憧れを追いかけて

ユキ

憧れを追いかけて

「ねぇママ、私このおねーさんみたいになりたい!」



幼い少女は目の前のテレビに釘付けになっている。


テレビには若いアイドルのライブの様子が映し出されている。


少女は目の前に映るアイドルに魅了されていた。


そのキラキラしたアイドルの一挙一動に目を輝かせた。



音無明日奈、5歳。


明日奈の人生を決定付けるアイドルとの出会いだった。




「きゃあ…!!」


11月17日(土)19時47分、都内のとあるスタジオに悲鳴が響く。


ダンスの自主練習をしていた明日奈は、ステップの際に足がもつれてしまい、派手に転倒してしまった。



「いったぁ〜…」



ステップの音が消えたレッスンルームに音楽だけが流れ続ける。


顔をしかめ、打ちつけた脇腹を擦る。


幸い怪我はなさそうで痛みもすぐ引いた明日奈はゆっくりと立ち上がる。


体に異常がないことを確認した明日奈は、音楽を最初から流し再びステップを踏み出した。




音無明日奈19歳。


幼い頃、テレビで見たアイドルに憧れを抱きアイドルを志した明日奈であったが、残念なことに明日奈には致命的なくらいアイドルの才能がなかった。


幼少期から10年以上、何百回もオーディションを受け続けてきたが、いまだに合格することができないまま明後日には20歳の誕生日を迎えようとしていた。


明日奈は自分の才能の無さを補うため、高校を中退して静岡から上京し、自主練習の時間を増やしてひたすらアイドルになるために努力を重ねてきたが、明日奈と同時にオーディションを受けた者は次々と合格していき、すでにアイドルに見切りを付け新たな人生を歩きはじめている者も珍しくはなかった。




