グウゾウアーマチュア

@kws-72

グウゾウアーマチュア

 わずかな光に照らされ、少女達のシルエットが浮かび上がる。逸る期待に揺れていたサイリウムの波が、ついに流れ出した前奏に呼応してその激しさを増す。やがて、爆発的に溢れ出した照明と歓声に身体を慣らす間も与えぬと言わんばかりに、自信に満ちた瑞々しい歌声が響き始めた。

 それほど大きな会場では無いものの、そんな事を忘れさせるかの如く、そのボルテージはどんどんと高まってゆく。


 何度立ち会っても落ち着かない空間に圧倒されていると、不意にセンターの少女と瞳が交わった。少女は悪戯っぽい笑みを見せると、流れるような動きを一切もたつかせること無く、曲の隙をついて親指と人差し指でピストルを創って、こちらを真っ直ぐ正確にぶち抜いてきた。

 可愛らしさと艶やかさを両立した衣装に包まれた少女。その肢体はスラリとしていながらも、揺るぎない芯の強さを感じさせる。そんな彼女から放たれる一撃は、思春期真っ只中の男子にはくるものがある。

――その顔が家族のように見知ったものであっても。


 西條志乃。家が隣同士で、小さい頃から親交のあった彼女は、幼いながらにアイドルという存在に憧れを抱き、誰に頼ることもなく自分でこの世界に足を踏み入れた。

 何をやっても続かなかった俺とは正反対で、親にはしょっちゅう彼女を引き合いにぼやかれていたが、俺は素直に志乃のことを尊敬していた。


 そして今まさにこの瞬間も、志乃は多くの人間に夢と希望を与えている。

 対して俺は、先ほど食らったファンサという名の銃撃の傷痕を癒しながら、誰も興味が無いような昔話に浸っている。涙だか汗だか脂だかわからない液体で顔をぐしゃぐしゃにしたオタクたちに囲まれて。



 志乃に招待されて久しぶりに参加した今回の公演は、併せて握手会も行われるものだったらしく、ライブが終わるやいなや、スタッフ達の案内で忙しなく会場が移された。

 各々の推しの元へと移動してゆくファン達。ライブ中のことが思い出され少し躊躇ったが、俺は周りに呑まれるようになりながらも志乃の列に並んだ。

 センターを飾っている程のこともあり、確かに彼女との握手を求めるファンの数は多かったとはいえ、その待ち時間は実際以上に長く感じられた。

 やっと俺の一つ前の男が志乃に相対する。あれほど激しく歌って踊った後だというのに、志乃の顔に疲れの色は全く見られない。


「や、やぁ。志乃ちゃん。今日は志乃ちゃんにお願いがあるんだ」


 志乃はにこやかに応答する。


「ええ、なんだろう」


 男は志乃の手を握ったまま離そうとしない。仕事だとは分かっていても、知らない男が幼馴染にベタベタしている様子を間近で見せられるのはおもしろくなかった。俺は可能な限り何気無さを装って目を逸らす。


「ぼ、僕の目を見て、好きって言って欲しいんだ」


 が、続く言葉に思わずむせ込んだ。

 好き。

 つい驚いてしまったが、こういう場ではファンサービスとして珍しいことでは無いのかもしれない。

 しかし、自分を納得させる言い訳を並べていた俺の内心を余所に、志乃はキッパリとその要求を撥ね退けた。


「ごめんなさい。そういうのは、軽い気持ちで言わないと決めているんです」


 表情こそにこやかなままだが、その奥にはこれ以上の追求を決して受け付けないという意志の強さが窺える。

 近くのスタッフがわかりやすくため息をついた。その様子から察するに、こういった事は初めてではないようだ。

 対する男といえば、まさか自分の要求が断られるとは思っていなかったのだろう。完全にキョドってしまっていた。ところが、やがてバツが悪くなったのか、態度を一変させ下卑た口調で言い寄る。


「い、いくら積んだと思ってるんだ……」


 志乃の白く細い腕を掴む男の手は、とうに志乃の肘を通り越し、二の腕の辺りに達していた。志乃は表情を崩さない。

 角が立たないように宥めるスタッフに構わずヒートアップする男の様子に、思わず割って入る。


「あの、彼女困ってるので」


 男は一瞬狼狽えたが、とうとう完全に冷静さを欠いて声を荒げる。


「何なんだよお前は!」

「俺は」


 お前は何だ。

 そんな問いについ固まった。周囲が静まり返る。我に返って恐る恐る志乃を見ると、真剣な眼差しがこちらを覗いていた。その瞳はあまりに眩しく、ちっぽけな自分の存在に嫌気がさした。遣る瀬が無くなってその場で俯く。

