静かに散る、花びらは一つ
黄昏ヴァウムクゥヘン
静かに散る、花びらは一つ
オンラインフルダイブ型VRRPG、リィンスクアッド。このゲームは、邪悪な世界の支配者を倒すことが目的なのだが、実装から一ヶ月あまり、未だその存在に繋がるクエストは実装されていない。公式からの発表なので間違いは無い。
リィンスクアッドのメインコンテンツは二つ、本筋の支配者討伐、いわゆるRPGの部分と、プレイヤー対プレイヤーのバトルというオンラインの醍醐味とも言える部分だ。
私はそこで、対人戦のトッププレイヤーとして名を馳せていた。
「連勝に次ぐ連勝。ララはもう敵無しね」
「えへへ、そうかな。そうかも!」
私の名前はララ、本名は来栖ライラだけど、ここの私はララ、別人として生きている。
私の隣にいるのがリィンスクアッドで出会った多分歳上のお姉さんのマイさん。黒髪ロングを腰で束ねた魔法使いで、優しくて理想の大人。
この世界にチェーン展開するカフェで休憩する私とマイさんは共にトップランカーだ。戦績は私の二十二勝十敗、直近五戦は負けていない。
私はピンク髪の格闘家で、魔法使いと相性が良いのもあって勝ちを重ねている。
「ララは次いつ負けるのかしらね」
「ふふん、そんな日は来ないよ」
「そうかもね」
マイさんはコーヒーをゆっくり机に置いて、ドーナツを美しい所作で口にする。エディットした綺麗な顔が幸せそうにほころぶ。
店内のBGMはこのゲームのメインテーマを落ち着いたジャズ風にアレンジしたもの。私はこれも含めてこの店が好きだ。
頬杖をついて感慨にふけっていると、目の前にアラーム画面がポップアップ、景色を遮った。
このリィンスクアッドというゲームは気が利くのか利かないのか、リアルの予定に配慮してアラームや強制シャットダウン機能がある。毎度私はこのゲームのアラームにうなされている。
「ララ、もしかして学校の時間?」
「うーん…行きたくないよぉ」
「まぁまぁ、リィンスクアッドは逃げないから」
「ていうか、毎度気になってたんだけど、マイさんってこの時間に暇なのおかしくないかな」
少しの沈黙。
これはマイさんを少し怒らせたかもしれない。
「ゲーム内でリアルの細かいこと聞くのは厳禁、気をつけてね」
「そーだった。すみません」
優しさに救われた。
ため息混じりに天井を見上げる。視線の先の熱い電球を見るとぼうっとしてくる。すごい技術だと改めて感心するばかりだ。
しかし、現実逃避しても憂鬱には変わりない。
「世界は闇」
「変なこと言わないの。夜、待ってるから」
「マイさんありがとー!」
そのあとマイさんに挨拶をしてログアウトした。
フルダイブ専用ヘッドセットを外すと天井には冷たい電球がカバー付きで光っていた。
時刻は出かける予定の一時間前。もう少し遊べたかな。
冬の予感がする朝。まだ十月中旬だが、枯れた葉がベランダに散っているだろう。見なくてもわかる。
眠たい目をこすりながら一階へ。我が家は二階建ての一軒家、両親共に働いており、割と稼ぎがいいので大きい家に住めている。
カーテンから少し顔をのぞかせると、思ったより強かった日差しが私の目に降り注ぐ。カーテンは閉めておこう。
「今日私がいただくのはーっと」
バターを塗って焼いたパン二枚と買ってきたカレーパンだ。私の朝食はもっぱらパン派。サクッと食べられて効率が良い。洗い物も今回は皿一枚だけ。
朝食を済ませると歯磨きと着替え、忘れ物の確認を行う。いつものルーティンだ。
右足から靴を履いてその紐を結ぶ。
「行ってきます」
空っぽで暗い家に挨拶をして、右足のつま先から踏み出す。家を出たら鍵を閉める。全部頭の中で意識して行った。
それはそうと体は重い、精神性のものか、ゲームのやりすぎによるものか、多分両方だと思う。
人のいない歩道橋を渡り、子供の頃から慣れない踏切を踏み越え、やっと学校が見えてきた。
なんだかんだ余裕を持って到着。
一階の昇降口から二階の空き教室たちを横目に三階の一年の教室に入る。
私の席は窓側一番後ろ。最近動画サイトの教師たちが、意外とサボりが見えやすい席として上げていたことから、少し危機感がある。
「来栖、課題見るか?」
「お、ダイくん気が利くね」
一つ前の席には、身長と身体能力が高くて、勉強ができる優しいイケメン。濃い顔が昔のアイドルみたいだ。名前は
