抉って愉しいハナイチモンメ

あんきも

抉って愉しいハナイチモンメ

伝承には先人の知恵や警告が含まれている。

だが人間は己の利益と経験を優先してしまう。

だから繰り返すのだ。



─────────────────────



 放課後の夕方。 


学校から帰宅途中の兄弟には、いつも寄り道する秘密の遊び場があった。立ち入り禁止と書かれたロープを潜った先にある廃工場。ここは兄弟にとって思い出深い場所でもある。




 工場が稼働していた当時、父親はここで働いていた。その頃から兄弟はここに出入りしており、よく事務所に入ってお菓子を貰ったり工員が働いている傍らで廃材や工具を使った遊びをしていた。勿論危険な事であり本来叱って追い出さなければならないが、工場長も社長も兄弟とは顔馴染みで父親も含め注意する人間など居なかった。


 唯一母親はその事に反対しており、父と一緒に帰宅すると説教を受けるのが日課だった。


 母が怒るのは無理もない。


以前からここは安全対策に問題があり、金属カッターによる指の切断、裸眼での溶接による視力低下などの労災が度々発生し、市から注意を受けるも特に対策しないまま放置していた為だ。


 そしてある日、遂に恐れていた事が起こる。


クレーンで持ち上げていた鉄筋の留め具が外れ、真下に居た工員に降り掛かったのだ。


結果死傷者が発生し裁判所による業務停止命令を受けこの工場は廃業に至った。




 現場には父親が居た。


降ってきた鉄筋の1本が彼の右目に命中。……鉄筋は眼球を押し潰し、そのまま頭蓋骨を貫いた。辺りにドロドロとした血が広がり手足がビクビクと痙攣を続ける異様な光景が現場に残る。


 その時兄弟は事務所に居たが、こちらにも聞こえる大きな音と事務員達の慌てぶりで何かが起きた事は理解出来た。だが誰に質問しても答えは貰えなかった。




 そんな事があった後でも兄弟はこの工場に来た、兄はここがもうすぐ取り壊される事を知っている。


「ロッカー室入ろうとしたけど鍵掛かってた。お前のカードあそこに置きっ放しだったよな」


「いいよ兄ちゃん。それより早く帰りたい」


「なんだよ、さっきは来たがってたのに」


「今のここ、なんかヤダ……」


 確かに騒がしかった工場は、薄暗く閑散としている。しかしそこにある工具や機械などは、最近まで仕事に使われてたままの状態で放置されていた。




「今帰っても母ちゃん遅くまで帰って来ないし、もう少しここに居ようぜ」


「……うん」 


弟の要求を押し切った兄は、一旦工場から出て敷地内の別の建物にある事務所に行こうと向かう。その道中ふと周りを見て気になる点を見付けた。




 普段誰も立ち寄らなかった焼却炉の様な施設。何時も扉が閉められ頑丈な鍵が掛けられていたのに、今日は何故か扉が開いていた。


興味が沸いた兄はその施設に入ろうとした。しかし弟が手を引っ張る。


「なんだよ」


弟は何も言わない、たたずっと何かに怯えている。


「じゃあお前だけ先に帰ってれば良いじゃん」


 兄は手を振りほどき施設の中へ向かって行く、弟は立ち尽くして後から見つめる他無かった。




 中は窓が一切無く薄暗くてジメジメしており。入って正面右に鉄扉があり鍵で閉じられている。左には奥に向かって伸びる下り階段があった。兄はその階段を降りる事にした。


 扉から差し込む光が辛うじて足元の視界を確保する。階段を降りた先は右に曲がってすぐ行き止まりになっていた。一見すると辺りには何も無い、だが行き止まりまで進みよく確認してみると地面にガラス瓶が置いてあるのを発見した。


