ありふれた異世界生活を強いられた
@umekawaharaseeee
第1話 どうせやるなら前向きに
永福縋(えいふくすがる)の命は今、終わりを迎えようとしていた。一時は焦がれ続けた願いを、果たすこともなく。
物心ついた時から、いわゆる異世界転生系のライトノベル、それを原作とした漫画やアニメが大好きだった。いつか自分も突然事故に遭うことにより、不思議な異世界へと転生し、胸躍るような冒険や、見目麗しい女の子達との日々を過ごすのだと、願い続けていたのだが、当然のようにそんなことは起こらなかった。ただ、起こらなかったのだ。
異世界転生といっても彼が望んだのは、ありきたりな剣と魔法のファンタジーなど、そういうものではなかった。2010年代から少し特異な設定の作品が目立つようになってからは、若干凝った設定の世界でなければ絶対に行きたくないと思っていた。例えば、何の力もないまま死を繰り返しながら突破口を見出したり、乙女ゲームの悪役令嬢になり、幸せな日々を得ようと奮闘したり…というような類のものだ。複雑な設定であればあるほど、自分が挑むに相応しいのだと本気で思っていた。
そのためなら、なんだってするつもりだったが、どうすれば異世界へ行くことができるのかなどわかるはずもなく、さりとて自死を選ぶような勇気(それを勇気と呼んでいいものかは判断が難しいところだが)も彼は持ち合わせていなかった。ただ、自分はいつかは異世界へと行けるはずだ。というなんの根拠もない、自信ですらない儚い期待を胸に抱き続けているだけだった。それでも良かった。ある時までは。
高校を卒業し、大学へ進学するくらいの年齢になった時、いつまでも夢みたいなことを思っていても仕方がないのかもしれないと。少しだけ、思ってしまった。正しく言うと、恥ずかしくなってしまったのだ。選挙権も与えられるような年齢になったというのに、大物ミュージシャンを目指したり、人気漫画家になりたいという夢ならいざしらず、『異世界転生したい』などという願いを抱き続けることに。そう思ってしまってからは、人生の軌道修正は殊の外簡単なものだった。留年することもなく大学を卒業、大企業ではないにしてもそれなりに安定した会社に就職し、余暇は趣味に費やす。オタク活動をしているうちにTwitter(今はXと呼ぶらしいが)で仲良くなった女の子となにやらいい雰囲気になり、そのまま交際、そして結婚。環境が変われば、かつて自分が抱いていた夢は途方もなく馬鹿げたものであったように思えてきてしまい、また過去の自分を恥じた。要するに、彼の願いはすっかり黒歴史と化してしまったのだ。
一男一女にも恵まれ、がむしゃらに働いた。一日が終われば、また次の一日が始まり、それの繰り返しだった。そんな中でも家族の存在は彼の心の支えだった。気づけば子ども達はすっかり大きくなり、家を出て、彼もすっかり老いた。どこに出しても恥ずかしくない人生が送れていると言えるだろう。子ども達がすっかり独立して家を出て、本当に久しぶりに自分の時間が取れるようになった。ふと昔好きだったライトノベルやアニメを見返していると、懐かしい気持ちが胸に広がった。年を取ってから思い返してみると、本気で異世界に行けると信じていたなんて、とても信じられない。とはいえ、久々に触れた作品たちはどれも面白く、思わず時間を忘れて没頭していると、不意にインターホンが鳴った。そうだ、今日は妻との結婚記念日、サプライズプレゼントを注文していたことを思い出し、移動しようとしたところで、床に置いていたライトノベルを踏み、思いっきり足を滑らし態勢を崩し
「ゴッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
と、倒れ、そのまま頭を打ち、薄れゆく意識の中、彼は思う
(あー、こういうのも異世界転生のきっかけだったりするのかも)
それが、彼の現世での最後の記憶となった。
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「ここは…どこだ?」
気が付くと俺は辺り一面、完璧に真っ白な世界の中で立ち尽くしていた。
とりあえず周りを見渡そうとした矢先、遠くから鳥の羽音みたいなのが聞こえてくると同時に謎の物体がぐんぐんと近づいてきて、俺の目の前で急停止した。
「ハロー!!!! とっても不運でついてない、アンラッキーな貴方様!! でもでもでもでも! 大丈夫!! これからきーっと楽しいことが待ってますからね!!」
まるで自体が吞み込めず、混乱している俺の前に現れたマイクロビキニを着た背の低いピンク髪の女は、こっちの様子などまるで意に介さず、重複表現を浴びせてきた。なんというか、顔立ちはまるでアニメから抜け出してきたみたいに整っているが、起き抜けに言葉を交わす相手としては完全に不適当に思える。例えるなら、寝床から這い出した直後、朝飯にやたらと肉が分厚いカツ丼を出された時みたいな嫌さがある。ていうか、こいつ、背中に白い羽が生えてるんだけどもしかして天使とかなのか?
