甘口JKの辛口教師な幼馴染

おうぎまちこ(あきたこまち)

第1話

大学入試共通試験が終わって数日が経つ。

 高校三年生の皆は、二次試験に向けて、高校で勉強したり、自宅学習に励んだり、塾や予備校に通ったりと様々だ。


 進学高校3年生の私・ナツメはシャープペンを放り出すと、自宅リビングにあるダイニングテーブルの上に拡げた教科書とノートの上へと勢いよく突っ伏した。受験勉強にかまけてヘアケアをサボりがちな黒髪が、机というキャンバスにわあっと広がる。


「勉強ばっかりしたくない! もうイヤ! こんな世知辛い世の中なんて!」


 大きく振り仰ぐと、髪の毛がぐしゃぐしゃになるのもお構いなしに、両手で自分の頭を抱えて首をぶんぶん左右に振った。セーラー服の赤いタイも一緒に揺れ動く。

 その時、頭の上にポンポンと柔らかな重みを感じる。


「お? 諦めるのか、ナツメ?」


 私の右隣から聞こえてきたのは、落ち着いた声音。

 大きな掌の正体は、椅子に座っているのは年上の幼馴染の――。


「カイエンお兄ちゃん」


 肩先まであるサラサラの黒髪に、キリリとした眉、切れ長の瞳、すっと通った鼻梁に薄い唇。今日は珍しく黒縁眼鏡をつけていて、知的な雰囲気が増している。身長が高くて、無駄のない筋肉の持ち主で、そんじょそこらの男子高校生じゃ相手にならないぐらい格好いい大人な男。


「一瞬だけ休憩でもするか?」


「いいの?」


「ああ、一瞬だけどな?」


「一瞬だとか意地悪すぎる」


「意地悪でも何でもないさ。まあ、ずっと同じことやるってのも飽きるからな――お前だけじゃなくって、俺も」


 カイエンお兄ちゃんは椅子の背にもたれながら、背伸びをしていた。手足がとにかく長いせいで、椅子がちっちゃく見えてしまう。態勢を元に戻した彼は、ズレた眼鏡を指で押し戻すと、またこちらを見てきた。


「なんだよ? しかめっ面して?」


「しかめっ面……!?」


「ああ、そうだよ。いつもだけど、気づいてなかったのか?」


「ああっ……! そう言えば、同級生の女子たちに『ナツメちゃんって、カイエン先生のこと、嫌ってるよね』って言われたことある……!」


 指摘されたことに思い至って、私が思わず立ち上がると、ガタリと椅子が鳴ると同時に黒いプリーツスカートが揺れ動いた。


「反応が大げさだって……相変わらずガサツだな……高校三年間お前の挙動を見守ってたけど、俺としては、お前が何かしでかすんじゃないかって、いつも心配してたよ」


 両肘を机の上につけて、組んだ両手の上に綺麗な顔を乗せていたカイエンお兄ちゃんが、ほおっとため息を吐いた。

 なんだか美術彫刻みたいで綺麗だ。

 きっと今のお兄ちゃんの様子を私の通う女子生徒達が見たら、キャアキャア黄色い悲鳴を上げたに違いない。


 そう――。


 カイエンお兄ちゃんは、私の通う高校で化学教師をしている。

 見た目はイケメンだし、教え方も上手だし、バスケ部の顧問も爽やかにこなすし、女子だけじゃなく男子生徒の憧れの的でもあるのだ。


 そんなスゴイ彼が――私の幼馴染だということは、学校の皆には勿論内緒だ。


(だって話したら、皆が私の家に入り浸っちゃうか、漫画みたいに変なファンクラブの人達に体育館裏に呼び出されちゃうよ)

 

 私は、お父さんを早くに亡くしている。

 一人っ子の私を養うために、お母さんが働きに出ていたこともあって、自宅で一人ぼっちで過ごすことが多かった。そんな中、私の世話をしてくれたのが、隣に住むおばさんと長男のカイエンお兄ちゃんだったのだ。