 拾ってみるがガラスは汚れで中身が見えない。恐る恐る蓋を開けてみる。


「ゔっ!」


  開けた瞬間、薬品系の強烈な刺激臭が鼻を突き、驚いた兄は咄嗟に瓶を落としてしまった。


瓶が地面に倒れると謎の液体がドクドクと溢れる。そしてゴロッと何かが蓋から出て来た。


 兄は鼻をつまみ出て来た物を凝視する。その正体が判明したとき背筋が凍った。




 ──目玉だ。


きっと作り物に違いない……そう信じたかったが、黒目の反対側に伸びるヒモのような視神経が不気味さと生モノ感を増長させている。 


 何個か転がり出ていて、そのうちの一つと目が合う。その目が一瞬瞳孔を閉じた様に見えた。


兄は慌てて階段を駆け上がると後悔の念を抱きつつ地上に戻るり急いで開いていた扉を閉じた。




「どうしたの?」


外で待っていた弟が兄の様子を見て尋ねてきた。兄は弟の手を引く。


「ここから出よう」


 兄の手は汗ばんでいて、脈早くなっている事に気付く。


兄は早歩きで弟は転びそうになりながら着いていき入って来た場所の手前まで来た、兄はもうすぐ出られると安堵する。その瞬間。


 ブワーっと、突如向かい風が突風となって兄弟を襲った。


「痛いっ!!」


 弟は声を上げると、兄の手を離して蹲ってしまった。




 「どうした」


兄が振り向くと弟は手で目を覆っている。


「目に!右の目に何か入った!」


さっきの突風で目にゴミが入ったのだろうか?こういう時、母親から絶対に目を擦ったり触らないようにと教えられている。


 弟の目を今すぐ洗いたいがここから家まで遠い、とりあえず敷地内の手洗い場を目指した。


前を見れない弟を介抱しながら何とか手洗い場まで来て蛇口を捻る。


「……」




 ──水が出ない。


そんな筈は無いと全ての蛇口を開けるも同様に出ない。水道自体が止められている。今まで水道からは水は出る物と思い込んでいる兄弟には絶望感が拡がっていた。


「……痛い……うぅぅ……」


 グズり始める弟に焦りを感じる兄。目視で患部を確認してみる事にした。


「手!どけて右目見せて」


「……うん」




 涙に溢れる右目を覗いてみる、白目が全体的に充血しているが異常は見当たらない。少し角度を変えてみるとソレに気が付いた。


「……これのせいなのか」


 白目と黒目の境目、ほんの小さい髪の毛程の太さのトゲが刺さっていた。指では難しいが何か摘める物があれば抜けそうな大きさ、兄は父の工具箱を思い出す。


「目にトゲが刺さってるけど大丈夫だ、俺が抜いてやる」


 早歩きで弟を工具箱の所まで連れて来る。蓋を開けてガサゴソと中を物色すると目当ての物が見つかった。ピンセットだ、少し錆びているが今はこれしか無い。 


「よし……これで抜くから少し我慢して目、開けてろよ……」


深呼吸しピンセットを持つ手の震えが収まるのを待ってから"治療"を始める。


 


 弟の右目にピンセットの先が迫ってる、その恐怖に耐えながら必死に目を開いているが条件反射で瞬きを我慢出来なかった。瞬きする度に瞼がトゲに干渉し激痛が走る。


 今度は目が綴じないように弟が両手で瞼を抑えながらやった。


「……もう少し……あとちょっと」


 瞳に当たらないように1mmあるか無いかという所まで近付けた。これで摘めば抜ける筈、指に力を入れ引き離した。


 ピンセットを開いてトゲを確認する、だがトゲは未だに右目の中にあった。


「取れたの?」


「いや……まだ……」


 ピンセットの先をよく確認すると閉じた状態でも微妙な隙間が空いていた。長年使用してきて劣化した証拠だ。




「もう一度やらせてくれ!」


 次はもっと根元から摘めば抜ける筈……


兄は大きく息を吐き集中する。瞼が開きっぱなしの為、弟の目は充血が酷くなっていた。また1mm前後の所までピンセットを近付ける。


「もっと近く……」


 さっきより近い位置でトゲが掴めそうになったその瞬間。


「……!!何だ!」


突然流れる何かの大音量に驚き手元が狂った。


 「ああっ!!アァァァァ!!!」


右手にピンセットに眼球がぶつかる感触が伝わる、急いで右手を引いたが弟の痛がる様はその度合いを増した。




「ああクソッ、おい大丈夫か!? 何で?何でチャイムが鳴るんだよ!!」


 終業時間を知らせる職場のチャイムは、工員が消えた後もその役割を演じ続けていた。そしてそれは夕日が落ちかけている事を告げる合図でもあった。


「目!!目出せ!」


 弟は顔から手を離さない。兄は泣きじゃくり必死に抵抗する弟から強引に手を引き離し目を開かせる。その右目は明らかに症状が悪化していた。どうやらピンセットの先端がトゲを押し込んでしまったようだ、傷口が出血していて周囲を赤く染め上げていた。