「ちょっとちょっと~! 微妙にハマりきってない比喩なんか思い浮かべてる場合じゃないですよ~! 勘弁してくださいよ~、なんでも例えようとして滑ってるお笑いマニアの大学生じゃないんですから~!!」
「人をインターネットでだけはユーモラスな人間になろうとして失敗してるクソ学生みたいに言うな! って、なんで俺の考えてることがわかんだよ!?」
「んなこと言われても、わかるものはわかるんですから、しょうがないですしおすし。貴方が私の体を見て愚かにも欲情してることだって、しっかりばっちりきっぱり分かっていますが、あえてそこには触れない私の優しさに涙してほしいもんでするるる」
「はああああ!?」
そんなもん、エロい格好してる方が悪いだろうが!! って、いや、違う。そもそも欲情なんて断じてしていない。むしろ、していたとしても俺は死の瀬戸際にいるはずだし、死の直前にそういう反応をすることは生物として正しいはずだ。どう考えてもそのはずだ。
「あ、気まずいから遠回しに言いますが、貴方、もう死んでますよ?」
「どこが遠回しだ!! 外角高めストレートだろ!!」
「うっわ…その比喩も野球のことなんて何も知らないオタクが適当に言ったってかんじで醒めますね…。まあ、高齢オタクの戯言に付き合ってたら私の魂が穢れますし? さっさと現状把握に努めてくださ~い」
いちいちひたすらにムカつくことを言ってくる女だが、一理あると言えなくもない。とにかく、俺は死んだらしい。それなりに満ち足りた人生だった。しかし、遺された妻と子ども達のことが心配だ。きっと俺が突然いなくなった心の傷を死ぬまで抱え――
「えーと、奥さんは数か月後にめっちゃ金持ちと再婚しますね。子ども達も貴方みたいなキモい死に方することもなく、天寿をまっとうできます。良かったですね~」
異常にボロボロの大学ノートくらいの手帳をめくりながら、ピンク髪の女はそんなことをぬかしやがった。
「………………。まじで? ちょっとさすがにそれは薄情すぎやしないか?」
「一応、それなりに傷つきはしたみたいですよ。よかったじゃないですか! まあでも、終わったことをいつまでも振り返っていてもなんにもなりませんからね。ってことで、貴方もしっかりと前を向きましょ!!」
いきなりそんなことを言われてもまるで心の整理がつかない。ああくそ、どうして俺は昔好きだったラノベなんて引っ張り出して読みふけてしまったんだ!! それさえなければ、プレゼントを受け取って、妻と外出し、そして予約してたフラッシュモブの中、これまでの感謝をドラマチックに伝えれたはずなのに!
「フラッシュモブとかまじで予約する人いるんですね…ちなみに奥さん、毎年めっちゃ嫌だったみたいですよ?」
「嘘!? どう見ても喜んでたぞ!?」
「まあ、そういうことすらも気づけなかったから、すぐに再婚しちゃうんでしょうね。っていうか、50歳も半ばの人間がフラッシュモブって、珍しすぎて貴方の死体から呪物とか作れそうですね」
俺は打ちのめされ、思わず頭を抱えた――って、おかしい。薄くなりかけていた髪がすっかり生えている。まるでこの世の春を謳歌していた高校生の頃のようだ。
「いや貴方、高校生のときはひたすらラノベ読んでアニメ見てエロゲしてただけの暗黒文科系少年だったでしょ。まあ、楽しかったなら謳歌してたのかもしれませんけど」
実にいちいちうるさい女だ。というか、後回しにしてきたけど、結局こいつはなんなんだ? さっきから俺の頭の中をナチュラルに読んでるのも気味が悪いし…。
「はい、よくぞ聞いてくれました。まあ厳密には別に聞いてないかもしれませんけど、これ以上尺を取るのも嫌なので、バシっとキラっとシュシュっと自己紹介しちゃいます! 私はサブリナ、ロクでもない貴方の元に神から遣わされた、ラブリーポップ天使ちゃんです! ちなみに貴方程度の頭の中ならまるっとお見通しなので、くれぐれもエロい妄想とかしないように!」
「んなこと誰がするか! それに…ふん、俺の信じる神とお前が仕える神は果たして同じかな?」
「うわだるっ! そういう捻った返しは別にいいんで、とにかく説明させてください。そのためにとりあえず若返らせたりもしてあげたんですし」
なるほど、俺の体が(たぶん)高校生くらいのときに戻っているのはこいつの仕業でもあるのか。しかし、天使ちゃんというのはどうにも怪しいところだ。物の怪の類の可能性もあるから話半分で聞くとしよう。
「誰が物の怪ですが、誰が。とにかく、貴方は選ばれました…しょうもない人生を送ってきた癖に死後にこんな良い思いが出来るなんて羨ましいですね~! いよっ、この幸せ者! ラッキーマン! ダライラマ!」
「最後のはタイの一番偉い坊さんだろ。選ばれたって、何に?」
「第1回異世界コンクールの参加者にですよ! 異世界転生、念願だったんでしょ?」
念願は念願だったが、今さらそんなこと言われても困るところだ。っていうか、コンクールってなんなんだ? なんだろう、実に嫌な予感がする。例えるならば爽やかな朝に牛――
「あ、クソつまんなさそうな比喩はもう言わなくても大丈夫なんで。愚かな貴方にしっかり説明してあげましょう!」
そう言ってサブリナとかいう自称天使はおもむろにどう見てもiPadでしかないタブレットを取り出した。マイクロビキニしか着ていない上に鞄なんかもないのに、どこに隠してたんだ?