 ――とっても自慢のカイエンお兄ちゃん。


 実は、この高校三年間も、皆に内緒で私の家庭教師をしてくれていた。

 今日も母親不在の私の家に様子観察がてら、受験勉強を教えてくれている真っ最中だ。


「まあ、今はお前の受験が心配だけどな……」


 現実に引き戻されてしまって、私はうっと言葉に詰まった。


「別にお兄ちゃんに心配してもらわなくても困らないんだけどね」


 ついついツンとした態度をとってしまったけれど――。


「じゃあ、もう俺、教えるのやめようか?」


「うっ……」


 意外と辛口対応な彼に対して、またもや私は二の句が継げなくなった。


「まあ、それよりも休憩だ」


 ――ガタリ。


「ほら、休める時に休んでおけよ」

 

 そう言いながら、立ち上がった彼が私の頭をポンポンしてくるものだから、胸がきゅうっと疼いた。

 思わず、彼が触れた髪の部分に、私も両手を添えてしまう。


(カイエンお兄ちゃん……)


 本当の兄妹みたいに、私のことを可愛がってくれたカイエンお兄ちゃん。


 お兄ちゃんからしたら、やっぱり自分は妹みたいな存在でしかないのかな……?


 高校時代、男子に全く告白されなかったわけじゃない。


 だけど、お兄ちゃんのことが頭の中から離れなくて、結局誰ともお付き合いできなかった。


「ああ、そうだ、ナツメ、腹が減っただろう? 今からお前の好きな食べ物作ってやるよ。その間は何か問題解いてろよ?」


 カイエンお兄ちゃんが立ち上がると、立ち位置が逆転して、私が見下ろされる格好になってしまう。

 そんな彼の白シャツの袖を、私はキュッと掴んだ。


「ねえ、お兄ちゃん」


「なんだ?」


 そうして――。


 思い切って、伝えてみる。



「私が大学受験に落ちたら、お嫁にもらってほしい」



 すると、相手からの反応がなくなってしまった。


(どうしよう、変なこと言っちゃった……!? 今のなし!)


「ええっと、お兄ちゃん! 受験のストレスで、ちょっと言動がおかしくなっちゃってて……!」


 しどろもどろになりながら、おかしな言い訳をしてしまう。

 真っ赤になったり青くなったりしていると、相手がクスリと笑った後、揶揄うように返してきた。


「……そうだな。冗談ばっかり言わないで――ほら、勉強再開だ。問題でも解いてろよ。俺はキッチン行くから」


「え? うん……ありがとう」


 感謝をしつつも乙女心は複雑だ。


(さらって流されちゃった?)


 だいぶあっさりした対応をされて、私の心は落ち着かない。


(大学入試の問題も難しいけど、恋も難しいな……)


 少しだけ問題に手が付かずにいると、キッチンからジュウジュウとフライパンが焼ける良い音が聴こえはじめた。

 彼の優雅な手つきとフライパンの中身を眺める。

 玉ネギが飴色に変わっていく中、たっぷりトマトを注いで、さらに炒めていくと、芳醇な香りが漂う。

 流れるような手つきに、私は思わずうっとりしてしまった。


(いけない……! お兄ちゃんに呆れられちゃう……!)


 そう思って、また問題に目を通す。


「ええっと……」


 お兄ちゃんが昔話してくれたっけ?

 料理は科学だ――って。

 だから、お兄ちゃんも料理が上手なんだよって……。


(勉強しなきゃなのに、うっかり告白まがいのことをしたせいで、全然集中出来ない……!)