 収拾のつかなくなった状況に、駆けつけたスタッフ達に促されるままその場を後にした。



 スタッフに事情を説明し、やっと解放された頃には外はすっかり暗くなっていた。

 正直、帰れるものなら帰ってしまいたかったが、もとより一緒に帰る約束をしていたことを思い出し、会場の裏口で志乃を待つ。


「お待たせ、悠」


 名前を呼ぶ声に顔を上げると、私服姿の志乃が息を切らして現れた。


「よ、よう。お疲れ様」


 俺はできるだけ気丈に応え、そのまま並んで歩き始める。先に沈黙を破ったのは志乃だった。


「もしかしなくても、さっきのこと気にしてる?」


 当然のように見透かされ、諦めたように重い口を開く。


「そりゃあ……。余計な事しちゃったし」


 志乃は大人しくこちらの様子を伺っていたが、やがて堪え兼ねたように大きな笑いを溢した。何やら恥ずかしくなって僅かに目を背ける。

 しかし、志乃は一拍おいて再び落ち着きを取り戻すと、愛おしそうに話し出した。


「悠、むかし言ってくれたよね。志乃見てると頑張ろうって気持ちになるって」


 胸がチクリと痛む。そんな事を言っておきながら、俺は何もできていない。


「それが嬉しくってさぁ。見てくれている人がちゃんといるんだーって。だから、さっきのも嬉しかった。ありがとう」


 気まで遣われてしまった。ここまでくると何だか悔しくなり、わざわざ蒸し返す。


「でも大丈夫なのか?ファンにあんな対応して」

「いいの。自分に嘘はつきたくない」


 それが、私。

 そう言う志乃の頑なな様子には引っ掛かるところがあった。それを察したのか、彼女は淡々と付け加える。


「私、好きな人がいるの」


 思いがけない告白に、何となしに飲んでいたお茶を噴き出した。

 好きな人がいるから、疑似恋愛的な欲望を満たすような要求には応えられないという事だろうか。志乃は真っ直ぐに正面を見据えたままで、本気で言っているのか、冗談なのか判らない。俺は文句の意も込めて言ってやった。


「お前、めちゃくちゃファンサしてたじゃないか!」


 その指摘に志乃はやっと威勢を崩し、こちらを向いて慌てた様子で釈明する。


「あ、あれはただの鉄砲だし!」


 ライブ中のファンサービスと、面と向かってのファン対応の間には、彼女なりの線引きがあるようだ。志乃とはいえ、難しいお年頃なのかもしれない。

 それにしても、あれはハートを射抜く愛のピストル、的なものではなく、そのまんまの銃だったらしい。ならば彼女はライブ中、ファンサにかこつけて客に銃をぶっ放していたというのか。なんとも恐ろしい女だ。

 そんなことを考えながら、少しだけ軽くなりながらも、改めて志乃には敵わないという気持ちを引っ提げて、前を歩く彼女の後をついていった。



 それから数週間が経った土曜日。

 志乃から一件のメッセージが届いた。内容を確認すると、どうやら彼女のマネージャーに改まって呼び出されたらしい。俺を含めて。

 いやな予感に胸をざわつかせながら志乃と合流し、彼女の所属する事務所に向かう。急な呼び出しに対する不満よりも、イレギュラーな状況への不安の方が遙かに勝っていた。それは志乃も同じようで、いつもより口数が少なかった。

 事務所に着いて案内された部屋に入ると、すでに彼女のマネージャーと思われる男の姿があった。


「突然すまないね」


 男はどちらにとも無くそう言うと、向かいに座るよう促した。

 こちらをまじまじと見て、淡々と言い放つ。


「単刀直入に言おう。悠君、今後志乃との接触を控えていただきたい。プライベートも含めて、だ」


 正直、当然の事だと思った。ここ最近の志乃との関わりの中で、俺は彼女が別の世界の人間なのだという事を思い知った。俺といることは彼女にとってプラスにならない。

 しかし、そんなことを考える俺の横で、志乃は明らかに固まっていた。

 マネージャーの男は、先日の握手会での騒動や、それによってファンの間で彼女についての好ましくない噂が飛び交っていることを志乃に諭すように指摘すると、さらに強い口調で付け加えた。