「そういうどうでもいいこと気にしなくていいです。別にこれが後々重大な伏線になるとかもありませんので。とにかくそういうもんだって思ってください」
そのまま、慣れた手つきでiPadを操作していき、画面をずいっと俺の鼻先まで突き付けてきた。
「はい! じゃあ、異世界コンクールの説明をしますね。その前に、ここの『わたしはロボットではありません』の項目にチェックを入れてから、画像認証を突破してください」
なんでこんなところまできて見飽きたことをしなきゃならんのだとは思ったが、ゴネるのも面倒だったので言われた通りにしてやった。画像認証が「一年戦争で使われたモビルスーツをすべて選んでください」と、いやに偏った知識を要求してくるものだったのはムカついたけど。
「はい、ありがとうございます~。それじゃ、まあ簡単に言うと、今、私が所属している組織では見境なく死んだ人を異世界転生させまくっちゃったことで、なんかマンネリ化が進んでるんですよ。どれもこれも似たような世界ばっかで、面白くないな~って一番偉い人が言い出しまして、それぞれがガチってご自慢の異世界を創り上げましょうや! ってかんじなんです」
「…まず、異世界転生ってそんなラフにやってもいいものだったのか?」
「いや~、昔はかなり慎重にやってたんですけど、今って人間達の間でもすっかり定番ものとして定着したじゃないですか? それに当てられてこっちも嬉しくなってバンバンやってたら、なんか同じような世界ばっかになるわ、あれ? これって下界で作られてる異世界転生ものの方が面白くない? ってなってこっちとしても危機感を覚えてる訳なんですよ」
「なるほど…だからこそ、変わった異世界転生に憧れていた俺に、今まで見たことがないような世界を創り上げ、そこで冒険してみろ。と言いたい訳だな?」
過程がアホなのは若干気になるが、これはまたしてもないチャンスかもしれない。何しろ物心ついたときから憧れていた夢が叶うかもしれないんだ。とはいえ、業界的にも最早レッドオーシャンだと言われているジャンルではあるから、これは慎重に吟味に吟味を重ねて、熟考に熟考を――
「あ、勝手に解釈してワクワクするのやめてもらっていいですか? これだからオタクの人って嫌なんですよね~」
「なんだと? じゃあ、何をしろって言うんだ?」
「まず、世界を創り上げるのは私です。貴方がそこを冒険するっていうのはまあ当たってますけど」
「ふうん、どうせなら自分で作りたかったけど我慢してやるか…。それで、どんな変わった設定にするつもりなんだ? 最近流行りのやつだったら人間以外のものに転生するとかだけど、俺的にはあの何回も死に戻りを繰り返す名作とかもすごい好きなんだよな。あ、でも痛い目に遭いすぎるのはちょっと勘弁してほしいかもな。追放系とかも流行ってはいたけど、個人的にああいうのはなんか『俺の価値をわかってないやつらに復讐してやる』みたいな読み手の願望を汲み取りすぎというか、どんだけストレス抱えてんだよ! って思っちゃってあんまり好きじゃないから避けたいところなんだよな。異世界でのんびりスローライフとかもいいかもしれないけど、あれはかなり日常系よりの作品になっちゃうというか、それって異世界でやる必要ある?? って突っ込まれがちなところもあるから、個人的にはあんまり――」
「あーーーーーーーーーーーー! うるっさいですね!! オタクくんの早口なんて一切聞きたくないんだから、勝手にべらべらと喋らないでくれます!? そんな風に自分のテリトリーな話題になったら水を得た魚みたいにギャーギャー言ってると、この後の異世界ライフでも大失敗しますよ!?」
サブリナが心底鬱陶しそうに大声を出したことで、俺はふと我に返った。確かに、テンションが上がりすぎて口数が多くなってしまっていたようだ…。でも、そこまで言わなくていいと思う。人は誰しも好きなことがあるし、それについて語る機会が訪れたら多少は饒舌になっても仕方ないと思うんだ。そう思わないか?
