君がいた楽園

くまのこ

本文

 島の空は、今日も青く晴れ渡っている。


「本物のトウキョウって、どんなだろう」


 規則正しく波が打ち寄せる白い砂浜で、学生服姿の少年はひとちた。

 彼の、夜の闇を思わせる黒い瞳は、陽の光を受けた水平線を映して輝いている。


「ユウト、ここにいたのね」


 聞き慣れた声に、少年――ユウトは振り向いた。

 声の主は、セーラー服姿の、すらりとした少女だった。抜けるような白い肌に映える黒く艶のある長い髪と、よく動く大きな目が印象的だ。


「ああ、ツムギか」

「もう、黙って一人で消えないでよ。迷子になっても知らないわよ」


 ツムギと呼ばれた少女は、桃の実を思わせる頬を軽く膨らませてみせたが、その目は笑っている。


「迷子って……こんな小さい島で迷子になんてならないって。俺たち、もう十五だぞ」


 ユウトが肩を竦めると、ツムギは、くすりと笑った。


「だって、ユウトって何となく頼りないし」


 彼女の笑顔に、かなわないなぁとユウトは苦笑いした。

 二人は家が隣同士で、気付いた時には、遊ぶ時も、学校に行く時も、常に一緒だった。

 同い年だが、ツムギのほうが大人びていて、ユウトは、いつの間にか世話を焼かれる側、という立ち位置にいた。

 ユウトにも、彼なりの見栄やプライドはあったものの、ツムギに甘える心地よさも、また捨てがたいものだ。


「……そういえば、ツムギは中学卒業したら、どうするの?」

「このまま、島の高校に行くつもりだけど」


 ユウトの問いに、ツムギが、さも当たり前だという調子で答えた。

 彼らの住む、この島は、小さいながらも小学校から高校までが存在し、仕事もそれなりにある。その為、島から出ることなく一生を終える者が殆どである。

 テレビのチャンネルも、国営放送とローカル局しか存在せず、娯楽には乏しいものの、生活するには十分な糧が得られるのだ。


「俺、本州の学校に行ってみたいんだ。トウキョウとかさ」


 ユウトが言うと、ツムギは目を丸くした。


「それって、おじさんや、おばさんには話したの?」

「なかなか言い出せないんだよな。家を離れて一人暮らしとか、金もかかるし」

「どうして、ユウトはトウキョウに行きたいの?」

「ツムギも、この島の外に出たことないだろ? 自分の目で他所よその土地を見てみたいって思わないか? 電車とか飛行機にも乗ってみたりとかさ」

「そうね……」


 一呼吸おいて、ツムギが言った。


「私は、ここが一番安心するかな」

「そうかぁ……ハラジュクとかに行けば、ツムギに似合いそうな可愛い服とか、沢山ありそうだけどな」


 言って、ユウトはツムギの姿を正面から見た。

 ユウトの視線に気付いたツムギも、小首を傾げて彼を見つめ返す。

 幼い頃から見慣れているが、それでも、ユウトは彼女を世界一可愛い女の子だと思った。

 

「……う~ん、やっぱり、島を出るのは高校を出てからにするかな」

「寂しくなっちゃった? ユウトは甘えん坊だもんね。よちよち~」


 背伸びしたツムギに頭を撫でられ、ユウトは、くすぐったさと照れ臭さに身を縮めた。


「もう、いつまでも子供扱いするなよ」


 ムッとしたふりをしながらツムギとじゃれあうのも、ユウトにとっては楽しいことの一つだ。


――無理に島を出ず、ずっとこうやって過ごしているのも悪くないかもしれない……


 優しい日差しのもと、ツムギとはしゃぎながら、ユウトは幸福感に包まれていた。彼女のいる場所こそが「楽園」なのだ。


 不意に、世界が揺らいだ。

 足元から伝わってくる得体の知れない振動に、ユウトは、これまでにない恐怖を感じた。


「何だ、これ……地面が揺れてる……?!」


 海に目をやったユウトは、海面が、これまでに見たことのない波立ち方をしているのに気付いた。

 規則的に打ち寄せていた筈の波も、滅茶苦茶に乱れている。

 何か恐ろしいことが起きつつある――そう直感したユウトは、思わずツムギを抱き寄せた。


「ま、町に戻ろう! みんながいるところに行こう!」

「そうね」


 ツムギは思いのほか、冷静に見えた。その表情は、不安というよりは厳しいものに、ユウトには感じられた。

 二人は手を繋ぎ、砂浜を走った。

 

――何が起きてるのかは分からないけど、ツムギだけは守らなきゃ……!


