あとがき

 毎年、4月になると、僕は「闘魂」の引退試合を思い出す。

 もちろん、口髭の格闘家との試合のことではない。

 あのセレモニー、朽ちたコロシアムに向かって花道を去っていく最後の姿のことだ。


 1998年4月4日。

 幸運にも、僕はあの日の会場にいた。


 僕より少し上の世代が「闘魂」や「東洋の巨人」に熱狂したとすれば、僕たちの世代は、その圧倒的なカリスマたちの背中を追う「革命戦士」、そして「三銃士」や「四天王」、さらには対抗イデオロギーとしての「U系」や「邪道」といったものに夢中になった。


 「闘魂」については、村松友視さんや週刊ファイトの井上編集長をはじめ、実に様々なジャンルの錚々たる先人たちが数多の言葉を残しており、僕はそれを読んで育った。

 だから、自分のような者が軽々しく「闘魂」を扱うことなど、おこがましい。ずっと、そう考えてきた。


 そんな僕が、なぜ「闘魂」を描こうと思い立ったのか。


 きっかけは些細なことだった。

 あるとき、野球の落合博満さんが異世界に転生(転移?)するマンガの広告が目に留まった(内容は未読で大変恐縮だが)。


 なるほど、そんな時代か。

 もし自分が誰かを異世界転生させるなら誰だろう?と考えた時、ふと「過激な仕掛け人」の顔が浮かんだ。


 少し前に、異世界モノのキャラクター(っぽい人)たちが集うバトロワものが炎上し、話題になった事があったが(こちらも未読で申し訳ない)、僕も昔から似たような事を考えていた。


 僕は『グラップラー刃牙』や『修羅の門』をリアルタイムで追いかけた世代だ。

 そうした発想はどこか自然な事なんだと思う。


 こうした経緯で、この物語は生まれた。

 そして、もし「過激な仕掛人」が異世界に行ったなら、彼が真に求めるものはやはり「闘魂」であろう。


 結果として、恐れ多くも「闘魂」を描く機会を、偉大な先人から(勝手に)いただいたような気持ちで、この物語を書き上げた。


 この季節、駅まで車で家族を送る道すがら、真新しいランドセルを背負った小学生や、まだ着慣れない制服に身を包んだ中高生たちが、希望と少しの不安を胸に、駅の構内へと歩み出す姿を見る。


 彼らの後ろ姿を見ていると、ふと、あの日、コロシアムに向かった「闘魂」の大きな背中が重なって見えるのだ。


 道は一本ではない。

 複雑に交差し、進んでは戻り、途切れたかと思えば、またどこかで繋がったりもする。


 これからも僕は毎年、あの光景を思い出すのだろう。

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「過激な仕掛け人」が様々な異世界の猛者を集め「IWGP(異世界ワールドグランプリ)」を開催した件 どろ @reiya_tonogai

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