「脳内までやかましい人ですね…。まあでも、一応は私の協力者ってことになるので多めに見てあげましょう。次はないですけど。別に貴方の代わりなんて…幾らでもいますからね?」
途端、サブリナの目が鈍く光った。こいつにはやると決めたらやる凄味がある…。逆らわない方がよさそうだ。
「わかってくれて嬉しいです! まあ、このコンテストで見事優勝することができましたら、その異世界での物語は下界の適当な中堅ラノベ作家の脳内にでも送って大ヒット作に仕上げてもらえますよ! そして、コミカライズ、アニメ化…果ては意識高い系キラキラベンチャー企業のゲーム愛とかは別に全然ないけど儲かるからゲーム作ってるみたいな子会社によって、ゲーム化されて激強IP作品として大ヒットになって使用料ガッポリ! とかも夢じゃありませんよ」
「…なんかそういうベンチャー企業に恨みでもあるのか?」
「いえ別に。ただイメージ的になんか気に食わないだけですが?」
なんだか触れない方がいい話題な気がするから、避けておくとしよう。しかし、例えそうなってもガッポリ儲かるのはその作者であって、俺とサブリナは関係ないのでは…?
「ああ、一位になったらその作者の子どもとか、まあ、そういう遺産を貰える立場の存在として生まれ変わらせて貰えるんですって。もちろん、前世の記憶つきなので強くてニューゲームってやつです。貴方は金に困ることのない幸せな人生第二章を送れて、私はその功績を振りかざして出世街道爆進できる…と、まさにウィンウィンウィンって訳ですよ」
「ウィンがひとつ多いが、だいたいのことはわかった。で、結局どういう世界で俺は冒険することになるんだ? これから作るなら、俺にとっておきのアイデアが――」
そのとき、サブリナは待ってましたとばかりにニンマリして、楽しそうに口を開いた。
「だーいじょうぶ! 心配しなくても私の言う通りにすればすべてうまくいくこと間違いなし!! 貴方がこれから冒険するのは…完全に型にハマった王道の異世界です! 剣と魔法、友情と恋!! 王様に頼まれて、魔王退治!! くぅ!! 言ってるだけで体が火照ってきました!!」
「………………は?」
変わった異世界転生ものに憧れ続けたこの俺に、完全に王道の冒険をしろと…このピンク髪のイカれた女は言ったのか??
「誰がイカれたピンク髪のセクシー美女ですか。テンション上がるのはいいけど欲情するのはやめてください」
「んなこと考えとらん! 待て待て待て待て、冗談…だよな?」
「いいえ? 完全にノット冗談です。今って貴方みたいに『とにかく変わったものを…』みたいに考える人が多くて、みんな飽き飽きしてると思うんですよ。だからこそここで『完全に型にハマったものを作る!』と宣言することで、こいつは違うな…! と思われるってもんです。ちょっと前に読んだラーメンものの漫画にそんなかんじのことが書かれてたので間違いないです」
「いやそれは違うだろ! そりゃ王道でめちゃくちゃ面白いものが作れるならそれに越したことはないけど、読者はとにかく新しいものを求めてるんだ! 完全に型にハマっておもしろいものを作れるなんて、それこそ天才にしか無理だって!」
だが、サブリナは俺の決死の抵抗を見ても楽しそうに笑うだけ…どころか、その目の輝きを増していく。
「だーいじょうぶ!! 私こそがその天才なのです!! とにかく自信があるので、乗るっきゃない! このビッグウェーブに! ってなもんです!!」
ああ…今、完全にわかった。こいつはアイデアハイになってるだけだ。この調子だと具体的なことなんて何も決めてないに決まっている。話を聞いた限り、別の天使もたくさんこのコンテストに参加するみたいだし、うまいことサブリナを見限って他のやつと協力したいところだ。
「そんなことさせる訳ないでしょ~? さっき言いましたよね? 『貴方の代わりなんて幾らでもいる』って。嫌なら貴方はここで内蔵まき散らしながら爆死するだけですけど、どうします?」
いつの間にかサブリナの手には小型のスイッチみたいなものが握られていて、ニヤニヤと笑いながらそれを弄んでいる。
まさか、それを押すと『ボン!』と俺の体の内側から爆発するってことか? いや、そんなことがあるだろうか、いや、ない。だいたい俺は気づいたらここにいた訳であって、爆弾を埋められたような記憶もないし、大方ただのはったりだろう。そうに決まっている。
「そんな訳ないと思いますよね? でも、でも、DEMO~! 絶対に100%ありえないかはわかりませんよね? ほら、今ってそもそも貴方のちっぽけな常識では測れないことが起きてるんですし」
悔しいがその通りだ。さすがに復活させといてここで殺すなんてことはないと思いたいが、俺の代わりが幾らでもいるというのが嘘だとも思えない。落ち着け、クールになるんだ永福縋。こういう交渉のコツはこっちがいかにイカれてるかを示すかが大事なんだ!