 ツムギのほうを振り返って見たユウトは、突然、彼女に激しく突き飛ばされた。

 あまりに思いがけない事態に、思考が停止したままユウトは砂の上を転がった。

 次の瞬間、何もない筈の上空から、巨大な鉄骨のような物体が降ってきたかと思うと、それは無慈悲にもツムギの上に落下した。

 彼女に突き飛ばされなければ、確実にユウトが潰されていただろう。

 言葉にならない叫びをあげ、ユウトは落下物の下敷きになったツムギに駆け寄った。

 鉄骨のようなものはツムギの右半身を完全に押し潰している。


「ツムギーーーッ! い、今どかしてやるから……ッ!」


 動転したユウトは、ツムギの身体の上から必死に鉄骨を取り除こうとしたが、当然ながら、それは徒労に終わった。


「誰か、誰か助けて……!」


 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになりながら、ツムギの傍に近づいたユウトは、ふと、酷い違和感に襲われた。

 半身を潰された筈のツムギの身体からは、一滴の血も流れていない。

 無残に割れた頭蓋も同様だった。

 ユウトは、覚悟を決めてツムギの割れた頭部を見た。

 大きな割れ目の中に何かうごめくものがあるのに、彼は気付いた。

 驚きに固まっているユウトの眼前で、うごめいていた何かが、割れ目から這い出してくる。

 それは、頭部をガラスのような丸いカバーで覆い、首から下は宇宙服を思わせる銀色のスーツをまとった、小さいが人に似たシルエットを持つ生き物……らしきものだった。

 よく見ると、頭部を覆った透明なカバーは一部が破損して穴が開いている。

 ツムギの頭蓋から這い出してきた生き物は砂の上に倒れ、苦しげに短い手足を動かしている。

 ユウトは、銀色のスーツをまとった生き物をすくい上げるように、恐る恐る持ち上げた。

 カバーの中にある生き物の頭部は無毛で、白い肌をした小さな顔にはガラス玉のような大きく黒い二つの目に、申し訳程度の口と鼻が付いている。

 一瞬ユウトの顔を見た生き物が、安堵の表情を浮かべたように思えたが、間もなく、その目から光が消えた。

 そうしている間も、地面の揺れは治まるどころか、次第に激しくなっている。

 更に、また一つ、二つと、上空から先刻降ってきたのと同じような鉄骨が落下してきた。

 しかし、ツムギの存在が失われた事実のほうが、ユウトにとっては重要だった。


「何だよ……何が、どうなってるんだよ……」


 ユウトは、動かなくなった生き物を抱きしめるようにして、呆然とうずくまっていた。

 と、重機の駆動音に似た音と共にユウトを取り囲む者たちが現れた。

 ユウトよりも少し大きなそれらの姿は、漫画やアニメに登場する人型戦闘ロボットによく似ている。

 数体のロボットたちが、瞬く間にユウトを取り押さえた。

 手の中にいた小さな生き物を、ロボットたちによってぎ取られるように奪われ、ユウトは叫んだ。


「やめろ! ツムギを返してくれ!」


 彼の懇願も空しく、生き物は何処かへと連れ去られた。

 自身を拘束しているロボットたちのマニピュレータから逃れようと、ユウトは全力で抵抗した。しかし、彼らの力は人間などとは比べ物にならず、びくともしない。

 突然、左の二の腕に何か針のようなものが刺さった痛みを感じたと同時に、ユウトの意識は闇へと沈んだ。



 何とも言えぬ気分の悪さと共に、ユウトは再び目を開けた。

 かすみがかっていた意識が徐々に清明になっていく。

 意識を失う前に起きた出来事を思い出したユウトは、慌てて身を起こし、周囲を見回した。

 彼は、磨き上げられた金属製の壁に囲まれた部屋の中にいた。

 たたみ二畳にじょう分ほどのスペースに、人ひとりが横になれる程度の大きさの柔らかいマットが敷かれている。ユウトは、ここに寝かされていたのだ。


「意識が戻ったようだな。緊急事態だったとはいえ、手荒な真似をしたのは、すまなかった」


 どこからともなく、ユウトの知らない男の声が聞こえてくる。


「他星系同士の戦闘で起きた大規模な爆発の影響で、この実験棟コロニーに隕石群の破片が衝突したのだ。君がいた居住区域は、現在修復中の為、しばらくは、ここで過ごしてもらうことになる」