「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…」


膝に手をつき肩で息をする明日奈の全身から汗が滴り落ちる。


1週間後のアイドルオーディションの課題曲を習得するため、明日奈は朝から一日中自主練習に励んでいたが中々ステップをものにできないでいた。


大きく息を吐き、再度練習に戻ろうとしたそのとき、レッスンルームの扉が開いて少女が入ってきた。



「明日奈ちゃん、やっほー!」


「あっ、凛華ちゃん…。」



彼女の名前は『澤凛華(さわ りんか)』。


明日奈と凛華は幼馴染で、小学生の頃に凛華が親の仕事の都合で引っ越して離れ離れになっていたが、とあるオーディション会場で再会を果たしていた。


その後、凛華は16歳でオーディションに受かってアイドルデビューを果たしている。



「明日奈ちゃんも今日ここで練習してたんだね!」


「うん、来週オーディションあるから。凛華ちゃん今日はもう上がり?」


「うん、今から帰るところ。てゆうか明日奈ちゃん汗すごいよ?…はい、タオル!」



凛華の鞄から予備のタオルを手渡される。



「ありがとう。今度洗って返すね。」


「いいよいいよ、たくさんあるし!明日奈ちゃんはまだやっていくんでしょ?」


「うん…。もう少しだけ。」


「もう少しねぇ〜…。」



ちらりと時計を見る凛華。時計は20時32分を指していた。


明日奈が練習の虫なのを知っている凛華は、今日も終電コースなんだろうなと心の中で呟いた。



凛華はちらりと明日奈の体に目を移す。


全身をびっしょりと汗で濡らす明日奈の肌にはいくつも痣が出来ており、これまで何度も転倒したのであろうことが見て取れる。


そんな明日奈を見て、凛華はポツリと呟いた。



「ねぇ、明日奈ちゃん…。」


「なぁに?」


「明日奈ちゃんはさ、いつまで続けるの…?」


「えっ…?」



突然の質問に言葉を詰まらせる明日奈を尻目に凛華は言葉を紡ぐ。



「明日奈ちゃん、高校を辞めてずっと自主練続けてるでしょ?なんでそんなに頑張れるの…?」


「言いにくいことだけど…明日奈ちゃんにはアイドルの才能がない。それは自分が一番よくわかってるでしょ…?」



凛華の質問にしばしの静寂が流れ、今度は明日奈が目を伏せながら言葉を紡ぐ。



「うん、そうだね…。凛華ちゃんの言うとおりだと思う。私にはアイドルの才能がないってことくらい、子供の頃から気づいていたんだ…。」


「もしかしたら私は、一生合格できないのかもしれない…。アイドルになるなんて、私には無謀なことなのかもしれない…。」


「でも私、どうしても諦められないんだ…。」



そして、凛華の目を見てきっぱりと言い切った。



「私は、絶対にアイドルになりたい!」



明日奈の力強い目に凛華は圧倒される。



「なんでそこまで…。」


「子供の頃に憧れた、あのアイドルみたいに私もなりたいの。」



明日奈の憧れのアイドルは伝説的な存在だ。


若干14歳の若さで新人アイドルの登竜門であるグランプリを圧倒的な存在感で制し、瞬く間にスターダムに駆け上がった。


そして…人気絶頂の中、不慮の事故で唐突にこの世を去った。


彼女はまさしく天才だった。


明日奈とは対極に位置する圧倒的な才能。明日奈がその高みまで到達できないことは誰の目から見ても明らかだった。



「私、才能がないから…。他の人の何倍も…いや、きっと何十倍も何百倍もやらないと。そうじゃないと、オーディションに合格することなんてできないんだと思う。」


「でもそれじゃ明日奈ちゃん壊れちゃうよ…?」


「それでも、私はアイドルになりたい。やらないで諦めるくらいなら、アイドルになって壊れたほうがまだ納得できるの。」


「それにさ、世の中には100回以上落ちてもアイドルになった人だっているんだよ。その人は今、とても大きな成功をしているんだ…。だから、私も絶対に諦めたくないんだ。」


「でも明日奈ちゃん、落ちてる回数100回どころじゃないでしょ?」


「うっ…、それはそうなんだけど…。」



明日奈の想いの強さに呆れたように溜息をつく凛華。


そして、静かに告白した。



「明日奈ちゃん実はね…。」


「アタシ、もうすぐアイドルやめるんだ。」


「え…。どうして…?」



凛華の告白に驚き、目を見開く明日奈。



「結局勢いがあったのは最初だけで、あんまり売れなかったんだ。だからさ、来月の20歳の誕生日に卒業ライブをして、それでアイドルには区切りをつけるつもり。」


「そんな…。」



凛華の言葉に返事を詰まらせる明日奈。そんな明日奈を見て凛華は言葉を続ける。



「そんな顔しないで明日奈ちゃん…。苦労も多かったけど、アイドルになったことは一切後悔してないんだ。今ではすっきりしてる。」


「それに、やりたいこと見つけたんだ。」


「やりたいこと?」


「美容師になりたくて。学校通って資格取るつもり。」


「そうなんだ。」


「だからアイドルをやめてもアタシ、頑張っていけると思う。」


「だからこそ、来月の卒業ライブは悔いのないように全力でやろうと思ってるんだ。」



清々しい表情の凛華を見て、明日奈もふと微笑む。



「私、凛華ちゃんの卒業ライブ、応援に行くね!」


「明日奈ちゃん…ありがとう。」



そうして凛華も微笑んだ。



「明日奈ちゃんは明後日誕生日だよね?」


「うん。あ〜あ、結局10代でアイドルになることはできなかったなぁ。」


冗談めかしながらそう呟く明日奈であったが、悔しさが伝わってくる。



「ふふ…。別に明日奈ちゃんに年齢は関係ないでしょ?」



微笑みながら凛華はそう問いかける。


その言葉を聞いた明日奈も微笑み返した。



「そうだね。たしかに年齢は関係ないね。」


「凛華ちゃん、私ね、少しずつだけど合格に近づいてるの。」


「最近は最終選考まで残ることが増えてきたんだ。」


「もう少しで合格できるかもしれないんだ…。眼の前にあるチャンスを逃したくない…!」


「だから、合格できるまで何度でもオーディションを受け続けるよ。」



汗まみれの顔で明日奈が微笑む。


凛華も微笑み返しながら冗談めかして続ける。



「明日奈ちゃん、アイドルは大変だよ〜?アタシでも駄目だったんだから、アタシより才能がない明日奈ちゃんは覚悟しといた方がいいよ〜?」


「大丈夫。覚悟の上だよ。」


「ふふ…。それもそうだね。」


「それなら私、最後まで明日奈ちゃんを応援するね!」



鞄を肩にかけ直し、凛華はレッスンルームの扉に向かって歩いていく。そして、振り返りながら告げる。



「じゃあね明日奈ちゃん。頑張って!」


「ありがとう…!凛華ちゃんも頑張って!」



最後の挨拶を交わし凛華はレッスンルームを後にする。


明日奈一人だけが残されたレッスンルーム。


貰ったタオルで汗を拭い、課題曲を再生する。


鏡に向き直った明日奈は静かに呟いた。



「凛華ちゃん…。私、絶対にアイドルになるから…!」



そうして、明日奈は再びステップを踏み出した。

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