席が近い縁で仲良くさせてもらっている。今日の彼は機嫌が良さそうだ。
「来栖、いい加減自分でやってこいよ」
「とか言いつつそっちから貸してくれんじゃん」
「どうせ貸せるか聞かれるからな」
「それもそうだ」
言いながら課題を受け取る。相変わらず綺麗な字だ。
私はそんなものとは対極に速さ重視、字は汚く、かろうじて読めるかどうか。
何とか始業のチャイムまでに課題を写し終えた。中には自分の考えを書く部分もあったが、少し変えながら書いたからバレないだろう。
四時間の授業の間何とか眠気をはねのけて昼休み。いつも通り一人で持ち込んだパンを食べる。今日はコッペパンとメロンパンを外のベンチで食べることにした。
青空のもとで食べるパンが格別なんてことは無い。コンビニのブレの無い味は安心する。
すると昇降口の方から明らかに私を見て歩く女生徒。少し怒っているかもしれない、そんな空気を感じる。色んな人に怒られてきたからわかる。
「あの、来栖さん」
「はい」
返事をした直後、コッペパンを一口頬張る。きっと私はリスみたいになっている。思ったより多く口に入った。目の前の彼女は呆れている。
「…」
私の顔、というか口元を見ながら待っている。猶予を与えてくれるつもりは無さそうだ。諦めて薄いイチゴジャムを飲み込む。
「来栖さんの彼氏、転校するらしいですよ」
苛立ちが顔に張り付いているせいでさっきまで分からなかったが、目の前にはかなり綺麗な顔がある。ロングヘアがよく映えている。
ネクタイの色からして同学年か。
「私に彼氏はいないよ」
「え、あ、そうなんですね。あなたがそれならいいんですよ」
驚いた顔でそう言う対面の女生徒。そんなに驚くような事実だっただろうか。それになぜか機嫌も少し良さげだ。
それだけ聞くと、足取り早く来た道を帰って行こうとする。
「ダイくんはただの友達だからね!」
聞こえているのかどうかわからないが、言わないのは何か違う。勘違いは正したい。変に意識してしまうから。
そういえば、なんで怒ってたんだろ。
下校の時刻。大粒の雨が降り出してしばらく、道が暗く光っている。手元に雨具は無い。
周りの生徒たちは次々に傘や雨合羽を使い雨をはねのけていく。
こんなことなら天気予報を見ておけば。帰る時にだけ雨が降る日にいつも思っている気がする。
「来栖さん。傘いりますか?」
そう声をかけてくれたのは、昼間に軽く話したあの綺麗な顔をしている女生徒。心まで綺麗なのか。それなら昼間あからさまに怒ってた理由も相当なものだろうな。
「え、いいの?えーと」
「もしかして名前覚えてない、なんてことは無いです…よね?同じクラスで半年過ごしてきたんですけど」
「実はダイくんと先生しか名前覚えてなくて」
「はぁ…広瀬ココロです」
「覚えた。結構わかりやすいね」
「確かに決して難しいわけではないですけど、わかりやすいわけでもないですよ」
言いながら折り畳み傘を手渡してくれる。やはりわかりやすい名前をしている。
私たちは一緒に一歩を踏み出して学校を出る。しばらく歩いて踏切の待ち時間。
「そうそう、イライラしてた理由なんだっけ」
「あぁ、それは…ただ、陰口を聞いたんですよ」
「だれの?」
「…勘がいいんですね」
私のか。勘がいいと言うか、ただ優しそうなココロならそれもあると思っただけなんだけど。
「優しいね」
「いえ…どこまで行ったってこの類のものは偽善ですよ。自分の感情が整理できない未熟者の心です」
貨物列車が通り過ぎる。
踏切を渡って歩道橋へ。
「来栖さんと篠原くんが付き合ってないって本当ですか」
「ホントだよ?そんなに仲良いように見えたかな」
「いや、私としてはそうでもなかったんです。ただ周りの人がそういう前提で話しているから、そうなのかと思ってしまって」
「あー、私も聞くよそういうの。否定するのも面倒だから放置してる。ダイくんもそうじゃないかな」
歩道橋を渡り終える。
「じゃあ、私こっちなので。傘は明日返してくれればいいですから」
「ありがと!」
私がそう言うとココロは思い出したように振り返る。
「あ、あと、篠原くん転校する前に、感謝は伝えた方がいいですよ」
「うん、分かった」
最後そう言って別れた。ココロはいい子だ。
しかしダイくんに何かしようか迷うところだ。まぁ今考えなくていっか。
