第4話 長谷川葵(はせがわ あおい)

高校2年の始業式。短い短い春休みが終わり、長い一年が始まる憂鬱な日。始業式といえばクラス替えに胸を躍らせながら登校する人も多いだろうに、うちのクラスは学校で1クラスしかない理数科なのでクラス替えすらない。ただの日常の始まり。


唯一の救いは、午後からの入学式に備えて在校生は午前中の式とホームルームだけで終わることだ。だが、部活はあるので帰りは普通に遅くなる。だるい。


だけど、そんな部活にも楽しみはある。気になる先輩がいるのだ。 先輩は袴姿にポニーテールで非常に凛々しい。それでいて、誰にでも気さくで周りがよく見えている人だ。もちろん例外なく、僕のこともいつも気にかけて声をかけてくれる。僕は、僕のことを大事に扱っている人が好きなんだと思う。我ながらちょろいとは思うが、そんなことは誰にだってあるんじゃないのかな?


始業式終わりの昼下がり、いつものように袴に着替えて弓道場に向かう途中で、桜舞い散る中に視線が吸われてしまうほどの、美しい黒髪をなびかせた幼い顔の新入生が目に映る。 その瞬間、散っている桜も人の声も、世界そのものさえもが時間を止め、ゆっくりと、そして長い時間をかけて動いているように感じた。


そして、相手と目が合い、我に帰り焦る。見過ぎたのではないかと。 その焦りに背中を押され、本来向かうべきだった部活へと足をすすめた。いつものように始まる部活。いつもと変わらない掛け声。 だけど、いつも通りに引いた弓は、ずっと重く感じた。


練習終わり、気になっている先輩に声をかけられる。 「どうしたの、今日調子悪いね~。なんかあったの?」 ふと、今日の的中記録が記されている道場の黒板に目をやると、自分のところが×ばかりなのに気づいた。 「ほんとだ。なんででしょうね?不思議です。」

そんな風にそっけなく返答してしまった。


「調子の上げ方教えてあげよっか」

そんな風に不敵な笑みを浮かべる先輩のことをかわいいと思ってしまう僕は、まだまだ弓道では上にいけないと思う。 「え、知りたいです!」 今度は少し大きめに反応してみた。我ながら上手に反応できたと思う。


「ほほう、なんかわざとらしいけど、知りたいというなら教えてあげよう。それはね、朝練だよ。」 「朝練?」 「そうさ、いっぱい練習すれば調子は上がるんだよ。でもね、部活の時間は限られてる。だから、朝早起きして学校が始まる前にやれば、調子はうなぎのぼりに上がっていくって戦法さ。」 「でも、勝手に朝練習していいんですか?」 「ちっちっち、甘いね後輩くん。もう許可はとってあるんだよ。でも、条件があって2人以上一緒にやる必要があるんだ。一人だと矢取りも大変だし、何かあったときに対応できないからね。」 「それって、ぼくでいいんですか?」 「もちろんそうだよ。ねぇ、一緒にやろうよ。」


先輩からの誘いに、胸がサンバダンスを踊りだしそうだった。正直、先輩と2人の朝練は練習にならないかもしれないと思いながらも、引き受ける以外の選択肢は僕にはなかった。 「喜んでやります。」


もうこの時には、部活中に感じたあの不思議な「重さ」のことは、頭から消えていた。

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相対速度 0m/s 三戸翔馬 @mito_syouma

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