第三章 事象の地平から愛を込めて 5

 サスは後詰めの調査員たちと入れ替わりで任を解かれ、養殖場の調査拠点を後にした。

 移動手段として宛がわれた装甲魔動車を運転し、北上しながら、サスは今更のように「ガルが立ち上がった」というニュースを噛み締めていた。

 今回の任務で、サスはひとり残ったルンターズとして、自分がどう振る舞うべきか、考える足がかりを掴み始めていた。

 それと同じタイミングで、ガルも自分の足で立てるようになったという。サスは自分のことのように嬉しく感じていた。サスとガルは同じ足取りで進んでいる。並んで歩めている。追いかけるばかりだったサスにとって、その感覚はとても新鮮で心地よく思えた。

 ただ、その先はどうなるのだろう。ガルはサスの隣にいたいと熱望している。そのために重い身体を克服し、強くなって、戦いたいと言っていた。だが、歩けるくらいで通用するなら、サスだって兄や姉に対してコンプレックスなど抱いてこなかった。サスの道行きに対して、ガルの道行きは果てしなく長く、険しい。

 ──それでも。

 サスの心の中には既に、ひとつの答えが宿っていた。

 それから二日かけて、サスはローズミルの街に帰投した。あれから特に変わりのない街並みに安心感を覚える。サスは調査団の拠点の方へハンドルを切った。

 車を係の整備班に引き渡すと、その足で研究室を目指す。ローズミルへ戻る旨を連絡した時、対応したエトラは「併せて重要な話がある。最優先で戻ってこい」と告げてきた。結局、報せを受けてから帰還まで五日ほどかかってしまったので、少しでも早く顔を出したいという焦りがあった。

 重要な話とはなんだろうか。ガルが歩くようになったことと関係があるのか。想像を巡らせるうち、サスは研究室に辿り着き、その扉を開いた。

「久しぶり。戻ったよ」

 その声を聞いて、研究員たちがばっと何人かが振り向いたが「あ、サスか」という顔をするだけして背を向け、なにか資料の束や機材を一心不乱にいじり始める。ものすごい淡泊な反応だった。

「お、来たか」

 エトラも軽く声をかけてくる。ありがたいとは思うものの、なんだか重みが足りない気がしてしまう。もしかして、一ヶ月間不在にしてた夢を見ていただけか──とサスが訝りかけた時、パタパタと慌ただしい足音が近づいてくる。

「あ、サスさん! うわああ、お久しぶりです! ご無事でなによりです!」

 レオナが結った髪をぴょこぴょこ揺らしながら、目を輝かせていた。その様にサスは心底ほっとする。

「ああ、久しぶり。レオナも相変わらずで安心したよ。──それで、ガルは?」

「あ、ガルさんは別棟にいます。はやく顔を見せにいきましょう」

「別棟?」

「いろいろあって新しく都合してもらった場所だ。歩きながら話そう」

 そうエトラに促され、サスはレオナと共に研究室を出た。

「ガルがレオナと魔法を練習していたのは知っているな」

「うん、手紙で読んだ」

 そういえば、毎日手紙を書くという約束はふいにしてしまったが大丈夫だろうか、と今更のように心配になってくる。どうも、ガルとの再会に少し緊張しているようだった。

 エトラが続ける。

「結果として、ガルは形状記憶魔法をものにした。一週間ほど前のことだ」

「ああ、練習してたのって形状記憶魔法だったんだ」

「あれ、書きませんでしたっけ……魔法はイメージ=パワーですから、元の状態を知ってる人の方がより効果を引き出せるんですよ」

 レオナが言った。なるほど、それならガル自身が習得するのは理に適っている。自分が動きやすい身体をイメージするだけでも、魔法のかかりは全然違うだろう。

 そこで三人は建物の外へと出ると、ローズミルの郊外に向けて歩いて行く。

「その報告をレオナから受けた次の日、研究員を集めて、ガルが自分に施術するところを観察していたんだがな──」

 エトラは不穏に語尾を切る。

「えっと、うまくいかなかったとか?」

「まあ、表面的に見ればそうかも知れない」

「うん……?」

 首を傾げるサスに、エトラは大げさに肩をすくめてみせた。

「形状記憶が破けて、時空の歪みが発生したんだよ。強力な引力が発生して研究室はてんてこまい。それで今も散らばった資料の復元とか、機材の調整とかで大忙しってわけだ」

「ええっ……大失敗どころの騒ぎじゃないのでは」

 それで研究室の雰囲気が変だったのか、と納得はしたが、つまるところガルが初めて発見した時の状態に戻ったということだ。よく収拾をつけられたな、と思う。

「だから、表面的に見ればそう、と言っただろう」

 しかし、エトラは改めて繰り返す。

「直後、水の栓を閉めたように引力は収まった。どうも今度は、ガルが自分で作った形状記憶の破れ目を自分で繕ったらしい。その結果、ガルの質量は一挙に抑制され、強烈な重力場が消失したばかりか、自分の足で立つことができた。荒れ果てた研究室の中、堂々と立ち上がる彼女の姿はなかなか神秘的だったよ」

「ど、どういうことですか……」

 話の緩急が激しすぎてついていけない。目を細めるサスにレオナが補足する。

「要するに、ガルちゃんは形状記憶魔法を習得したおかげで、自分の形状レベルをいじれるようになったんです。形状記憶を薄めれば質量が増大して、強めれば質量は減退する」

「難しいな……つまり、自分の重さを操れるようになったってこと?」

「めっちゃわかってるじゃないですか。そのおかげで、立って歩けるくらいの質量に自分で調整できるようになったんです」

 なら最初からそう言ってくれ、と思わないでもないが、学者の感覚だとこのくらいのややこしさが普通のことなかも知れない。そんなレオナから魔法を教わったというのだから、ガルはさぞかし苦労しただろう、と忍ばれる。