 戸惑っている間に、お兄ちゃんが手際よくスパイスを混ぜた。

 混ぜ合わさって爽やかに抜けるような香りが、ツンと鼻を刺激してきて――結局、私は彼の方へと視線を奪われてしまう。


「ほら、出来たぞ」


 出てきたのは美味しそうなスパイスカレー。

 白くて艶々したお皿の上に盛られた、炊き立ての白いふっくらご飯に、出来立てでホカホカのスパイスカレーが盛り付けられている。


「甘口なお前のために、辛いカイエンペッパーは入れないでおいたぞ。ヨーグルト入れてコクはあるけど爽やかな風味にしあげてあるから」


 ふんわりと微笑みかけられると、またもや私の胸はドキドキしはじめた。

 私思いなメニューを作ってくれたカイエンお兄ちゃん。


 ――名前通り、カイエンペッパーみたいに普段は辛口なくせに、こういう時に甘い顔をしてくるのは反則だ。


「ありがとう……」



 ふと――。

 すぐには銀のスプーンを手に取らずに、私はだんまりになってしまった。

 カイエンお兄ちゃんが首を傾げて尋ねてくる。


「どうした? 本当に元気ないな」


「うん」


 さっきの一件が尾を引いてしまっていて、なんだかソワソワ気になって食事どころの心境ではなくなってしまったのだ。


 すると――。


「じゃあ、仕方ないな。ほら、俺が手ずから食べさせてやるよ」


「ええっ……!?」


 そういうと、彼がスプーンにカレーを一口とって、私の口に運んでくるではないか――。


「そんな、子どもじゃない……! 自分で食べられるから!」


「そんな恥ずかしがるなって、口開けろ。ほら、あ~~ん」


 こっちは顔が真っ赤になっているのに、カイエンお兄ちゃんは全然気にしてないみたい。

 というよりも、ちょっとだけ意地の悪い笑顔を浮かべている。

 なんだか子どもの頃みたいで恥ずかしいけど……。

 せっかくだし……。


(もうこうなったらヤケよ……!)


「えい」


 差し出されたスプーンの先をパクリと口に含んだ。

 ほくほくと美味しい白ご飯と、スパイシーなカレーの味が口いっぱいに広がっていく。

 はふはふと食べた後、ごくりと食塊を飲み込んだ。


「おいしい……! ほっぺが蕩けそう」


「そうか、なら良かった」


 カイエンお兄ちゃんが本当に嬉しそうに微笑んでくる。

 彼からスプーンを受け取った私は一口ずつ口に運ぶ。


 パクリ、パクリ。


 スパイスの深みのある爽やかな香りが、私の食欲を促進してくる。


 パクリ、パクリ。


 美味しすぎて手が止まらなくなって、結局一皿全部を平らげてしまった。


「すっごく美味しかった! ごちそうさま」


「どういたしまして。さて、片づけは俺がやっておくから」


「ありがとう」


 そうして、私が食べた後の皿とスプーンを彼がさっと手にとって立ち上がった。

 背を向けた彼のことを見つめると、またしても胸がきゅんとしてしまう。

 だけど――。


(大学生になったら、さすがにもう脈なしのお兄ちゃんからは卒業しなきゃなのかな……)


 こんなにカッコイイお兄ちゃん。

 聴くのが怖くて、恋人がいるの?って、それさえも聞けないけれど――。

 

(こんなにカッコイイんだもん。ずっと好きでいつづけて、突然、綺麗な女の人と結婚するって言われたりして傷ついたりはしたくないな……)


 ぼんやり彼の背を眺めていたら――。


「それと――」


「それと――?」


 カイエンお兄ちゃんがこちらを振り返ってきた。

 しかも、蕩けるような笑みを浮かべてくるではないか――。



「さっきの話だけど、ちゃんと大学合格して、お前が俺よりうまいカレー作れるようになったら考えてやるよ。だから、『落ちたら』っていう条件はなしな」



 ――さっきの話?


「え? お兄ちゃん、今なんて言ったの……!? さっきの話って……?」


 まさか――。


 まさか、まさか――!


「俺は二回は同じことは言わない主義だって知ってるだろう? ほら、勉強しろ」


 聞き間違えなんかじゃないよね……?


 つまり、大学受験に失敗するんじゃなくて、ちゃんと合格して、上手にスパイスカレーを作れるようになったら――。

 

 そうしたら、もしかしたら――。



「うん、分かった!」



 期待と希望で胸が膨らんだ私は――。


 その日から受験勉強が猛烈に捗った。



 そうして、無事に大学生になった私は、張り切ってスパイスカレーの練習に励むことになった。


 もちろん――いつもカイエンお兄ちゃんが見守ってくれているところで――。

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