「交渉の余地とかないですよ? 嫌ならここで終わりです。むごたらしく死んでくださいな」
「おいおい、そんなこと言っていいのか、本当は変わりなんていないんだろ? 俺がやらなきゃ困る何かしらの事情がお前にはきっとあるはずだ」
「はあ、めんどくさ…もういいや」
そのまま、サブリナはスイッチのボタンをカチっと押そ――
「やります!! なんでもやるから勘弁してください! 俺はあなたの従順な犬になります!! ワンワン! バウバウ!!」
限界だった。そう、俺は今、ここでプライドと呼ばれるようなものすべてを捨て去ったのだ。それに、望んだ形とは違うとはいっても憧れてた異世界に行けるなんてラッキーなことだしな。
「ほ~、さすがに命が惜しかったんですね。まあ、さっき貴方が言ったことはバッチリ録音してますし、これから私達はビジネスパートナーってことでよろしくお願いします!」
そう言いながらサブリナはどこからか分厚い書類一式をドカっと取り出して俺に突き付けてきた。
「これを読んで最後に署名と捺印してください。時間がもったいないので3分以内で」
「おい待て、これ百枚以上あるだろ。こんなん全部読んでられるかよ。字も細かいしさ」
「ま~、別に適当でいいですよ。貴方もネットでなんか申し込むときとか、全部読まずに飛ばしてたでしょ?」
「いや、それはそうだけど、今回ばかりはちゃんとしときたいんだよ」
「いいからさっさとしてください。いまだに肝心の異世界ライフが始まってないなんて遅延にもほどがあるんですから」
また不機嫌そうになったサブリナを前に、それ以上粘るような勇気は俺にはなかった。またあのスイッチを取り出されたらたまったもんじゃないしな。
とりあえずざっと目を通して見たけど「甲は乙の命じるままに…」とかいう堅苦しい言葉が並んでいて、頭が痛くなってきたので適当にサインだけ済ませることにした。
「はい、ご契約ありがとうございます! それじゃ、張り切っていってらっしゃ~い!」
サブリナの元気な掛け声と共に俺の横の空間からいきなりブラックホールみたいな穴が現れ、すごい勢いで吸い込もうとしてくる。それをなんとか踏ん張って耐える俺。
「ちょっと待て! いきなり放り出すのか!? 異世界転生ものならなんかこう、俺だけが使えるチート能力を授けるとかそういうのあるだろ!?」
「ないです。そういうのって私が考える王道の異世界ものには不要なんで。努力とか思考とか根性とか気合で困難を乗り越えてこそ、人は輝くんですよ!」
「根性も気合もだいたい同じようなもんだろ! このままじゃ路頭に迷うぞ!?」
「それもまた人生…困難が人生に深みを与えるのです、人の子よ…」
「それっぽいことを言うんじゃない! とにかく今のままじゃ――」
「うっさい!! 男なら覚悟を決めなさい!!」
クレームを言い続ける俺に痺れを切らし、サブリナはそのまま突き飛ばしてきた。成す術もなく、俺の体はブラックホールに吸い込まれていき、そして意識がだんだんと遠くなる…。
「てめえ…覚えて…ろ…よ」
「ま~、なんか困ったことがあれば思念を飛ばして助けてあげるので、心配しないでいいですよ。とにかく、期待してま~す!」
まるで初めてソフトクリームを食べた子どもみたいにキラキラした顔をこっちに向けてくるサブリナは、悔しいけれど可愛かった。そして、俺の意識は完全に途絶えた。
ありふれた異世界生活を強いられた @umekawaharaseeee
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