 今、兄の脳内にはこの場で何とか解決しないとという考えに固執している、そしてある事を思い出していた。


 それは父親が生前の時、指に刺さったトゲを父親に見せに行った時の事。父が行った埋まったトゲを抜く方法。それは鋭い針を用意してきてそれを使い刺さったトゲの周囲の皮膚ごと抉り出し除去するという物だった。


 自分が泣いて恐怖した方法を今弟に使おうとしてるのである。


兄は安全ピンを用意し使いやすい様に針を曲げて伸ばす。そして父がやっていたように消毒の為、工具箱に入っていた着火ライターで先端を炙る。


「大丈夫だから……今度こそちゃんとトゲを取ってみせる……」


「ヤダ!!もう帰りたい!母ちゃんに会いたい……」




 荒い息筋で冷や汗をかき、何故か不気味な笑みを浮かべ迫りくる兄。少しの動きで痛みが酷くなる弟は、走って逃げる事もできない。


 地面に蹲り抵抗するも、兄弟の体格差では簡単に身体を起こされてしまう。弟に跨り両腕を膝で固定する兄にかつての優しかった面影を見出せなかった。


 顔を振り最後の抵抗を図るも、左腕に押し付けられるように固定されてしまう。瞼も激痛で一瞬しか綴じられない。


「ハァ……ハァ……そのまま、動くなよ」


針先が遂に白目に迫りくる。


「………ギッ!!ガァァッッ!!!!」


 歯を噛み締め喉を潰した様な音が発せられ、その時の全身に入った力は兄の身体すら振り落とさんばかりであり本能がその苦痛から逃れようとしている。


 目の前が真っ赤に染まり痛点が2点に増える、それもトゲの倍以上も太い針により痛みが上書きされ、それは眼球全体に及んだ。




「もうすぐ……もう少し……」


 兄は埋まったトゲの場所を探る、しかし暗さもあってよく見えない。そこで少し傷口を"切開"してみる事にした。


 眼球というのは皮膚と違って硬くツルツルしていて中々針が突っかからない、その為垂直で針を刺し取っ掛かりを作る。


 プスッ……と針が入ると弟の身体が大きい痙攣を起こす、手元がブレる為1回針を抜いた。次第に身体が治まってきたため、新しく作った傷口からまた針を入れる。その頃には白目全体が血で真っ赤になり、黒く澄んでいた瞳も白濁してるように感じる。


 トゲを取って眼医者に行けばきっと良くなる。


兄は回復が絶望的になっているその目に対し、まだ完治の希望を抱き続けていた。




「どこだ……どこなんだ!」


しばらく"施術"に集中してると、身体の痙攣が治まり脱力状態になっていた弟から何か聴こえてきた。


「兄ちゃん……兄ちゃん……」


 そのか細い声に直ぐには気付けなかったが、一瞬誰かから手首を掴まれたような感覚で我に返る。そして自分が今掴んでる安全ピンを見て驚愕した。針が中程までに眼球を穿いている。


すぐに安全ピンを抜き投げ捨てたが、弟の右目は依然の原形を留めておらず、それは最早瞼に収まる肉塊でしかなかった。


 血の涙が顔面を覆う弟に兄はただ絶句、し立ち上がる事も出来ずに弟から自分の身体を退かす事しか出来ない。


 弟は静かに自分の上体を起こすとその瞳を兄に向ける。




「ありがとう、もう痛くないよ。父ちゃんが助けてくれたんだ」


その時の弟は、さっきの兄のように不敵な笑みを浮かべていた。


 

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