サマー・ドリーム★パニック

十坂真黑

サマー・ドリーム★パニック


 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 明晰夢というやつだ。基本的には同じ内容なのだけどそれぞれディティールは異なる。大まかな流れはこんな感じ。


 夢の中で、私こと三須みす 明日夢あずむは学校にいる。自分以外に生徒が3人しかいないし、よく見ると少し狭いけど、それ以外はまあ普通の教室だ。

 自習時間らしく、生徒達は黙々とプリントの問題を解いている。

 ここまでは平和そのものなのだけど、後半に差し掛かると様子が変わってくる。


 突如として教室はパニックに襲われるのだ。


 だけど肝心なパニックの原因が思い出せない。覚えているのは、教室を小さくて黒い物が飛び交っている映像だけだ。

 まさか弾丸!? 夢とはいえ、物騒な話である。


 結末はだいたい同じ。

 生徒の一人が、窓から落ちるのだ。


 目覚めると夢での記憶はほぼ失われている。だから夢の中で何が起きて、どうしてその人が落ちてしまうのか、さっぱり分からないのだ。夢とは言え、人が落ちる場面なんて繰り返し見たくない。


 なんとかこの悪夢の結末を変えられないだろうか。

 そう思い立って以来、いろいろと行動はしてみるのだけど、今のところ大筋を変えることはできていない。

 

 そして9回目。誰だか知らないけど、今朝も見事に窓から落ちていきましたよ。9回目ともなるともはやあきらめムードだ。しょせん夢だしね。



 じじじじじじ。

 自分の部屋の天井を仰ぎ見ながら、思い出したようにけたたましいスマホのアラームを止める。まだ8時前だった。せっかくの夏休みなのに、なんたって昨日の私はこんな時間にアラームをかけたのだろう?

 

 もーいいもん、二度寝してイケメンに添い寝してもらう夢を見てやるー! と、今度こそ心地よい夢の世界に浸ろうとした時だった。

「こらぁ、明日夢! 今日は補習があるんでしょ!? いつまで寝てんの!」

 お母さんが私の部屋にとつってきた。

 ほしゅう……補習……。

「はっ! そうだった!!」

 ベッドから跳ね起きる。


 夏休みの真っ只中だというのに、学校で補習を受けなくてはならないのである。期末テストで赤点を取った自分が悪いんだけど。


 冷めたトーストをかじりながら、私は自転車にまたがる。

 

 7月後半にもかかわらず、早くも地面にバタバタと蝉が転がっていた。死んでるかと思い油断していると、足元でばたばたもがき始め、ノーモーションで飛び上がった。

「ひゃぁっ!」危うく自転車から落ちそうになる。くっそー、一人なのに無駄にかわいい悲鳴上げちゃったよ。

 あいつら死んだように見せかけて、蝉ファイナルを仕掛けてくることがあるから油断できないんだよね。


 私は蝉が大嫌いだ。小学生の時、同じクラスの男子にランドセルの中に蝉を仕込まれたことがトラウマになった。

 最悪なことに、それに気づかず当時の私はランドセルに教科書を入れてしまい、……そのあと泣きながら、変な汁で汚れたランドセルを洗う羽目になった。

 

 蝉なんかに時間を取られている場合じゃない。驚異的な脚力で一気に坂を上ると、ようやく校舎が見えてきた。暑さのためか、建物は蜃気楼のように滲んでいる。


 自転車から降りて小走りで校舎に入ると、一息で階段を駆け上る。

 補習室の前には、三人の生徒が退屈を憂うように立っていた。まだ先生は来ていないようだ。

 しれっと3人の後ろにつく。女の子が1人、男子が2人だ。会話をしている様子はない。どうやらみんな初対面みたいだ。こういう時間、結構気まずいよね。

 

 ん? よく見ると先頭にいるのは同じクラスの山下くんだ。話したことはないから声を掛けたりしないけど。山下くんは休み時間には静かに本を読んでいるタイプで、ぶっちゃけちょっと暗い感じの人。