「でも、質量をコントロールできおるようになったなら、むしろ大成功じゃないか。どうして別棟に隔離する必要があるんだ」

 サスが疑問をぶつけると、エトラが答えた。

「危険だから離したわけじゃない。最後の検証を行うための場所を用意したんだ」

「最後の検証?」

「形状記憶のないガルちゃんは一体、どういう状態にあるのか、という調査です」

 レオナが引き取って答え、視線を遠くに向ける。既に三人はローズミルの街の郊外へ至っていたが、ちょうど防衛用の外壁が途切れた奥側に、ひどくのっぺりとした直方体の白い建物があった。「ジュキナ養殖場」を思い出させる形状だった

「あれは……」

「突貫の建築魔法で作った実験室ですね。すんげー堅牢な形状記憶がかかってるから、中でなにをやろうが漏れ出てこないようになってます」

「ガルにはあの中に入って、自分の制御できると感じる限界まで形状記憶を破いてもらい、そこに現われる事象を外部から観測した」

「そ、そんなことして、ガルは平気なの」

 エトラは以前、ガルは「無限に重くなり続ける存在」と言っていた。未だにしっかり意味を呑み込めていないが、形状記憶を解いてそんなところへ近づいてしまったら最後、人が無事に戻ってこられるとは到底思えない。

 しかし、エトラは首をどうとも振らなかった。

「本人もリスクは了解した上で、最大限安全に気を遣って執り行った」

「安心してください。ガルちゃんは無事ですよ。ちゃんと実験室の中で待ってます」

 レオナが元気づけるように言ってくれる。ただ、サスの不安は拭えなかった。その観測の結果云々よりも先に、自分の目でガルの無事を確かめたかった。実験室へ向かう足が無意識のうちに速まっていく。

 実験室へと到着する。突貫というのは本当らしく、建物の角が斜面に埋まっていたり、逆側は浮いていて鉄骨で補強されていたりと、ダイナミックな作りになっていた。

 エトラとレオナの後を追って中へ入ると、見たこともない魔法駆動の装置が雑多に置かれた観測室があり、そこを通り抜け、更に奥にある大仰な扉を開くと、気が狂いそうなくらい真っ白な空間が現われた。

 その壁際、置かれた長椅子にガルは膝を抱えて座っていた。

「ガル」

「あ……サス」

 ガルはサスを見て、抱えた脚を下ろす。ひらりと紺色のワンピースの裾が揺れ、その仕草ひとつで見た目相応に軽くなっていることがわかった。

「戻ったんだね。お帰り」

 ただ、彼女は座ったままで彼を迎えた。変わりない姿に安心はしたが、駆け寄ってくるものと勝手に思っていたサスは拍子抜けてしまう。なんだろう、様子がおかしい。

「うん、歩けるようになったら迎えに来るって約束したから」

「そっか、嬉しい。でもね、わたし……まだ歩けないまんまだよ」

「えっ……」

 思わず、横に立つレオナの方を見る。嘘を吐かれた? まさか。

 動揺するサスに、レオナは首を横に振って冷静に告げる。

「ガルちゃんは立てます。ただ、ガルちゃんの重さが物理的なものだけじゃないって、サスさんは嫌ってほど知ってますよね」

「いや、だからこそガルは、自力で立てるように頑張ってきたんだよね。それなら……」

 サスについていきたい。その一心がガルの行動原理だったはずだ。立って、歩けるようになるのはそのための大前提であって、そこへどうやって、心の重さが足を引っ張るというのだろうか──。

「わたし、自分が何者なのか、ずっと知りたかった」

 その時、ぽつりとガルが漏らした。

「どうしてここにいて、どうしてこんな体質なのか、どうしてこんなに寂しくて、心細くて、サスのこと求めてしまうのか……それを知らないで、ただサスにすがりつくしかない無力な自分が嫌だったの」

「ガル……」

 その気持ちは痛いほどわかる。サス自身、ガルの立場を想像して、恐ろしさに身を竦ませることもあった。その無力感にこそ、サスは自ら立つことのできない自分の身の上を投影して、救ってやらずにはいられないような衝動に駆られたのだ。

 そして、今、彼女がその気持ちを吐露してきたということは──。

「……わかったんだ。君の正体が。この場所で」

 そして、その事実が、ガルの心の枷となっている。

「ああ、だから『最後の検証』と言っただろう」

 エトラがガルに視線を向けた。

「本人の希望で、判明した事実はまだガルには伝えていない。ただ……この様子だと、核心的な部分は自分でも察しがついているようだな」

「わたし自身のこと……サスと一緒に聞きたいの」

 くい、とガルがサスの手を引く。弱々しい力だったが、とても抗えない。

「わかった。僕にも聞かせてほしい」

 サスがそう告げると、エトラは満足そうにうなずいた。

「ああ、そのつもりでわざわあ緊急連絡をいれたんだ。聞いてもらわなきゃ困る……さあ、長い話になるから、サスはガルの隣に座れ。私たちも座れるものが欲しいな」

「あ、アタシ持ってきます」

 レオナが隣の部屋へと走り、椅子をいくつか運んできた。

 一体、これから何が語られるのだろうか。サスは深く呼吸を繰り返しながらガルの隣に腰を下ろし、学者ふたりが腰を落ち着かせる様子を見つめていた。

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