折り畳み傘をたたんで、カバンからコンビニのビニール袋を取り出して入れる。
右足を前に玄関扉の鍵を開け、家の中へ。靴を整えていびきをかく父の部屋の横を通り、二階の自室で部屋着に着替える。
また一階に戻り、制服を洗濯機へ入れて回す。
私は慌ただしく帰宅後のルーティンを終えると、ベッドの上のフルダイブ専用ヘッドセットを起動、装着する。
前回ログアウトしたカフェの二階からスタート。このカフェはセーブポイントにもなっているのだ。
カフェを出ると、今日は風が強く中世ヨーロッパ風の街並みが少し広く感じる。
マイさんにメッセージを送信すると、すぐに返事が来た。
「今日は少し難しい、かぁ。まぁ仕方ないね」
切り替えていつも通り対人戦が行われるコロッセオへ向かう。この世界の対人は一対一が基本。だからマイさんが居なくても問題は無いのだ。
「あ」
思い出した。今日は確か新ストーリーの解禁日だ。だからマイさんも忙しかったのか。私たちは対人戦メインとは言え、外せない要素ではあるからな。
でもこのゲームのストーリーは三人以上のチームを組まないと進まない。孤独な私はいつも即席のメンバーで進んでいた。今回もそうしよう。
「そのためには、広場に行かないと」
近くにワープスポットを見つけたので、広場へワープ。世界の大半にはこうして行くことができる。
広場には超巨大な掲示板があり、その中から検索して自分の条件に合うチームを見つけるのだ。
募集してみようか。仮にも対人戦トップランカーなのだ。すぐ集まるだろう。
左手をスワイプしてウィンドウを開き、チームを募集。
「あの、」
ほらきた。女の子の声だ。どこかで聞いたことある気もする。
「ちょっと向こうで話しませんか」
「いいですよ」
チームを組む前に人となりを知りたいのだろうか。
頭の上の名前はシンリィと書いてある。弓を背中に背負ったエルフのようなアバターだ。長い金髪が映えている。
「ちょっとついてきてください」
そう言われたので私は素直について行くことにした。
常に大雨の降りしきる街。ここはストーリーで二番目に来る街ということもあってレベルの低い初心者が多い。
そこに来た私ともう一人、シンリィはレベル八十、今現在の最大値だ。
私とシンリィは二人きりの個室で、ケーキを注文した。
「私、ララさんのこと前から知ってて。というか」
「ん?」
「来栖さん、ですよね?」
自分の名前を呼ばれたことはわかる。
どうして私の本名を。
「だって、顔のエディットしてないですし。見る人が見ればあなただってわかります。髪こそ染めてるけど」
「そんなにわかりやすい顔して…た?」
「わかりやすい顔してました」
「えっと、じゃああなたは?」
「広瀬ココロです。このゲーム、相当リアルに作られてるから気をつけた方がいいですよ」
「はーい」
するとNPCがケーキを持ってくる。シンリィもといココロはチョコレートケーキ、私はショートケーキだ。
「まぁ今日はゲーム内だし、ゲームの話しましょう。もう一人来る予定だから、そのつもりでお願いします」
と言った途端、個室のドアがノックされる。
「来たみたいです」
シンリィは扉を開けてその客人を招き入れた。
ちなみにリィンスクアッドの個室はパスワードを入力しなければ部屋の前にすら到達できない。ノックされたということパスワードを知っているということ。だから安心して開けられる訳だ。
「マジでそのままだな。来栖」
そう言った男は私が見る限り回復系魔導師、頭の上のネームタグはオウと書いてある。
「ですよね」
「もしかしてその感じ、ダイくん?」
「あぁ、よく分かったな」
オウもとい篠原ダイは右手にコーヒー左手に杖を持って、シンリィとともにゆっくりテーブルの横の椅子に座る。
「まさか二人もやってるとはね」
「篠原くん…ここではオウくんか。昨日私が誘ったんです」
「そうだな。ついさっきまで広瀬と攻略して、二章終盤に来ていた」
「だいぶハイペースだね。私そこまで三日もかかったのに」
オウくんはとても効率の良い進め方をしてきたことが分かる。武器や装備がここまでの最適解で、美しさすら感じるほどだからだ。
シンリィはチョコレートケーキを食べ終えると、ゆっくり立ちあがると、チームを組む申請をしながら一言。
「一緒に攻略しませんか」
「おー!行くよ!」