 へえ、彼も補習組だったんだ。


 あとの二人は知らない。若干スカート丈の短い女の子と、寝癖だらけの男子。2人ともやる気なさそうにスマホを弄っている。

 私はブラウスの襟口をパタパタと仰いだ。あつー。無駄に日当たりがいいせいか、廊下はサウナ状態だ。


 それから五分ほど経って、階段をこつこつと足音が上ってくる。


「いやあ、すまんすまん」現れたのは数学の佐々木先生だ。白髪まじりのおじいちゃん先生で、もしも本当のお祖父ちゃんだったら絶対お年玉で一万円包んでくれそうなイメージ。噂では30年前からおじいちゃんだとか。それはないだろさすがに。


「あついねえ、ここは」佐々木先生はハンカチで額を拭いながら、ペットボトルの水を口に流し込んだ。



 補習室の扉が開けられ、ようやく私達も中へと入る。カーテンが引かれているおかげで外の日差しを避けられたのか、廊下ほど暑くはなかった。エアコンはない。

 一歩足を踏み出したとたん、私は驚きに固まった。


 机は一列につき4つ、それぞれ後ろに3つずつ、計12個並んでいる。狭い部屋だから、それだけでかなりの圧迫感がある。


 左手の窓から、部活動中のグラウンドの熱気が伝わってくる。正面には黒板の代わりにホワイトボード。

 窓から見える校庭の角度も、なんなら埃臭い空気の匂いまで、何もかもを知っている。


 だって、これまで9回も来たんだもん。

 間違いなく、ここはあの夢の教室だ。


 まさかの夢と現実のリンクに、私は茫然と立ち尽くすことしかできなかった。

「どうしたのかね?」

 佐々木先生が不思議そうに私を見ている。


 そして。これまではおぼろ気だったはずの夢の内容が、ここにきてはっきりと思い出せた。

 ――あの夢で落ちるの、山下くんだ。

 

 

「今日の補習はこの四人だけだね。だったらみんな一番前に座りなさい」


 なんとなく互いを意識し合って動かない生徒たちを見かねてか、先生がそう言った。

 

 いつもの夢の中だったら私はさっさと窓際の2列目に座ってしまうから、この台詞は初めて聞いた。特に意味はないんだけど、普段の教室の位置がそこだから、なんとなく。


 最前列は先生の圧がすごい気がして嫌なんだけど、指定されたんじゃしかたない。

 無精髭を生やした男子は廊下側の端、女子はその隣に座った。山下君は窓際の一番前の席に座ろうとした。


 あの夢で、決まって山下くんは窓際に座っている。だからいつも落ちるんだ。そうに決まってる。

 だったら私が窓際に座れば良いんじゃ?

 そう思った瞬間、唐突にある夢の顛末を思い出し、私の足は止まった。


 何回目の夢なのかは忘れてしまったが……その時私は、先回りして山下くんが座るはずだった最前列の窓際に座った。

 その結果、窓から落ちたのは私だった。


 もしもあれが現実だったら……。

 そうこうしている間に、山下君はさっさと窓際の席に座ってしまう。

 仕方がない。私は唯一空いている、山下君の隣の席に座る。


 ただの補習を受けに来たはずが、とんでもないことになってしまった。


 ちょっともー、私責任重大すぎるじゃん。あんた自分の身くらい自分で守りなさいよ、と文句を言うかわりに、じとーっと山下くんの方を見る。

 

 

 そこで私は大変なことに気がついた。

 ……山下くんて、めちゃ顔きれいじゃない?

 

 まじまじと顔を見る機会がなかったけれどよく見たら結構、というか相当顔が整ってる。ていうか超タイプなんですけど。

 うわああ。緊張のあまり、なんか手汗出てきたよ。

 現金なもので、相手がイケメンだと知ると、喉元まで上がってきていた文句が引っ込んでいく。

 ――山下くん、私が絶対救ってあげるからね!

「?」

  ウインクを飛ばした私に、山下くんは怪訝に眉をしかめた。


 そうこうしているうちに、佐々木先生は数学のプリントを配り始める。

「各自、今配ったプリントを解いてください。三十分だったら解答を配ります」


 そう言うと佐々木先生はパイプ椅子によっこらしょと腰を下ろした。あとは平和そのもの。かりかりとペンを走らせる音だけが響く。窓を閉め切っているおかげで蝉の声もほとんど気にならない。廊下のドアは開いているけど、余計に熱い空気がなだれ込んでくる。

 

 んもう、問題なんか解いてる場合じゃないのに。ちりちりと灼けつくような焦燥感で、問題文が目を滑る。


「ここは暑いねえ。窓を開けようか」

 先生が独り言のように呟く。聞き流しかけた私だが、ここである案が浮かぶ。

 人が窓から落ちるには、当然だけど窓が開いている必要がある。

 だったら、窓さえ開けなければいいんじゃない?


