第四十六

 秋霜と共に件の薬肆にやってきた皓月は、外から肆の様子を窺う。

 人の気配はない。あの肆は、どうやら主人一人で営まれていたらしい。

 

 昔は繁盛したようだが、近頃は大分傾いていたらしい。だが、狐が番を務めていると話題になって少し持ち直し始めていたという。

 それが漣漪言うところの、いずれかの狐ということにはなろうが。

 

「この間肆に行ったときには、なにか感じなかったのですか?」


 尋ねてはみるものの、秋霜は否と答えた。秋霜は妖の類が発する気はわかる。それ故、何か「いる」というのは分かるが、それを個々に認識することは不得手という。

 あの肆は、もともとく、常にそういう存在がうろついているため、さして気に留めていなかったらしい。


 すると、秋霜が気にならない程度に気配を潜めていたか、元より大したことのない存在か。あるいは弱っていたかだろう。

 墨紫は、幽寂の術で深手を負ったというから、それもあるかもしれない。

 

 狐の話も、つい昨日客舎やどの者が話題に出してきて、漸く知ったという。

 皓月も、心臓のない遺体自体の話は慎には話をしていたが、墨紫すなわち九尾狐については伝えていなかった。

 元より、九尾狐などという伝説級の存在が、堂々と薬肆の軒先にいるなどと思いもしなかったということもある。

 数十年ほど前まで、この大陸には妖が多く存在していたというが、近頃はそう見聞きもしない。

 

「――集まりやすい、というのは何か理由があるのでしょうか」


 中の様子を窺いながら、声を落として尋ねる。


「……所、人、物……」


 秋霜が応じる。基本的に、商いをする者なら、必ず立地の吉凶はうらなっているはず。かつて繁盛していたというのならば、問題はないのだろう。

 すると、他に変わる可能性のある要素――若い主人であったことからして、問題は人か。あるいは物か。

 

「肆の、主人、良い人……」


 秋霜の言うとおり、以前、肆を訪れたときには、店の主人は根っからの善人に見えた。

 本人自身がなにかしているというよりは、誰かから知らず恨みを買ったか。――たとえば、競合相手から、というのは無いとはいえないかもしれない。


「光、は、影……が引き、寄せ、る――もの。……ィエ・リェ」

 

 秋霜は、言って皓月に視線を寄越した。

 

 ――光には影が引き寄せられる。


「わたくしも? ――母上は、わたくしには強い守りがついているから、変なのが寄ってくることはないと」


 言えば、なぜか秋霜はふっと微笑んだ。

 表情に乏しいその人には珍しい。奥からにじみ出るような。一方で、どこか切なげな――。

 何かがざわめく。

 

 まただ、と思う。

 秋霜と向き合う度に、僅かに揺らめく。

 その揺らぎの正体が、分かるようで、掴めない。


 ずっと昔に――触れたことのあるような、何か。

  

 気を取り直して中の気配を伺うが、人の気配はしない。

 あのとき軒先に置かれていた籠は、やはり空だった。

 

「何かわかるか、月靈」

『何かの獣なのは確かだ。皦玲皇子らしき者から感じたものとはまた違うな……。かといって、これが例の九尾狐のものかと言われると……』


 墨紫と以前相対した時は――場は、封印から解き放たれた九尾狐、一方でその九尾狐を黄龍とともに封じていた玄武などで混迷を極めていた。

 皓月とて、姿が変わっていたら、もし目の前に墨紫がいたとしても、気づくのは困難だろう。


 薬肆と自宅は隣接しているらしい。

 もし、薬肆の看板として飼われている狐ならば、家の人間と一緒にそちらのほうにいるのかもしれない。

 肆の裏へ回る。

 派手さは無く、落ち着いた重厚感のある造り。この邸の住人達の人柄が窺われる。

 

「――!」


 闇の中、人が一人、倒れていた。

 見れば、肆の主である。


 秋霜が近づいて様子を確認すると、大丈夫だと頷く。

 その首に、何かに締められたような痕がある。

 幸い息があるようではあるが、頬を突き刺す寒風が吹き抜ける季節である。凍えてしまうだろう。

 しかし、不思議と主人の顔には赤みが差し、心持ち穏やかな表情だ。


「……妙、」


 薬肆の主人の様子を窺っていた秋霜が零す。


「妙、とは?」

「つめたくない」

  

 それは、今皓月が抱いた疑問を裏打ちするような言葉だった。

 主人の体調を考えれば勿論、それは歓迎すべきことではあろうが。

 

 周囲を見渡す。


 ここの付近だけ草木が倒れている。まるで争いでもあったかのように。

 

 だが、他に気配は無い。

 少なくとも皓月が感じ取れるものは。

 

「ここで何らかのいざこざがあったのは確かなようですが……」

『かすかだが――紫霞院で嗅いだのと同じにおいがする』

「それは、あの籠のにおいと同じもの?」

『違う』

「なら、」

『断言はできぬ。だが、可能性としては高いと言えるだろう』


 慎重に、月靈が言葉を発する。

 

 ここで二匹の狐が揃ったのか。

 その二匹の狐が、ここで争ったということだろうか。

 もしそうだとすれば、それは何故か。

 元から対立する同士なのか。あるいは狐の習性か。それとも、獲物を巡る争いか。

 狐たちはどこへ行ってしまったのだろうか。或いは、今も近くで息を潜めているのか。


「何か気配は感じる?」

『否。ここにはもういないようだ……小妖の類はいるが』

「小妖?」

『確かにこの宅は集まりやすいらしい』


 肆の主人の身体を担ぎ上げる。


「先、に、……おやすみ」

「寝台に移動させるのですね?」


 辺りの様子を窺いつつ、宅の方へ移動する。

 扉を開いて中へ入るや、闇に染まる視界の端を、何かの影のようなものが、さっとかすめた。何かが凝っているような。

 

「?」


 一方の秋霜は特に気にした様子も無く、主人を担いだまま、すたすたと入っていく。

 皓月と月靈も、あとに続く。

 

 すると、あわてたような空気の動きを感じて、振り返れば先程のがうごうごとどこかへと出ていくのが見えた。

 それは、何かに怯えているような動き方だった。


 「なん――」


 改めて見れば、秋霜が足を進めるにつれ、影がひれ伏すように縮んで消える。


『どうやら――小妖どもは、あの男を恐れているようだが』

「月靈でなく?」

『それも無いわけではないだろうが――』  

 

 師・幽寂の知り合いだという秋霜の正体も、未だに謎の一つである。一体どういう関わりなのだろう。


 その間も、秋霜は意に介した様子も無く、ずんずん進んでいく。

 

 ふと、肆よりは薄いが、乾燥した種々の薬材の香りが静謐な空気の中、ふっと薫る。

 寝室とおぼしき室に至り、主人の身を床榻の上に横たえる。


「出直し」

 

 主の様子を伺い、秋霜が言った。

 確かに、今、この場で探れることはこれ以上無さそうだ。

 それよりも、薬肆の主人に話を聞いてみるべきだろう。

 頷いて皓月達は客舎へと引き返した。

 


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