紀第十一 暗中に其の誠を見る

第四十八

 廉王府の炎上、及び廉王負傷との急報に、皓月は急ぎ颱の宮中に戻った。

 秋霜とは遺都で別れてきた。

 引き続き、二匹の狐の行方については追ってくれるらしい。

 

 母皇は、自分に反抗して皇宮を離れた皓月を見ても、特に叱責などはしなかった。

 ただ、いつもの通り泰然とした笑みで「満足したか」と聞いてきただけだった。

 皓月は上手く答えられず、ただ無言で礼をしただけだった。

 

 当時、廉王府を襲った炎は程なくして消し止められた。

 それでも、廉王府はほぼ全焼。火の周りが早く、逃げ遅れた者も多かったという。


 母皇によって、廉王と皞容は皇宮に運ばれた。

 

 皞容は翌日には目覚め、此度の事件の収束の為に奔走している。廉王は一命は取り留めたが、今も目覚めていないらしい。

 

 出火の原因については当初、灯火の転倒が原因と考えられていた。

 しかし、火災に紛れて易王が姿を消したことや、道々に剣で斬られた人の遺体が幾つも見つかったなどの噂が広まり、易王の仕業ではないかという話が広がりつつあるようだった。

 

 

   

「ああ。――小月。


 翌日、皓月は廉王府跡近くに天幕を張って仮寓とした皞容を尋ねた。

 出迎えた皞容は、そう言って微笑んだ。

 

 焦げた匂いを孕んだ風が、天幕の布を揺らしていた。


「あれ? でも――て、ことは……皦玲小玲は……」

「それは……また今度」

  

 皞容は、皓月は浩の皇太子妃として浩の東宮に滞在していた際、一度使節団の護衛官の一人として随行して来たことがある。

 それ故、皓月が皦玲の入れ替わりを知っていた。


「ところで、皞容容姐。体調は大丈夫なのか?」

「うん。まあ、丈夫なのだけが取り柄だから。小月は――」


 心ここにあらずな様子で言ったあと、ふと皓月を見て零す。

 

「少し、痩せた気がする」

「――そんなことはない」


 言って、小さく息を吐く。


「あの夜。――一体、何があった」

 

 尋ねると皞容は、皓月よりも明るい金緑の瞳を憎しみに染めて、何かに耐えるように唇を震わせた。

 肩の辺りで切った黒髪を、風が徒にそよがせた。


「あの日、……火の手が上がったのは夜更けだった」


 ただならぬ空気で、目が覚めた。

 その時には既に、火はかなりの範囲に燃え広がっていた。

 胸騒ぎを覚えながら母の居所に走った皞容は、血を流して倒れている廉王を発見した。

 側仕えの者達に母を避難させるように命じ、皞容は母の血の痕を追った――。

 

「――物の焼ける匂いに混じって、かいだことのある香りがした」

  

 乱れるものを抑えるようにしながら、皞容は言葉を続けた。


「……香り?」


 常とは異なる皞容の気迫に呑まれたか、あるいは何か不吉な予感を感じていたのか。

 皓月は、掠れた声で先を促した。


「――辟邪香の香りだった」

 

 吐き出すように、皞容は答えた。


「ただの辟邪香じゃない。微かに木蘭の香りがした。……皓月も、覚えがあるだろう?」

「――!」


 その一言に、空気が凍りついた。

 一際強い風が吹き込み、皓月と皞容の髪を巻き上げた。

 無言のまま、皓月は目を瞠った。


「浩の東宮を訪れた時、かいだ香り――」

「まさか……」


 ――旣魄が?

 

 その名が掠めた瞬間。

 胸の奥で、何かが軋んだ音を立てる。


「何故……」

「火の手が上がって。浩の皇族である易王が失踪した。易王の通ったあとを追ったら、やはり浩人らしき男が潜んでいた。易王本人じゃないのはすぐにわかったけど……あんな時に、あんな所に潜んでいるなんて、碌な理由じゃないんじゃない?」

 

 ふいと皞容は視線を逸らし、吐き捨てる。

 

「しかも――相当な遣い手だった。やたら守りに徹していると思ってたら、たった一撃で気絶させられたんだから」


 皞容が言葉を重ねるたびに、皓月の胸の奥で、確信に似たものがゆっくり形を取っていった。

 皞容と対峙したのは、――旣魄だと。

 

 と、同時に、何故、という言葉が浮かぶ。

 

 皞容の言は、まるで旣魄が、易王の失踪を幇助したかのような言い様である。

 だが、そう言葉にしてみるだに、信じがたい。

 一方で、そう思いたいだけではないのか、という冷えた声が胸を刺す。

   

「あの男。次に会ったら――絶対許さない」

「……ただ気絶させられただけなんだろう? ……もしその浩人が易王の協力者なのなら、皞容を殺していたんじゃないのか? 廉王に重傷を負わせるような輩の仲間だったら」

「皓月。……あいつらの肩を持つつもり?」

「……そうでは……」

 

 皓月は言葉を切った。

 怒りに駆られている皞容に、これ以上何を言っても、火に油を注ぐだけだろう。

 実際、廉王は重傷を負って今も目を覚ましていないのである。


 九尾狐について、何か確信めいたものを掴んだと思った。それなのに、忽ちその蹤跡は見えなくなってしまった。


 何か確かなものに触れたような気がしながら、須臾の間にまたあやふやになる。


 そんなことばかり。


 そして、――皓月自身も。


 何か、大きな波に抗えずに流されていくような。

 そんな、――おそれ。

 

「このままじゃ駄目だ」


 いまの自分は、何かをおそれている。

 何かが崩れてしまうのを。

 けれども、こうしてただ流されているだけではならない。


 皞容と別れ、月靈の背に乗り、皇宮へと引き返しながら、皓月は己に言い聞かせるように呟く。


『……なら、どうする?』


 月靈が問う。

 皓月の瞳は、正面を見据え、黄昏の光を吸い込んで黄金に輝いていた。





――――――――――――――

お読みいただき、ありがとうございます。


皞容が言っているのは、第三十九と第四十あたりでの火の手が上がった廉王府で、易王の様子を窺いに来た旣魄と遭遇したときのエピソード。


旣魄の認識と、皞容の認識がズレています。

皞容側からはこのように見えていたようです。

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