られている。



「この前にゼミの教授からもらったんだけどな。期限が近いのに加えて、俺が研究室で忙しいタイミングときた。持っていても紙切れになるし、お前もたまには美味いもんでも誰かと食ってこい」

「いいんですか??ここって確か……」



 神田さんから手渡されたチケットを見てみると、有名レストランのディナー招待券だった。

 恭也からの話にも挙がっていた店のうちの一つだったはずだ。ただ、価格帯がそこそこ上だったので、ある程度懐事情がよろしくないと厳しいと考えていたところだ。

 棚から牡丹餅とはまさにこのことだが、こんないい店の招待券を手放す理由が研究室とは、言葉には出さないが少し気の毒に思う。



「ああ、近頃できた駅ビルの中に入ってるとこだな。お礼は特にしなくていいから感想だけ聞かせてくれ。美味ければ今度研究室の懇親会にでも使ってみようと考えてるから」

「わかりました。すいません、こんないいものもらっちゃって」

「気にしなくていい。さっきも言ったが、どうせ使えなくて捨てるだけだったやつだ。使えるやつが使えばいい」



 そう言って、神田さんは手をひらひらと振って「じゃあな、お疲れ」とさらっとした様子で更衣室を出て行った。

 突然のことに少しぼんやりしていたが、もう一度招待券をよく見てみる。



「期限近いとは言ってたけど、これは近すぎる……」



 招待券の端に小さく書かれた有効期限は三日後の週末まで。

 先月に開業した駅ビルのオープン記念と考えれば、有効期限が極端に短いということはない。

 ただ、今から誰かを誘うにしてもここ数日の予定が都合よくフリーな人がいるのか??



「俺みたいな知り合いが少ない人間には少々難易度が高くないですか、神田さん……」



 いただいたものに難癖をつけるのはよくないとは思っているが、理屈と感情は別問題。

 ペアの招待券をもらっておいて、一人で行くのは俺でもマズイことであるのはわかる。


 気軽に誘えるのは恭也だが、週末は大会があるとかで最後の調整と言っていたはず。

 となれば、残る選択肢は――



「……大崎を誘うか??」



 最近友達になった彼女。確かにゆっくり話す機会が欲しいとは思っていたので、タイミングとしてはもってこいだ。

 ただ、人気女優が週末の夜がフリーで、しかも存在がバレずに過ごすことができるとはなかなか考えにくい。

 バレればパニックになって店に迷惑をかけることになるし、俺と大崎のスキャンダルとか銘打たれれば大崎にも迷惑がかかる。これだけは避けたい。


 どうするかな。一応声だけかけてみるか……??

 そんなことをつらつらと考えながら、業務用通路と扉を通り抜けて駅の改札口の方に出る。

 誰が見てるわけでもないし、と思い、ぐっと伸びをしてだらしなくそのまま足を自宅に向ける。



「さすがに大崎は厳しいって言うだろ……」

「呼びました??」

「……ふぇ??」



 完全に気が抜けていたのもあって、自分に声を掛けられていると気が付くまで少しラグがあった。

 腑抜けた声を出しながら慌てて振り向くと、キャップを被ったマスク姿の赤い丸ぶち眼鏡がトレードマークの女の子がいた。

 壁に寄りかかって、スマホを片手に藍色の瞳を向けているのが俺の新しい友人であることはすぐに分かった。



「お、大崎……!?」

「はいっ!!どうかしましたか上野さん??」

「呼んだというより呟いてただけなんだけどな。……っていうか、どうしてここに??仕事は??」

「今日は朝は学校、夜から撮影です。一緒に大学まで行こうって友達と約束して待ってるところです」

「そうだったのか……」



 つい忘れがちになってしまうが、大崎も俺と同じ大学生。学年は大崎が一つ下だが、しっかりしているせいか同学年に思えてしまう。

 忙しいながらもキャンパスライフを送れているようで少し安心した。



「それで、上野さんから私の名前を呼ぶなんて何ですか??ついに私の活躍をテレビで見て、ファンになっちゃいました??」

「いや、それはない」

「……それはそれで少し傷つきますね」



 フグみたいに頬を膨らます大崎は少し可愛らしい。

 プイッとそっぽを向く大崎だったが、ちらっと視線をこちらに移す。



「……で、理由はなんです??何か用事ですか??」



 大崎は少し頬を染めて、少しだけ俺に向き直る。


 俺は迷った。


 本当に大崎に声を掛けていいものか。

 彼女の迷惑にならないか。

 急すぎて予定を狂わせないか。


 そんな考えが一瞬のうちに頭を支配する。

 ネガティブな考えは人を臆病にさせるらしく、俺は気が付けば「なんでもない」と言おうとしていた。



「……」



 でも、彼女の綺麗な瞳を見て立ち止まることができた。


 この出会いが繋がっているのも、彼女が俺に何度も声を掛けてきてくれたから。

 常に受け身の形で関係を続けていくのは、果たして本当に友達を言えるのか。


 自分のしたいこと、相手のしたいことを探っていくのが友達付き合いというのであれば、俺はそれを放棄してはいけないはずだ。


 だって、目の前にいるのは俺の――



「……う」

「う……??」



 大崎は意味が分からないと言いたげに首をかしげる。



「う、美味いらしいご飯……食べれることになったんだが……週末の夜、ひ、暇か……??」



 情けないことに大崎の目を見て言えないどころか、緊張で噛みまくって自分でも何を言っているかわからなかった。

 こりゃダメダメだ。


 大崎も呆れているだろうと、半ば諦めながらちらっと彼女を見てみると、そこには頬をサクランボのように染めた、心ここにあらずな女の子。



「ふぇ……??」



 俺と同じような声を出す大崎がいた。



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