第四十七
翌日、昼過に皓月と秋霜は再び件の薬肆“百藥舎”を訪れた。
肆の主は、何事もなかった様子でいつもの場所に立っていた。
「柏様。どうかなさいましたか」
肆の主は
こちらへ向ける笑みからして、いかにも人の良さそうな青年だ。
昨夜確認した首の絞められたような痕は、多少薄くはなっていたが、それでも矢張り人目は引く。
秋霜がその首の痕について尋ねれば、杜尤は苦笑いで覚えていないと答えた。
「朝からいろんな方に尋ねられるんですけどね」
やや遠くでその様子を窺っていた皓月は、杜尤の表情を注意深く観察する。
嘘を吐いているようには見えない。
籠の中は相変わらず空だ。
「今日は、噂の狐はいないのですか? 是非見てみたいと思っていたのですが」
「はは。姑娘も
杜尤は屈託もなく答える。
「こんな街中に狐なんてもとからいるわけでもないでしょうに。――どんな経緯で杜殿のもとに?」
「あれは薬に使う“清心百花王”を探しに行ったとき。山で見つけたんです。火傷だらけで」
――火傷だらけ、と皓月は口の中で繰り返す。
墨紫は、師・幽寂の炎によってかなりの深手を負わせられた筈だった。
やはり、ここにいたのは墨紫ということなのだろう。
「ええ。きっと、だれかが悪戯したんでしょう。それで連れ帰って治療してやったんです。暫く宅で大人しくしていたんですが、回復して段々あちこちウロウロするのが評判になって――まあ、俺にとっては幸運のお狐様ですよ」
「……」
その「幸運のお狐様」は、数百年前――昊の皇帝を誑かし、人の心臓で延命するように指示した大妖。
封ぜられてなお、魂のみで浩の宮中を荒らした。
幸運どころか――まさしく、大災。
遺都の件については……分からないが。
手口は浩の皇宮で起こったものとよく似ている。
が、皓月が何度か出くわした影のような異形たち。
あれは、浩の皇宮では無かった話だ。
すると、皦玲の顔をしたあのもう一匹の狐だろうか。
一体、何のために。
否。
妖が人を襲うのに、特別な理由などないのかもしれない。
野生の獣が人を襲うのと、何も変わらない。
ただ――生きる為に牙を剥く。
遺都に潜む二匹の霊狐が出逢った時、何が起こったのか。
杜尤の首の痕。
夢の中で“視た”墨紫を思い出す。
高祖(白羅)の夢の中で――墨紫は始め、最悪の人食い妖魔・狍鴞と戦う高祖達の前に現れ、ともに戦った。
それは、当時高祖達に同行していた南寧心という男を助ける為だった。
あの、思いを含んで濡れたような瞳。
次に現れたときには災いそのもののような魔性の笑みを浮かべ、圧倒的な力で高祖を殺そうとしてきた。
そんな墨紫は、高祖が寧心の名を口走ったとき、感情を露わにした。
思うに、墨紫は、情で動く
その行動は、――非情に見える行いの裏にすら――恐ろしく強い“情”がある。
ある意味、酷く人間らしい。
とすれば、自分を助けた杜尤にとってはあくまで「幸運のお狐様」なのは当然なのかもしれない。
恐らくあの首の痕は、墨紫が付けたものではない。
皦玲の顔をした、もう一匹の狐がしたことなのだろう。
恩人を傷つけられた怒りを覚え、追いかけたのかもしれない。
けれども、それも全て、皓月の想像に過ぎない。
同時に、もう墨紫はここに戻ってこないような気がした。
適当に品を選んで買い求め、肆を出る。
前を行く秋霜の背を追いかけながら、皓月は思考の淵に沈んでいく。
未だ、墨紫の目的は掴めない。
けれども、――南寧心が何か関わっているのではないかと思われた。
あの日――山神の怒りに触れ、南王家が滅ぶきっかけとなった、都廣山での南王の蛮行。あの時、あの場に、南寧心はどう関わっていたのだろうか。
詳しいことは、高祖の夢では分からなかった。
数百年も昔の話である。当時を知る人など皆無であろう。――他ならぬ、墨紫以外には。
当時は師の幽寂も修業で人界を離れていたので知らないだろう。
件の都廣山は、現在浩の領域にある。
火を噴く山として、人の立ち入らぬ地となって久しい。
数百年。
人にとっては途方もない長さ。
けれども、悠久の時を送る神にとっては――瞬きほどの刹那ではないのか。
南家を滅ぼし、その炎を呑み込んで今なお燃えたぎる。
その怒りは、今も解けていないのかもしれない。
そう思った後で、ドキリとした。
幽寂は言っていたではないか。
――「祟りをなす程の神の怒りが、そう容易く解けるものか」と。
かもしれない、ではなく。実際、解けていないのだ。
では、都廣山公の妻、権夫人のもとで修業したという墨紫は、神の怒りを受けて動いているということか。
もしそうなのだとしたら――……。
他ならぬ幽寂は、南王家の生き残りだ。
もしや、幽寂を――?
だが、墨紫の狙いが幽寂だったとしたら、幽寂を前に逃げようとするだろうか。
しかし、墨紫はあの時、封印から覚めたばかりで、幽寂を相手にできるような状態ではなかった。
そしてそれと、墨紫が探していた魄の秘伝『十三靈耀大法』とがどう関わってくるのか。
見えたようで、益々見えない。
何かが掴めたようで、するりとすり抜けてしまったような。
そんな、おぼつかなさ。
「――ィエ・リェ?」
いつの間にか立ち止まっていた皓月を、振り返った秋霜が呼んだ。
その氷藍色の瞳は、皓月のなかの葛藤や昏迷を読み取っているかのようだ。
――廉王に易王が瀕死の重傷を負わせた挙げ句、王府に火を付けて逃走した。
その報せが皓月の耳に届いたのは、数日後のことだった。
遺都にはこの年初めての雪がちらついていた。――皓月はその時、何かがひび割れる音を、どこかで聞いていた。
――――――――――――
お読みいただき、ありがとうございます。
色々前の事件との繋がりも少し見えてたかなと。
皓月の思索部分が多かったので静かなトーンになりましたが、次話からは動きが出てこようかと思います。
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