「これまでは目を瞑ってきたが、最近の様子は目に余るものがある。自分が置かれた立場を自覚しろ」


 それまで黙りこくっていた志乃だったが、小さく息を吐くと、男の方に向き直ってやっと口を開く。


「わかりました。ただ、最後にもう一度だけ、悠をライブに招待させてください。今度は舞台袖で」

「え」


 予期しない言葉に思わず彼女を見てしまった。

 なぜ。マネージャーの鋭い眼光が無言で尋ねる。


「最後にアイドル姿の私を見届けて欲しくて」


 彼は背もたれに深く寄りかかり大きく鼻を鳴らすと、諦めたように言い捨てた。


「いいだろう。明日のライブは悠君と来なさい」


 無愛想に会釈して席を立つ志乃。慌てて後を追おうとしたところを、マネージャーの男に呼び止められた。彼は志乃に気付かれないためか、俺に耳打ちをする。


「随分と気に入られているようだが」


 意味深に間を置き、続ける。


「邪魔はするなよ」


 その言葉はいやに重く響き、鼓膜にこびりついた。



 そして翌日。

 俺にとって最後となる生での志乃たちのライブは滞りなく進み、着実に幕切れへ向かっていた。

 ふと、前日マネージャーの男に言われたことを思い出す。誰が邪魔などするものか。言われなくても距離をとろうと思っていた。彼女のために。

 そんなことを考えているうちに、彼女達の代表曲が流れ始めた。


 落ちサビに入り、メンバーが徐々にステージ中央へ集まって、定位置につく。

 本来であれば、一人、また一人と顔を落とし、最後の盛り上がりに向けて雰囲気が高まるはずのところで、最後に残ったセンターの志乃は、前を見据えたまま微動だにしない。イレギュラーな光景に客席がざわめき始めた。

 やがて彼女は身体を翻すと、有無を言わせぬ足取りでじりじりと舞台袖のこちらに向かってくる。そのあまりの気迫に、瞬時に記憶が逆流する。


 あの時と同じだ。握手会で俺を覗いていた目。帰り道で好きな人がいると言い放った声音。昨日マネージャーに向けられた気概。

 

 我に返ると、志乃の顔がこれまでに無いほど間近にあった。驚いた拍子に出てしまった声が拾われないよう、反射的に彼女のインカムを手で覆う。が、その手をインカムごと退けられたと思った途端、乾いて引っ付いていた唇に柔らかな感触を感じた。

 突然の出来事に、まるで世界中の時が止まったかのような錯覚を覚える。

 完全にショートした思考回路をやっとのことで持ち直すと、鉛のように重い腕を動かして、俺に抱きついたままの志乃の細い腰に両手を据える。しかし、そのままそっと引き離そうとした時、そのあまりのか弱さにはっとした。

 俺は、小さい頃から大人に囲まれて生きてきた志乃のことを、ずっと遠い世界の人間なのだと決めつけていた。しかし、何かのために全てを投げ出すなんて、こんなに不器用な選択しかできない彼女のどこが大人なのだろうか。志乃はあんなにもありのままの自分を曝け出していたというのに、今更気が付いた。

 いや、違う。逃げていた。勝手に志乃のことを特別なんだと決めつけて、それでいて勝手にそんな彼女と自分とを比べて、勝手に自分は何者でもないと怖がっていた。そんな自分勝手な理由で、本当の彼女と向き合うことから逃げていたのだ。

 改めて俺の胸に顔を埋めたままの志乃を見る。もう逃げない。志乃からも、自分からも。

 小さな肩を震わせるただの一人の少女を、しっかりと抱きしめた。



 後日、言うまでもなく志乃は即解雇処分となった。

 社会にわがままは通用しないという事だろう。それには俺も彼女も文句は無かった。潔く子供の世界に戻るだけのことだ。子供らしく。

 迷惑をかけることとなった他のメンバーに関しては、志乃は彼女達と上手く信頼関係を築けていたようで、件のライブの事にも積極的に協力してくれたらしい。むしろ、志乃の分までファンたちへの埋め合わせを頑張らなくてはと意気込んでいたようだ。

 学校からの帰り道、何となしに隣を歩く志乃を見る。それに気付いてこちらを見返す彼女があまりに平和ボケした顔をしていたので、怒られるのを承知の上でさりげなく尋ねる。


「なあ、本当に俺で良かったのか?」


 案の定、志乃はその場で足を止め、分かりやすく頬を膨らませて応える。


「まだ言うの?」


 しかし、すぐに満足げな顔を見せると、前に向き直って軽い足取りで再び歩き出した。彼女はこんなにも表情豊かだったろうか。その様子に思わず顔がほころぶ。

 彼女は特別なんかじゃない。

 でも。こんな風に人を笑顔にする立ち居振る舞いは、確かにアイドルのそれだった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

グウゾウアーマチュア @kws-72

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