「な、何を……話が全然見えないよ……」


「たしかに、突然こんなことを言われて、すぐに理解しろというのも無理な話だろうな」


 狼狽うろたえるユウトに、男の声が答えた。


 不意に、床に座り込んでいるユウトの目の高さ辺りの壁の一部が透明になった。

 透明な壁の向こうに、ツムギの頭部から出てきた生き物に似た者たちが数人いるのを、ユウトは見て取った。いずれも白い肌に無毛の頭部、大きな二つの目と対照的に小さな鼻と口を備えた顔を持つ、人間に似た、しかし小さな生き物だ。


「我々は、生身で君と同じ空間にはいられないのでね。こんな状態で話すのを許してほしい」


 男の声が、ユウトに状況を説明し始めた。


「我々は■■星系■■太陽系■■星の者だ」

「つ、つまり、宇宙人?」

「君の世界の言葉で言うなら、そうかもしれない。我々は、他の惑星の絶滅した知的生命体を再生するプロジェクトを行っている。君も、その実験体の一人だ」

「絶滅した……って、人類が?」

「残念だが、そうだ。のこされた生命のサンプルから複製を培養し、何とか今の状態まで育成に成功したのが君だ。あの『島』は、宇宙に浮かぶ実験棟コロニー内に、君の為だけに作られた『箱庭』だ。君たちの種族が比較的安定して生存していた時代の文明を、可能な限り再現してある」

「嘘だ……俺一人の為って、父さんや母さんや……学校の友達だっていたじゃないか」


 ユウトは、突然沸き起こった情報の洪水に押し流されかけていた。


「君たちの種族に似せて作った義体の中に、我々の中から選んだスタッフを搭乗させ、『家族』など身近な者として君を育成していたのだよ」

「……ツムギも、そうなのか?」

「彼女は、優秀なスタッフだったのだが、残念なことをした。君を庇った際、衝撃で気密服が破損した為、『箱庭』の大気に触れてしまったんだ。君たちの生存に必須である『酸素』は、我々にとって猛毒だからね。手当てしようとしたが、全身が酸素に侵されていて手の施しようがなかった」

「そんな……!」

「君たちの種族の幼体は虚弱でね。どんなに栄養状態を完璧に保ち、衛生に気を配っても、君たちの数え方で言えば二年ほどで死亡してしまう事例が続いた。長い研究の末、幼体の時期に、他者による接触と共に『愛情』を与えなければ、君たちの種族は生存できないことが判明したんだ。義体に搭乗したスタッフは、同族として君に『愛情』を与えるのが任務だった」


――みんな、優しかった。父さんも母さんも、学校の友達や近所の人も……あれも俺を「育成」する為……?


「……ツムギが死んだのも、『任務』の為なのか」

「いや、スタッフたちには自身の安全を最優先することを周知しているし、彼女の行動は想定外だ。もっとも、君を育成するには莫大なコストがかかっているから、結果的には助かったと言わざるを得ない」


 ユウトは、ツムギの中にいた生き物が、最後に自分を見た時の目を思い出した。

 酸素に侵されて苦しみながらも、彼女はユウトの無事を確認し安堵した様子だった。

 未だ、その手に残る「ツムギ」の小さな体の感触に、ユウトは胸が締め付けられ、嗚咽を漏らした。


「君の精神を保護する処置が必要だな」


 男の声が響いた。




「ユウト、そろそろ起きないと遅刻するわよ」


 母の優しい声で、ユウトは目を覚ました。

 いつもと変わらない自分の部屋の、自分のベッドの中で、彼は伸びをした。


「あら、ユウト、泣いてたの?」


 心配そうに、母がユウトの顔を覗き込んだ。

 起き上がって自分の頬に触れてみたユウトは、母の言葉の意味が分かった。


「なんか、悲しい夢を見ていた気がする。内容は覚えてないけど」

「そうなの。夢なら、良かったじゃない。そうそう、今日は三者面談で進路を決めるのよね。ユウトは、どうするつもりなの?」

「島の高校に行くつもりだよ」

「そうね、それが安心よね。朝ご飯できてるから、早く食べにいらっしゃい」


 言って、母は部屋から出て行った。

 ユウトはベッドから立ち上がり、窓のカーテンを開けた。

 いつもと同じ、優しい日の光を浴びながら、彼は何か大事なものを失ってしまったような感覚を覚えた。

 島の空は、今日も青く晴れ渡っている。


【了】

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