第五十

 何かが弾ける音が響いた。


 「――太山娘娘の前で、己が力を誇示しようとしたか!? 青丘の宝たる霊玉を砕くとは!!」


 堂を満たす怒声に、はっとした。

 

 気が付けば、目の前には粉々になった霊玉の姿があった。

 

 周りには、人の姿をした者、狐姿のもの、様々だった。

 皆、此度の太山娘娘の考試に挑んだ者達、あるいは試験に立ち会う仙たちだった。

 

 責めるような目で見てくる彼らの姿を見てさえ、今、一体なにが起こっているのか理解出来なかった。

 

 だが、粉々に砕けた霊玉と、そこに残る霊力の残滓を見て、段々に自覚する。

 即ち、自分がそれを砕いてしまったのだと。

 血の気が引くのが、自分で分かった。


 太山娘娘が青丘で行う考試は、仙狐を目指す者のため、数年に一度行われるもの。及第できず野狐と看做されれば、仙たる修練を受けることは許されない。

 

 ――病に伏せる母を安心させる為、なんとしても今回の考試に及第してみせる。

 

 そう意気込んでいた。それなのに。

 取り返しの付かぬことをしでかした己に、震えた。

 

「万死に値します!!」


 膝をつき、頭を打ち付けながら、言う。

 

「何事でしょう?」

 

 そこへ――霊狐族の王妃が進み出た。

 艶やかな紅色の衣の裾を引きずり、誰にともなく問う。


 その目は、跪く自分を。

 そして、粉々に砕けた霊玉を。

 殺気立つ仙や狐たちを、順番に捉える。


「……おおいやだ。あの忌々しい姚夫人泥棒狐のところの、薄汚い小狐ではないの。青丘の至宝たる霊玉を砕くとは。なれど、そなたも庶出とはいえ、わが王の血を引く身。尊き血を引くそなたを害する訳にはゆかぬ。――故に。その母に、責任を取ってもらうこととしよう」


 弾かれた様に、頭を上げた。

 

「王妃様。どうかそれだけは!! この不出来な子狐めの命はどうなとも、母だけは……!!」

「誰が口を開いて良いと言った」

 

 高貴な者らしく、扇で口元を覆う王妃は、冷淡な目で、恥も外聞もなく頭を下げる己を見下ろした。 


 太山娘娘は、沈黙していた。

 青丘の内輪の事に口出しすべきではないと判断したようだった。

 

「姚夫人をこれへ」

「王妃様!!」

「くどい」


 必死の訴えも空しく――縄打たれた母・姚夫人が王妃の傍にいた霊狐たちに連れてこられた。


「姚夫人。そなたの娘――墨紫が青丘の宝である玉を砕いた。母として、責任を取るべきではないか?」

「王妃様のお言葉に従います。我が子の不始末は、妾の不徳の致すところにございます」

「殊勝なこと」


 上手く身動きが取れず、前のめりがちに頭を下げた母を見下ろし、王妃は微笑んだ。

 ぞっとするような。


 その目。数日前に見た。

 王妃の産んだ王子を押さえ、主席を取った墨紫を見ていた時と同じ。

 

 同時に悟る。

 

 王妃の子を差し置いて庶子が優位に立つのを、誇り高い王妃が赦すはずもなかった。

 すべて――仕組まれた策略だったのだ。


 霊玉を砕いた前後の意識があやふやなのも。誰かが何かしら術を己に掛けたのだろう。

 

 霊玉は、権威を示す貴重な宝には違いない。

 だが、かわりがないわけではない。

 かつて王の目を奪った女と、我が子の立場を揺るがす庶子を除けるのなら、惜しむに足らぬと。

 

 だが、そんなことをここで自分が主張したところで、誰が耳を傾けるだろう――。

 

