毛布と約束と二人

良前 収

お茶会があった日の夜

「天上天下唯我独尊! 天上天下唯我独尊!」

「それは何の詠唱かな?」

 毛布にすっぽりくるまっているモノを、マティアスは優しく抱きしめた。毛布の塊はびくりと跳ねたが、まだ顔を出そうとしない。

「魔法の詠唱じゃないよ……おまじない、みたいなもの」

 くぐもった声が返ってくる。

「どんな効果が?」

「私が世界で一番偉いんだ、って思い込む、ためのおまじない」

 思わず声を出して笑った。

「ははっ、ユウカはもともと、世界で唯一じゃないか。偉さで言うなら、一番偉い人たちのうちの一人だね、確実に。例えばこの国で国王陛下に匹敵するのは、ユウカ一人だよ」

 毛布包みから反応は返ってこない。

「僕よりはるかに偉い御方なのだから。ね、聖女ユウカ様?」

「……マテューより偉くなくて、いい」

 身をすり寄せてくるような動きに、マティアスの表情は笑みを深めた。さらにしっかり毛布の塊を抱え込む。

「じゃあ、誰のことを気にしているの? ……お茶会で、何かあった?」

 鎌をかければ腕の中の塊がまた跳ねた。さらにマティアスは誘導する。

「令嬢たちに何か言われた?」

「……それ、は。私……が……」

 言いさして躊躇う毛布の中の様子に、そのまま待った。

「私が……マテュー、に……」

「僕に?」

 水を向けたら、急に大きな声が返ってきた。

「私が、マテューの隣に立つのに、相応しくないって!」

 マティアスは驚いた。本気で驚いたために、反応するのが遅れた。それで毛布はしおしおと身を縮めた。

「私、この国の作法とか社交に必要なこととか何もできない、から、だから、王子様のマティアス殿下には相応しくないんだ……!」

「……なんだって?」

 マティアスはやっと声を出した。びくりと腕の中のモノが強く跳ねたのに、自分の声音が鋭すぎるものだったことに気付く。

 一度腹の底まで息を吸って吐いてから、できるだけ優しい口調を心がけて再び口を開いた。

「ごめん、びっくりさせたね?」

 小さな子供に言い聞かせるときのように、優しく優しく。

「ユウカに怒ったのではないよ。令嬢たちがあまりに馬鹿なことを言ったのに、驚いてしまって」

 小さくなってしまった毛布の塊に、マティアスは頬ずりする。

「僕がユウカに選ばれた立場なのに。僕がユウカに相応しくあれるよう、努め続けなければならないのに」

「……マテュー。私のこと、嫌じゃ、ない?」

「嫌なものか! ユウカに初めて会った時から、僕は君に夢中なのに」

 どこの令嬢がそんなことを言ったのか見当はつくと、マティアスは内心で苦々しく思う。そしてその令嬢や取り巻きたちは彼の長年の努力に気付いていなかっただろうことも。知られないようにしていたのはマティアス自身であるから。

「むしろ出会う前から夢中だったと言っても過言じゃないね。今度の聖女はどんな人だろうってずっと考えてた。それで実際に会って、大喜びしたんだ」

「……ほんと?」

「本当だよ。可愛くて、小柄で、一生懸命な、年下の女の子。まさに僕の好みそのものだったから」

 これは事実だった。今代の聖女がどんな女性でも愛してみせるつもりだったが、実際に目にしたとたんに強く心惹かれた。接するうちに自然と恋に落ちていた。それはとても幸せなことだと彼は思う。

「ね、ユウカ。僕に何か、お願い事はある?」

 腕の中の毛布包みは少し考える素振りをする。マティアスとしては馬鹿な令嬢たちの社交界追放を望まれるのを期待したが、返ってきた答は。

「……晩餐会には興味ないの」

「……うん」

「でも舞踏会は、キレイなドレスを着てみたいの」

「っ! ユウカのために仕立ててあげる」

「あのね、マテューとついって分かるような、衣裳がいいの」

「もちろん、そういうのを僕も着るよ」

「それで、マテューと、踊ってみたいの……」

「教師を手配しようか?」

「うん。お願い」

 なんて可愛らしい願い事か。マティアスは有頂天な気持ちになった。

「練習の時は僕が相手役を務めるからね。必ずだよ」

「……でも、王子様なマテューは、忙しいでしょ?」

「今の僕の最優先の公務は、ユウカのそばにいることだよ。お世話と護衛、国王陛下の勅命でもある」

 そもそも「予備にもなれない第三王子、国王の第五子」に、以前は公務なんてなかった。ただ王家の益になる婚姻を命じられ、幼い頃に婚約させられた。「降嫁」先の公爵家はひどく不満げで、婚約者の令嬢も彼のことを邪険に扱った。

 だからマティアスは必死に努力したのだ。聖女の代替わりが近い、それを自分に天が与えた唯一の幸いと考えて。

 新たな聖女はこの世界のどこかに現れる、しかしどこかは事前に分からず、偶然聖女が現れた国や領地が大変に幸運なのだ――そう言われていたのを、彼は疑った。過去の事例、歴史、伝説伝承を世界中から集めて調べ上げ、長い苦心の末に一つの法則を見出した。そして自国を飛び出して自分の仮説の場所で待ち構え――マティアスは勝利した。

 ユウカを、新たな聖女を連れ帰った時、国での彼の扱いは全く変わった。周囲の者たちはまさに手のひらを返した。けれど彼にとって、周囲の者たちのことはとっくにどうでもよくなっていた。

 腕の中で毛布包みがもじもじする気配がする。

「じゃあ……お願いするね、マテュー。うれしい……」

「うん、僕もうれしいよ」

 またマティアスは毛布に頬ずりする。

「ねえ、ユウカ。僕もお願いがあるんだ」

「なぁに?」

「君の顔を見せて? 毛布包みも可愛いけれど、君自身のほうがずっと可愛いから」

 腕の中でまた跳ねた毛布の中身に逃げられないよう、マティアスはしっかりと優しく拘束する。

「ね、ユウカ」

「うん……」

 もぞもぞと毛布がさらに動いて、やがて愛らしい顔が覗いた。

 少女とも呼べる若い娘が、頬を赤く染めて、潤んだ瞳で上目づかいに、彼を見てくる。

 自分の中に噴き上がった衝動に、マティアスは熱い息を吐いた。

「ああ、やっぱり可愛い」

 直接頬に頬をすり寄せ、耳に吹き込む。

「大好きだよ、ユウカ」

「私も。大好き、マテュー」

 ここは王宮の離れ。元はマティアスが育った側妃の宮。今は聖女宮。マティアス以外の男性は国王でさえ踏み込めない、小さな宮。

 その寝室、ねや。寝台、しとねの上。

「愛してる」

 互いしかいなくていい二人は、その夜も二人きりだった。

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毛布と約束と二人 良前 収 @rasaki

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