五章
第32話 波乱の前夜
眼鏡の侍女は就寝の準備を整え終えると、ちらりとネイトを冷たく一瞥してからランタンの明かりを消して、さっさと部屋を出て行った。
窓の下の広がる夜の庭を眺めていたネイトはそんな彼女に反応を示すことなく、ミラーナとエルザの顔を思い浮かべた。
(あの後、どうなったのだろうか)
ゴードンの指示により自室に閉じ込められてしまった後の両親とエルザの動きは、ネイトの耳に入っていない。
夕食の時も含めて、エルザとジョセフの姿を見かけなかった。
あげく、他の侍女から話を聞こうとすると、眼鏡の侍女によってことごとく邪魔されてしまったのだ。
(父さんが言っていたように、明日、母さんとエルザは屋敷を出て行くかもしれない)
ゆくゆくはそうなるとわかっていたというのに、本格的に物事が動き出したことにネイトは動揺していた。
(まだ就寝時間には早いし、そもそも眠れそうもない)
窓際からテーブルへゆっくり移動すると、そこに置かれてあるランタンに明かりを灯すべく手を伸ばした。
ランタンの小さな扉を開けて、ほんのりとした温かさが感じられる魔石へと指先を近づけた。
それに火の魔力を込めて、再び明るくさせようと試みていたところで、控えめに扉が叩かれた。
ドアが開き、室内の様子をうかがうようにしてエルザが顔をのぞかせた。
「エルザ!」
ネイトは思わず声をあげたが、エルザが廊下の気配に神経を尖らせていること、そして、その手にミラーナが買ってくれた新たな木剣があるのに気づいて、慌てて口を閉じた。
「失礼いたします」
エルザが静かに室内へ入ってきた。ネイトが明かりをつけようとしている様子を見て、すかさず問いかけてくる。
「明かりをつけましょうか?」
「いいや。俺がやるから大丈夫。それより、そっちの状況がどうなっているのか聞かせて欲しい」
エルザは頷き、悲しそうに顔を歪めた。
ネイトの魔力によって、ようやくランタンに明かりが灯ったところで、エルザがぽつりと言葉を発する。
「ネイト坊ちゃんに、お別れの御挨拶をしに来ました」
声を震わせながら告げられたひと言で、ネイトは察する。ほんの少し沈黙を挟んだ後、エルザが再び口を開いた。
「反発も虚しく、奥様は離縁の合意書に署名をさせられてしまいました。夜が明けたら屋敷を出ることになっております。ネイト坊ちゃんと別れの言葉を交わすことすら許してもらえず、とても悔しそうにしていらっしゃいました」
その時のミラーナの様子を思い出したのか、エルザはさらに表情を曇らせた。
「エルザはどうなるの?」
「突然の解雇を不憫に思ってくださったのか、奥様が一緒に実家へとおっしゃってくださいましたので、私は路頭に迷うことはございません。安心してください」
そこでエルザは慎重な手つきでネイトに木剣を差し出してきた。
「実はジョセフさんが奥様の肩を持ち、旦那様に反論しまして、今現在、謹慎を言い渡されて自由に動けない状況です。私もネイト坊ちゃんと会うのを禁止されましたが、まだ自由に動ける状態ですので、こうして木剣をお持ちいたしました」
「危険を冒してまで来てくれて、ありがとう」
ネイトは感謝の気持ちを噛みしめながら、エルザから木剣を受け取った。
「ジョセフさんとの接触が難しい今、誰かにこの木剣を託したとしても、ネイト坊ちゃんの手に渡らないかもしれないと奥様が危惧しておりました。私もその通りだと共感し、なにより坊ちゃんの顔を見たくて……」
声を詰まらせ言葉が途切れ、エルザの目からぽろぽろと涙が零れ落ちていく。
「……そんなところに、ネイト坊ちゃんを置いていかねばならないなんて、胸が張り裂けそうです。きっと奥様も同じ気持ちだと思います」
自分のために涙を流すその姿が胸に迫り、心が熱くなる。ネイトはエルザの震える肩に、戸惑いがちにそっと触れた。
「泣かないでエルザ」
気が利いた言葉を掛けたいのに、うまく笑うことができずにいると、エルザが手の甲で涙をぬぐった。
「一番不安なのはネイト坊ちゃんだというのに、大人の私が泣いてしまってはいけませんね。ごめんなさい」
気持ちを落ち着かせるべく、エルザは深呼吸を繰り返したあと、力強く言葉を紡いだ。
「奥様からの伝言です。いつでも私の元に来てもらって構わない。その時が来たら、カメリア教会を通して連絡を。必ずや、シスターがネイト坊ちゃんに力を貸してくださり、奥様と繋げてくださることでしょう」
ミラーナは屋敷を離れなければいけなくなった時のために、前もって根回ししていたのだと気づかされる。
それもまさしく、ネイトのための行動である。
思わず目頭が熱くなり、ネイトは言葉を失ったが、廊下からの足音に気づいて、僅かに顔色を変えた。
「エルザ、隠れて。誰か来る」
そのひと言を皮切りに、ネイトはランタンの明かりを消して、木剣と共にベッドの中に潜り込む。
エルザが戸棚の陰に身を潜めたところで、ネイトの部屋の扉の前で足音が止まった。
がちゃりと大きな音を立てて扉が開かれる。室内を確認するように覗き込んできたのは、眼鏡の侍女だった。
彼女の手にはランタンがあり、部屋の中を照らしてくる。
息を殺して五秒後、ゆっくりと扉は閉じられ、こつこつと靴音を鳴らしながら彼女は廊下を戻っていった。
たっぷり五秒ほど待って、靴音が完全に聞こえなくなったところで、ネイトはむくりと体を起こし、エルザは大きく息を吐き出した。
「生きた心地がしませんでした」
「そろそろ部屋を出た方が良さそうだね。今までありがとう。エルザのことは絶対に忘れない」
エルザはネイトの元へ歩み寄ると、両手で包み込むように小さな手を握りしめた。
「簡単でないことは十分に承知しておりますが、……エルザも奥様同様、ネイト坊ちゃんと再会できる日が来るのを願っております」
力強く届けられた言葉からは、エルザの覚悟も伝わってきて、ネイトの心が揺れる。
(一度目の再会の時、俺は母さんから憎しみと拒絶の言葉を投げつけられた。けど、この二度目のこの人生なら、前向きに突き進んでいくあの母さんなら、そんなことにはならないと思えてしまう)
ネイトはエルザに微笑みかけた。
「俺もそんな日が来ることを祈っている」
エルザの目から再び涙が流れ落ちたところで、どんどんどんと焦ったように窓が叩かれた。
ネイトが視線を移動させると、窓の向こうにドレイクがいた。
ドレイクのあまりにも必死な形相に、ネイトは何事かと戸惑いを覚えながらも、素早く移動して窓を開ける。
「どうした?」
勢いよく部屋の中に飛び込んできたドレイクが、悲痛に満ちた声で告げた。
「リリンナたちが攫われた!」
「……え?」
ネイトの服を掴む、ドレイクの手は大きく震えていた。
二度目の人生、呪いも無能も継続中なのに、なぜか毒母が聖母すぎる 真崎 奈南 @masaki-nana
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