私はそう言って、ショートケーキを急いで頬張り部屋を出た。
十月十八日木曜日。
午前六時、木曜日は私が朝食係。白米と味噌汁、卵焼きと焼鮭を用意しよう。
その間、私は学校での事を考えていた。
私、広瀬ココロは恋をしている、と思う。相手はクラスのクールなイケメン。篠原ダイくん。密かに人気が高く、競争相手はとても多い。
きっかけは、クラスで孤立していた私に声をかけてくれたこと、それ以来目で追うようになっていた。我ながら単純だ。
卵をといて調味料と混ぜ、卵焼き器に流し込む。火をかけ整形していく。今日は甘いタイプにしよう。
「ふぅ」
完成した卵焼きを皿に移す。まだ母は起きてこない。
キッチンの熱でちょっと暑い。
白米と味噌汁をよそって、とりあえず私の分だけ暖かいうちに食べてしまおう。納豆も忘れずに持ってこないと。
「いただきます」
いつも通りの味で安心する。納豆もご飯も味噌汁も。そう思いながら卵焼きに手をつける。
「あ…んま」
ちょっと砂糖入れすぎたかも。まぁ食べられないほどではない。母には少し我慢してもらおう。
朝食を食べ終えると、歯磨きをして自室へ。着替えを済ませたら、もう出かけるまで時間がない。忘れ物の最終確認をして玄関まで。
「行ってきます」
まだ寝てるかな。
家から右に曲がり大通りに出て真っ直ぐ、そのあと少し苦手な歩道橋、それと踏切を通ると私の通う高校はある。
もう既に葉が散っている道を通り、一階昇降口から三階へ。
その時に見えた背中、この学年で一番可愛いとされている来栖ライラさん。名前からして特別だ。あの子がこの世界の主人公と言われたら納得してしまう。
ただ、私だって何も顔と名前だけでそう言っている訳では無い。
「来栖、課題見るか?」
「お、ダイくん気が利くね」
篠原ダイ。私の恋するお相手だ。しかし二人はどうも付き合っているらしく、私の入る隙間は無さそうだ。
そんなことがあるから、ヒロインとしての格などと考えてしまう。
二人がそんなこと思う人じゃないのは分かっているつもりなのだけど。
その会話を聞く私はただ開いた本を見ているだけ。
そうこうしていたら午前の授業が始まる。金曜日の授業は確か午前が文系科目で午後が理系科目だったはずだ。
四時間何とかして集中して授業を受けることができたと思う。
昼食は朝作ったものの余りに、ウィンナーと小さいハンバーグ、あとふりかけ。魔法瓶の中に入った味噌汁は冷める気配もない。
今日も教室の中で一人食べよう。
「広瀬、一緒に食べていいか」
「え、あ、うん」
小さな声しか出なかった。
目の前には篠原ダイ。信じられない。
「昨日おすすめしてくれたゲーム、アレ買った」
そう言って椅子を回して私の対面に座る。昨日勧めたゲームとはリィンスクアッドのことだ。今となっては超有名タイトル。興味を持ってくれたのがとても嬉しい。自分はにやけてないだろうか。
「あと、俺明日転校する」
「え、あぁ」
曖昧な返事しかできない。ちょっと衝撃の事実が連続している。
対面の彼はと言えば魔法瓶で持ってきたお湯をカップラーメンに入れている。変な人だ。
「じゃあ、その、リィンスクアッド、今日帰ったら、一緒にやりましょう。一番最初のお城で待ち合わせで」
必死で平静を装って誘う。詳しくはリィンスクアッドの中で話せばいい。とりあえず目的だけは果たそう。
「いいな、それ。俺友達とゲームするの初めてなんだよ」
「友達」
少し、顔が熱い。
「ごちそうさまでした」
私は紅潮しているだろう顔を隠すため、気づいた時にはそう言って席を立っていた。
勢いのまま教室を出て、階をおりていく。
踊り場でたむろする生徒が目について、ふと足が止まった。話している内容はと言えば、来栖さんの…陰口。
来栖は顔だけで頭が悪いだの、媚を売ることしかできないだのと、私が好きな人が好いている人の悪口に無性に腹が立って、つい。
「うるさいんだよ」
つい、悪態をついてしまった。
視線が到達する前に脱兎のごとく逃げ出して、階段で外まで降りていく。
あれは私の例えばの姿だったかもしれなかったから、怖かったからつい言ってしまった。
そうして外に来たものの、弁当の袋だけ持って何をしようと言うのか。靴は履いているから、少し外を歩いて頭を冷やそう。
自分でもまだ怒っていることが分かる。
