第28話 死神の大太刀 弐什捌

鋭く踏み込んだ餓狼がろう。それに対し、邪気に取り込まれた坊主も同様に距離を詰めた。間合いが潰される。これでは大太刀を振るったとしても、刃で斬りつけるに苦しい。


餓狼がろうが苦し紛れに柄を男の顔面に打ち付ける。仰け反る坊主。追撃はできない。苦痛で顔が歪む。腹部に坊主の拳が入っていた。


餓狼がろうが後退しながら大太刀を振るう。だが、その斬撃は空振りに終わった。空気を斬り裂く鋭い音が虚しく聞こえた。


既に坊主は大太刀の間合いの外にいた。


思わず舌打ちして腹を擦った。


「くそ・・・結構重い一撃だな。間合いを詰める足も、後退する足も早い。消えたかと思ったぞ。長い間鍛錬を積んだ者の技だ。それは分かる。邪気に取り込まれては武術家として死んだも同然。邪気に取り込まれたのは精神修行を怠った結果だ。肉体と技の鍛錬と同時に精神も鍛えねば、力に溺れるは必至だ。いや、この考え自体が間違っているのか。そもそも貴様は邪気に飲まれたのではない、人の域を越えた力を欲して己の体を差し出したのか。ならば貴様の望みは叶ったのだな。馬鹿な男だ。」


餓狼が忌々しげに言い放った。


彼は求道者の類。守るべき者を持たず、外界との関係を絶ち、仙人や世捨人と揶揄された者だったのだろう。人の身で高みを目指す尊さを忘れた男。力を求めるのなら、残された望みがそれだけだったのなら、力に溺れるのは仕方ないのかもしれない。今なおさらなる力を欲しているのかもしれない。それとも、欲しているのは自分を終わらせてくれる者なのか。


どちらにせよ、彼を楽にしてやるには斬り伏せる以外にない。


「面倒な状態になりやがって・・・すぐに楽にしてやる。」


餓狼がろうが独りごちる。


本当は坊主に声をかけている。だが、彼からの返答無いし、期待もしていなかった。今はただ目の前にある者の命を刈り取らんとする存在。肉体を有する死霊なのだから。


「さて・・・もう一度、腕比べと行こうじゃないか。」


餓狼がろうが大きく息を吸い込んだ。そして、足の指一つ分間合いを詰めた。すると、先と同様の反応。坊主が一気に飛び込んで来る。相手にに攻撃すらさせない。先の先を征する戦い方。それが坊主が行き着いた戦い方なのだ。


坊主が餓狼がろうの懐に入る。何も見ていないと思える虚ろな目が餓狼を見上げた。だが、餓狼がろうもまた坊主の動きを予測していた。


攻撃の予備動作が速い。だが、やすやすと攻撃をさせる訳にはいかない。間合いの外へ、そして同時に反撃を。


後退しつつ漆黒の大太刀の斬撃。


目で追えない斬撃が風切り音をたてる。坊主は潜り込むように斬撃を回避していた。即座に坊主の反撃があった。それに対して斬り上げの一撃を合わせる。坊主の攻撃が止まる。斬撃が鼻先を掠めた。餓狼がろうが足を入れ替える。返す刀でもう一撃。大太刀の間合いの中。完璧に捉えたはずだった。だが、その斬撃も空を斬る。餓狼がろうにできた隙を坊主は見逃さない。


鋭い踏み込みで間合いを詰める。そして、拳打。


餓狼がろうの隙は誘いだった。坊主の拳打に合わせて後ろへ飛ぶ。同時に横凪の下がり斬り。坊主は攻撃の途中。これは、必殺の一撃だ。


取った・・・。


達人と言えど、この攻撃は避けられない。確信に近い予感があった。


斬撃が通り過ぎても手応えが無い。坊主は跳躍して避けていた。着地した坊主が間合いを詰める。餓狼がろうは懐に飛び込まれることを嫌って後ろへ跳躍。しかし、間合いを詰める速度の方が速い。坊主が繰り出した蹴りを左腕で受ける。籠手と骨が軋む。それでも後ろに飛んでいたのが幸いした。だが、完全に威力を殺すには至らなかった。餓狼がろうは寺院の壁を突き破り外へ放り出されてしまった。