 なんて名案! 私は挙手をし、窓を開けないよう頼もうとした。

 が、その直後思い出した。何回目かの夢の結末を。


 夢の中で私は今と同じような思考に至り、先生に窓を開けないでもらうよう頼んだ。そのため、その夢では窓は開けられることはなかった。


 結果。

 山下くんが落ちることはなかったが、佐々木先生が熱中症で倒れた。

 おまけにどこから入ったのか、倒れた先生の頭に蝉がくっついたっけ。私にとって二重の悪夢だった。


 悲劇を防ぐために別の悲劇を生んでしまっては仕方がない。結局、伸ばしかけた手を下ろすしかなかった。

「山下、そこの窓を開けてくれ」

 窓際の席の山下くんは頷き、自分のすぐ横の窓を開け始める。

 

 そこでふと、私は思った。


 もしかして、夢の中で教室を飛び交っている黒い何の正体は蝉?

 弾丸よりもずっと現実的だ。だとしたら、どのタイミングで入ってくるんだろう。もしかしたら既にこの教室のどこかに蝉が潜んでいるのかもしれない。思わず後ろを確認したけど、何もなかった。


「なに?」

 いきなり振り返った私に驚いたのか、山下くんがぎょっとした顔でこちらを見る。

「せ、蝉がはいってきてないか急に不安になって……私、蝉大嫌いなんだよね、あはは……」

 う~ん、我ながらごまかしが下手。


 すると、山下くんは不思議そうに私の顔をじーっと見た。

 澄んだ瞳で覗き込まれ、吸い込まれそうな感覚を覚える。


「三須さん。目、つぶってくれる?」

 思わぬ言葉に、私はぱちぱちと瞬きを返した。え、なに? 私が目を瞑ってる間、何するつもりなの?

 疑問が次々と浮かび、ついでにイケナイ妄想が次々湧き出てきたけれど、言われた通りにぎゅっと目を瞑る。


 直後、「ジジッ」とあの鳥肌が立つような無機質な音が、至近距離から聞こえた。

 思わず目を開けると、「うわっ」とか「え、蝉!?」と、廊下側の二人がこちらを指差して何やら声を上げている。

 

「お前虫なんかつれてくるなよ!」

 廊下側の席にいた男子が私に人差し指を突きつけた。

「え? え?」

 全く意味が分からない。

「実はさっきからずっと付いてたんだ。三須の背中に」

 山下くんは窓からひょいと蝉を逃しながら言う。

 何が起こったのか悟り、ぞぞぞーっと、頭から血が引いていく音がした。

 

 つまり私は補習の間、ずっと背中に蝉を付けていたってこと?

 通学中についてきたのか。そうとしか考えられない。

「な、な、なんで早く教えてくれなかったの!?」

「そういうアクセサリーだと思って」

 んなわけないでしょうが!


 つまり、こういうことらしい。

 登校中に、私の背中に蝉が引っ付いた。幸か不幸かそのことには気づかない私。そして誰にも背中を見せることなく補習室に入ることができた。夢の中でいつも私は窓際の2列目に着席するから、山下くんが蝉の存在に気が付くことはない。


 やがて蝉は補習室の中を飛び始める。それを見てパニックになる私を宥めようとしたのかどうかは分からないが、結果的に窓際にいる山下くんは窓から落ちてしまう。


 もしこの通りなのだとすれば、なんてばからしい事故の原因なのだろう。


 こうして事故は起こらず、補習は無事に終わった。

 かくして私は、平穏な夏休みに戻った。

 


 ……そして夏休みが終わる頃、私は10回目の明晰夢を見た。

 と言っても、9回目までとは場面が違う。

 

 場所は喫茶店、私の前には鮮やかなメロンソーダ、そして向かいの椅子にはなんと山下くん。

 夢の中の私は今よりちょっと髪が長くて、山下くんも少し大人びた雰囲気。


 これが正夢になるのはいつになるのだろうか、と今から心待ちにしている。



                〈完〉





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