遠くのベンチに人影が見える。あれは、来栖さんか。そういえば彼女は篠原くんが転校することは知っているんだろうか。
後から考えれば、付き合っている関係性で知らないわけはないのだが、この時の私は正常でなかった。
カツカツと音を立てながら来栖さんの元へ。怒りのまま近づいたこともあって、そこについた時には来栖さんはギョッとしていた。
「あの、来栖さん」
「はい」
来栖さんは返事をするや否やコッペパンを大きく一口。こうしていてもキュートな顔立ちをしている。その上篠原くんと付き合っているらしいのだ。確かに嫉妬もするだろうな。
食べ終わったのを見計らって改めて話す。
「来栖さんの彼氏、転校するらしいですよ」
「私に彼氏はいないよ」
「え、あ、そうなんですね。あなたがそれならいいんですよ」
驚きのあまり変なことを口走った気がする。
いやでも来栖さんに彼氏がいないということは、もしかして私にも…チャンスがあるのかな。
とりあえずそんな思考を振り切って、戻るとしよう。
あぁどうしよう。振り切れないかも。
帰り際、案の定雨が降り始めた。無理すれば傘無しでも帰れなくはないほどだ。実際無理している生徒もいくらか見える。
ただ雨止みを待っている生徒もいて、昇降口の端で邪魔にならないように立っている。
「来栖さん。傘いりますか?」
「え、いいの?えーと」
「もしかして名前覚えてない、なんてことは無いです…よね?同じクラスで半年過ごしてきたんですけど」
若干ショック。
「実はダイくんと先生しか名前覚えてなくて」
「はぁ…広瀬ココロです」
「覚えた。結構わかりやすいね」
「確かに決して難しいわけではないですけど、わかりやすいわけでもないですよ」
私は来栖さんとともに校門を出た。
前々から分かっていたことだが、私と来栖さんは帰る道がほとんど同じで、自然に一緒に帰ることになった。
踏切の待ち時間。折り畳み傘を使う来栖さんと並んで話す。
「そうそう、イライラしてた理由なんだっけ」
「あぁ、それは…ただ、陰口を聞いたんですよ」
「だれの?」
来栖さん、多分気づいてる。なんでわかったのかがわからない。
「…勘がいいんですね」
なにか上から目線になってしまった。
「優しいね」
「いえ…どこまで行ったってこの類のものは偽善ですよ。自分の感情が整理できない未熟者の心です」
また変なことを言ってしまった。偽らざる本心ではあるのだが、他人に言うようなことでは無い。まして来栖さんになんて。
それでも来栖さんは興味深いようで、笑顔で聞いてくれる。貨物列車が通り過ぎて話題が途切れる。
踏切を渡って歩道橋へ。
「来栖さんと篠原くんが付き合ってないって本当ですか」
突然だったかもしれない。ただ実質二回目の質問なこともあって、来栖さんは思ったよりあっけらかんとした表情で答える。
「ホントだよ?そんなに仲良いように見えたかな」
「いや、私としてはそうでもなかったんです。ただ周りの人がそういう前提で話しているから、そうなのかと思ってしまって」
「あー、私も聞くよそういうの。否定するのも面倒だから放置してる。ダイくんもそうじゃないかな」
心構えから私と違う。来栖さんも苦労してきたのだろう。よく周りを見ているに違いない。
歩道橋を渡り終える。
だいぶ家に近くなった。来栖さんが真っ直ぐ行こうとするので、私は止まって言う。
「じゃあ、私こっちなので。傘は明日返してくれればいいですから」
「ありがと!」
「あ、あと、篠原くん転校する前に、感謝は伝えた方がいいですよ」
「うん、分かった」
余計だったかも。
家に帰って課題など諸々を終わらせると、バタッとベッドに倒れ込む。自分でもその音が聞こえた。
棚の上のフルダイブ専用ヘッドセットを手に取ってセッティング。心を躍らせながらゲームへログインする。
ストーリー中盤の街にあるギルドルームにて。
リィンスクアッドにはギルドという団体に所属していると様々な恩恵を受けられる。ゲーム内の名前をシンリィで登録している私も、交流とその恩恵を求めて所属している。
「あ、マイさん、こんにちは」
「こんにちは」
魔法使いのマイさんは同じギルドのメンバーで、たまに一緒にチームを組んでいる。
「シンリィ、今日新しいストーリーの更新日なんだけど、一緒に攻略しない?」
「すみません、今日ちょっと用があって」