背中から地面に打ち付けられた。肺から強制的に息が吐き出される。それでも、受け身を取って後ろ回りに一回転。両足で立ち上がった。


受けた左腕が痺れている。数回握り込んで状態を確認する。多少握力は落ちているが戦闘には問題無い。


餓狼がろうの顔には余裕そうな笑みが浮かんだ。


「なかなかの蹴りだ。篭手がなければ骨が砕かれていたかもな。くくく、それに体捌きも軽い。こいつには魔獣とは違った面白さがあるじゃないか。」


開いた大きな穴から男が姿を見せる。立っている餓狼がろうを見てゆっくり歩み寄った。


本来、邪気は陽の光を避ける。坊主が陽の光の下で動けるのは肉体が隠れ蓑になっているからだ。今の彼は陽の光で浄化されることはない。


明るみに出た事で坊主の顔がよく見えた。


「邪気に取り込まれたにしては随分静かな顔をしてるじゃないか。それだけで只者じゃない。いや、既に何も感じていないのか。」


餓狼がろうが大太刀を担ぐように構えた。


「それでも、勝つのは俺だ。結果は変わらない。貴様では俺を殺れない。」


そう宣言する。坊主を迎え撃つように待つ。


坊主の動きは先と同様。間合いに入る事なく一寸先で止まった。出鼻をくじく戦法。それを考えると坊主に流れがある。


「だが、それすらも噛み砕く。」


餓狼がろうが先に動いた。鋭い踏み込み。坊主は反応が遅れて間合いを詰めてこなかった。


踏み込んだ勢いそのままに放たれる斬撃。軌道は袈裟。坊主が足を引いた。斬撃は男の鼻先を掠める。坊主が踏み込む。攻撃の予備動作に入っている。餓狼がろうは距離を取って間合いを外した。


追撃は無かった。餓狼がろうが構え直す。対する坊主に構えは無い。両手をダラリと下げ、静かな顔が、狂気に満ちた目が餓狼がろうに向けられている。


遠くから戦いの音が聞こえてきた。稲継いなつぐ達が動いたのだ。予定通りに事は進んでいる。


「後は、俺が此奴を斬れば万事解決か。」


餓狼がろうがニヤリと笑う。


だけど言葉とは裏腹に思う、もう少しこの戦いに興じていたい。しかし、時間が経ちすぎると今回の作戦の場合は不都合が多い。


故に、餓狼がろうが告げる。


「では、次で決めてしまおうじゃないか。」


坊主は相変わらずの無表情だった。それでも餓狼がろうの言葉は確実に届いていた。


坊主の闘気が、邪気が膨れ上がる。それは周囲を飲み込み、生物の生気を弱体化させた。植物や小動物の命を奪っていく。


「おうおうおう、凄まじいなこいつは。ここら一帯がこんな有様だったのは貴様が原因か。」


それでも餓狼がろうが臆する事は無い。もっと凄い圧を知っているのだから。


餓狼がろうが四度目の先手を取る。鋭い飛び込み。今回も坊主は反応しきれていない。それと同時に袈裟を狙った斬撃。坊主が足を引く。大太刀が鼻先をかすめた。


坊主が間合いの中に踏み込んで来る。これを読んでいた餓狼がろう。大太刀の軌道が跳ね上がる。坊主には自分の動きを止める術がなかった。両手を交差して大太刀を受けた。斬撃が男の体を通過。漆黒の大太刀が天を突くように静止する。


「良くもここまで鍛錬を積んだものだ。だが、今回は相手が悪かったな。俺でなければあるいは・・・。」


大太刀を一振り、音をたてる事なく納刀した。


「確かに貴様は強かった。褒めてやる。」


餓狼がろうが坊主を見もせずに告げる。その言葉を待っていたように、坊主の体は大太刀の軌道にそってズレた。

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2025年12月11日 12:00

漆黒の刃 田子錬二 @tamukai

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