 いまや狐族の王たる父は、謎の病に倒れ、青丘は王妃の天下であった。

 それゆえ、自分たち母子は長らく不遇に追いやられていたのだ。


「……流石に、娘の前で、というのは残酷が過ぎよう。――連れてお行き」

「待っ、……王妃様!! どうか、母だけは……!!」

「先程も言った筈だ。――これ以上、わたくしに同じ事を繰り返させるか?」


 なおも必死に言い募る己を、王妃は虫を見る様な目で見下ろす。


 「――阿紫。おやめなさい」

 

 柔らかな声に、ぴたり、時が止まる。

 

「母さん」


 その白い面に、母は静かな月のような笑みを浮かべて、己を見た。

 

「子に命を継ぐは親の役目。――そうして、命は繋がれてゆくの。己を責める必要はないわ」


 周りの者が、母を急かす。無理矢理立ち上がらされて、一瞬だけ母の顔に苦悶が過る。

 

「だから――生きなさい」

 

 それだけを言うと、母は背を向けた。


「――母さん!! いやっ!! お願いだから――」


 直後。

 何かに引っ張られるような感覚がして、意識が途切れた。



 次に目を開けたとき、空は既に暗く、自分は青丘の麓の草叢に放り出されていた。

 

 風が、白い裾を翻す。


 遥かに聳える青丘の黒い影を、静かな月が照らしている。

 母と二人、寄り添った、あの夜と同じ――。


 今や母を失い、狐仙の道も断たれ、帰る場所も失った。

  

 それでも。母の――生きよ、という言葉が重たく胸に沈んでいた。


 唇を噛み、立ち上がる。

 

 行くあてもなく、ただ歩いた。

 何日も眠らず、何度も倒れ、どこを歩いているのかもわからなかった。


 風が柔らかに吹いた。

 憔悴し、倒れて――どれだけそうしていただろうか。


 己を、そっと撫でる手があった。


「――この辺りでは見かけない子ね。かわいらしい狐さん。あなた、どこから来たの?」


 

   * * *


 

 皓月は飛び起きた。

 己の身体の感覚を思い出したような衝撃が全身を覆う。

 喉の奧が苦しかった。泣くのを堪えたときのように。


 妙に心の臓の動きが速い。

 

 夢を見ていた。

 この感覚は、“入夢”。


 ただ、高祖・白羅の夢のときとなにか違う。

 

 周りの者達は、夢の中で皓月を「墨紫」あるいは「阿紫」と呼んでいた。

 恐らく――「墨紫」の夢に入っていたのだろう。

 

 感覚の違いは、人ならぬ存在の夢に入ったからか。

 

 例の薬肆に行ったあと辺りからか。

 夢の中、うらぶれた邸で寄り添い暮らす母子の姿が時折ちらつくと思っていた。


 だが、はっきりと意識されたのは、今回が初めてだった。

 高祖の記憶を夢に見たときも、その始まりは急だったが……。

 

 “入夢”は魄人の父から受け継いだ能力という。

 

 制御ができるかというと、できている気はしない。

 そもそも――できるものなのだろうか。


 母さん、そう叫んだ悲痛の声が、脳裏にこびりついていた。

 夢に差していた月光の冷たさが、肌に残ってる気がして、無意識に己の肩を抱く。


 辺りはまだ、深い闇に沈んでいる。


 なにかに導かれるように、露台へと出る。

 無言に佇む月が、冷冷とした光を落としていた。


 吐く息が白い。


 しんから冷えたような気がして――しかし、戻る気も起きず。

 皓月は一人、蒼く輝く月を見上げ続けていた。



 

――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。

前話の最後、誰かの夢に入ったらしき皓月。


今話はその夢がメインの回でした。


太山娘娘の考試は、『子不語』に載っているお話。仙を目指し、文理に通じた者を選ぶもので、本来一年に一回らしい。異類の場合、まずは人に化けることから学び始めるため、人が仙を目指すのよりプラスで500年かかるそう。


でも、このお話では墨紫はすでに子供ながら人に化けられるという点で、かなり才能があったよう。

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