訝しげにこちらを見るマイさん。ストーリー更新の日はいつも一緒に攻略していたから無理もない。
「それなら仕方ないね。行ってらっしゃい」
「はい、行ってきます」
ギルドルームを出てすぐのワープポイント。篠原くんとの待ち合わせ場所へ向かう。初期地点ということもあって、人は多い。これは未だに初心者が参入するペースが衰えていないことを示している。
その多くの人の中に篠原くんは居るはず、さっき来たメッセージでプレイヤーネームを教わっている。
「見つけた」
その声が聞こえて振り返ると、そこにはオウというネームタグをつけた青年がいた。雰囲気だけはリアルの篠原くんに少し似てる気がする。
「こういうゲーム初めてなんだが、リアルとこんなに離してキャラクター作れるんだな」
「そうですね。まあ、体格は違和感がないように現実と同じにする人が多いですけど」
「なるほど、そういうのもあるのか」
話してみて改めてわかるがやっぱり篠原くんだ。
話しながら高鳴る心が、私は彼の心が好きなのだと安心させてくれる。
「さっそく、行きましょう」
「あぁ」
二人でチームを組んでいざストーリーへ。本来三人必要なストーリー進行だが、一章と二章、つまりチュートリアル部分に関してはその限りでは無い。
「世界観の説明と、基礎のチュートリアルは終わりましたね。あとは自由に動いて敵を倒すターンです」
鬱蒼とした森の中、
「シンリィはこのゲーム結構やってるのか」
言いながら彼はテキパキとうさぎ型モンスターを倒していく。ただ私のレベルに合わせたモンスターが出現するので、彼は一体一体丁寧に攻撃を避けながら倒している。私はその一体に集中できるよう他のうさぎ型モンスターを倒していく。
「そうですね。発売当初からやってます」
声は上擦って居ないだろうか。不安になりながら会話している。
「そうか、それは確かにその強さも納得だな」
「あ、ありがとう」
そうして一章は終了。特にこれといったボス戦もなく終わる。
話しているうちになんだかんだ仲良くなって来た気がする。これはチャンス、というか可能性くらいはあるのではないか。そう思ってしまうのも無理はないはずだ。
「ここから二章に入ります。実はちゃんと協力しないと難しいので、気を引き締めて行きましょう」
「なるほどな。これまで異常に丁寧にか」
二章は半分機械、半分生物みたいなモンスターが出てくるようになる。そこでは魔法のチュートリアルがある。
基本的には襲ってくるモンスターを倒して目的地に到達することが目的。そしてその目的地というのが常に雨の降る街だ。ほとんどのプレイヤーは、そこで装備を買い揃えることになる。
「ここで多めにモンスターを倒して、お金を取っておきましょう」
「了解」
いい時間を過ごしている。夢のような時間だ。二人きりで好きなゲームをする。それが叶うなんて思ってもみなかった。
私は次々に弓を射る。このレベルになるとゲーム側のサポートもついて百発百中。それを彼は素直に褒めてくれる。表情はあまり変わらないけど。
だがその時間もここで終わり。なぜかと言えば二章のボスからは三人以上メンバーが必要になるからだ。
私は億劫ながらも仕方ないと割り切って街に着いたらまずワープポイントを探す。
「これからは三人必要なのでチームを募集します。新しい町に行きましょう」
このゲームは半オープンワールド、初めから世界のどこまででも行けるが、基本的には道筋が決まっている。私たちが進んでいるのは王道中の王道だ。
その町には巨大な掲示板があり、そこに書き込むことでチームの募集ができる。
「チームを組む前に装備を揃えましょう。オウくんはあそこにある武具店でお好きな装備を買ってください。私はチームを集めて、雨の街のカフェにいます。合言葉は…カタカナでダイオウにしましょう」
少し沈黙が流れる。
早く喋りすぎたか。少し引かれたかも。心臓が早鐘を打つ。
「わかった。選ぶ基準はどうしたらいい」
「、えっと、魔力と防御力を基準に選ぶと良いと思います。序盤で入手出来るものは後でいつか買い替えるから、見た目で選んでも大丈夫です」
「ありがとう」
そう言って買い物へ行く彼は、クールで感情があまり見えないけど、そういうところも良いところだと思える。少し盲目気味なのはわかっているつもりだけど。
チームを募集する前に掲示板を見てみる。
新しいものの順に更新されていく。書き込みにきた人が私の少し前に立つ。
ショートカットにした髪の後ろ姿、どこかで見たような気がする。
「あの、」
頭の中の仮説を確かめるために話しかける。
「ちょっと向こうで話しませんか」
「いいですよ」
あぁ、声も同じだ。
頭の上の名前はララだが、私には別の名前が見えている。
「ちょっとついてきてください」
素直についてくるところも、来栖さんらしい。
オウくんとの待ち合わせ場所のカフェ。個室を取ってあるので外に漏れる心配は無い。
「私、ララさんのこと前から知ってて。というか」
「ん?」
「来栖さん、ですよね?」
どうして私の本名を。と言う顔をしている。本当に現実とそっくりだ。
「だって、顔のエディットしてないですし。見る人が見ればあなただってわかります。髪こそ染めてるけど」
「そんなにわかりやすい顔して…た?」
「わかりやすい顔してました」
「えっと、じゃああなたは?」
「広瀬ココロです。このゲーム、相当リアルに作られてるから気をつけた方がいいですよ」
「はーい」
本当に素直だ。私が広瀬ココロだという証拠もないのに。本当にヒロインみたいだ。
するとNPCがケーキを持ってくる。私はチョコレートケーキ、ララ、もとい来栖さんはショートケーキだ。
「まぁ今日はゲーム内だし、ゲームの話しましょう。もう一人来る予定だから、そのつもりでお願いします」
と言った途端、個室のドアがノックされる。
「来たみたいです」
私は扉を開けてオウくんを招き入れる。来栖さんが居ることは移動中に伝えている。
そんな彼の第一声はと言えば、
「マジでそのままだな。来栖」
私も思ったよ。
「ですよね」
「もしかしてその感じ、ダイくん?」
「あぁ、よく分かったな」
来栖さんも気づいた。この二人の中に私が入っていいのかとは思うけど、二人はそれを気にしない。わかっている。
オウくんは理想的な装備を選んできたみたいだ。アドバイス通りとも言えるが、端々に男の子的なセンスが出ているように見える。
「まさか二人もやってるとはね」
私としても同じ言葉を返したい。ただキャラクター性で考えれば妥当ではあるか。
「篠原くん…ここではオウくんか。昨日私が誘ったんです」
「そうだな。ついさっきまで広瀬と攻略して、二章終盤に来ていた」
「だいぶハイペースだね。私そこまで三日もかかったのに」
私はチョコレートケーキを平らげ、対面のララさんへ共にチームを組む申請をする。
「一緒に攻略しませんか」
「おー!行くよ!」
そうして私たち三人は二章終盤の舞台へ向かった。
場所は密林の中にある遺跡。後に明かされるのだが、ここは支配者の研究施設でボツになった失敗作が置かれている場所なのだそうだ。しかし彼の前ではネタバレになるから言えない。
「ここって、確かハート型の穴があるってちょっとバズったよね、シンリィ」
ララさんはちょっと笑えない冗談を繰り出す。確かにバズったのは事実、しかし今の私にそんな桃色の話題を振らないで欲しい。バレてしまいそうになる。
「……そうですね。隠し部屋の奥にありますが、見ます?」
「実は始める前にリィンスクアッドのことを調べた。基礎の情報の中、小話的にそのハート型の穴の情報もあったな。聖地巡礼をしてみたい」
「じゃあ行こう!私達もいるし、余裕だよ」
「隠し部屋の行き方は、ノーダメージでボス戦をクリア、です。難易度は上がりますが、頑張りましょう」
ララさんもオウくんもこの今を心から楽しんでいるようで安心だ。
私たちは遺跡の深部へどんどん進んでいく。その道中の廊下に立ふさがるうさぎ。それもただのうさぎではなく、足と体の表面が機会になった強化うさぎだ。
「うさぎが多いな」
「速いから気をつけてください」
それが複数。前衛無しでは攻略は厳しかっただろうが、今は対人戦ランク上位のあのララさんがいる。
「私が全部ターゲット貰うから、よろしく」
ララさんはそう言うと、目にも止まらぬ早業で何体も居た強化うさぎの耳を全て小突いた。
このゲームのモンスターはダメージを最も多く与えたチームメンバーを狙う。今は数ダメージを与えたララさんが狙われている。
ララさん中心に三人でアイコンタクト。
私が一歩左足を引くと同時に、ララさんは右足を踏み込む。強化うさぎはいっせいにララさん目がけて飛びかかる。ララさんは全て屈んで避ける。
浮いたうさぎは私が仕留める役。矢を放つ寸前、オウくんの攻撃力アップの魔法がかかる。
そうして放たれた矢は集まった強化うさぎを跡形もなく消し飛ばした。
「ナイスー!」
ララさんはそう言いながらこちらへグッドサイン。控えめに返すオウくんと私。彼女とも、仲良くなり始めた気がする。
調子そのままの連携で進んでいくと、あっという間にボス部屋。経験者二人、一人は対人戦上位ランカー、苦戦する要素は無い。
ボス部屋の扉を開く。
広く整理された円形の部屋。ここがボス部屋だとあからさまに主張している。
部屋の中央には、培養ポッドに入れられた人間サイズの巨大うさぎ。二足歩行で少し猫背、足と頭と背中が全て機械に覆われている。
ピキ、という音がしたと思ったら、培養ポッドが一気に粉砕、巨大強化うさぎが開放された。
二回目でも久々だと驚きそうになる。
後ろには一切動じない二人、ララさんはまだしも、初めてのオウくんはなぜ驚かないのか。
巨大強化うさぎは辺りを見渡すと、私たちを視認して突進してくる。以前戦った時より格段に速い。反応できない。
私が目を瞑ったその瞬間、ドンッという音がした。
目を開けると足下には仰向けに倒れるボスうさぎと、拳を振り切った状態のララさんが居た。
オウくんはスピード強化魔法を全員にかけて既に遠くへ。私も全員を視界に捉えられる位置へ移動。
ララさんは部屋の中央へ。サポートしやすいようボスうさぎを誘導する。
ボスうさぎの戦闘スタイルはインファイト。接近して左右の足、たまに腕で攻撃してくるというものだ。特殊な魔法攻撃などは無いが、ララさんと私のレベルに合わせた難易度になっていることもあり、以前の攻略よりスピードも威力も段違い。
それを中央で真っ向から全て避けて的確な反撃を与えているララさんは改めて異次元だと感じる。彼女がこの世界のヒロインではないかと思うほど。
ララさんはボスうさぎの右フックを避け、左足で前蹴りを放つ。戦う両者の間に距離ができた。
おそらく装甲が固くまともにダメージが入らないのだろう。この三人で一番ダメージが出るのはおそらく私。
弓を構え、オウくんの攻撃力アップを受ける。これだけ二人が離れているなら巻き込まれる心配は無い。
矢を放つ。
正確に頭を貫いた一矢は、貫通して壁へ刺さる。
数秒の静寂。
膝から落ちて、部屋の中央うつ伏せに倒れるボスうさぎ。
「やった!」
「よし!」
オウくんと私はガッツポーズ。
「…自爆だ」
呟いたララさんは真っ直ぐボスうさぎへ向かい、壁へ蹴り飛ばした。
次の瞬間爆破。
壁の崩れる音。
煙の中立つララさん。
「あー、ごめん、もらっちゃった」
彼女の体力バーは減っていた。
悔しそうに俯く姿を見て、オウくんは、
「問題ない、また来ればいい。俺は転校するけど、ここならまた集まれる」
オウくんは瓦礫の上に座って、静かな笑顔でこう言った。
「二人とずっと友達で居たい」
あぁ、そうか。
ララさんは私を見ながら泣きそうな目をしている。
私も大概だが、彼女もわかりやすいものだ。
「うん、友達で居よう」
そうしてこのクエストは閉幕した。
二週間後。
「おー!ダイくんもうレベル八十なのか!」
私とララもとい来栖ライラ、オウもとい篠原ダイはあのカフェの個室に居た。
「ライラも、ランキング一位やっと取れたみたいだな」
「私がゲームでランキング一位になっている間、ココロは中間テストで一位を取ってる。なんか虚しくなってくるね!」
こうやって盛り上がるのが定番になりかけている時期。自由な時間だ。
するとノックが響く。
「あ、来たみたい。じゃあ紹介するね」
私はそう言って扉を開ける。
「あ」
「あー!」
扉の先の人とララがお互い驚きの表情をうかべる。どうやらこの二人はランカー同士付き合いがあったみたいだ。
「こちら攻撃系魔法使いのマイさん。今日からこのマイさんのギルドにお世話になります」
「よろしく、二人とも。じゃあ早速、新ストーリー攻略に行こうか」
「はい」
私はそうやって返事をして、また扉を開けた。
静かに散る、花びらは一つ 黄昏ヴァウムクゥヘン @Tasoumu
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